見出し画像

母。

ちょっと暗い話になるのですが、最近心を占めていること。




先月、母が乳がんの放射線治療を終えて退院し家に帰ってきた。
もう私は家を出ているので一緒には暮らしていなかったのだけれども、当時からどうやら具合はいいとは言えなかったようで。がんが進行して骨転移、頚椎骨折してもマーカーの数値が悪く骨折の手術もできず、どうしようもなくなり入院するということになったらしい。私は入院の手続きに付き添ったのだけれども、入院翌日に母がコロナにかかる。(めちゃめちゃ咳き込んでいた同室の人にうつされてしまったのだと聞いた)それ以来しばらく面会ができなくなり、次に会えたのは退院した翌日だった。

退院した、というとめでたいように聞こえるかもしれないが、実情はそんなことなく、治療を受けたにもかかわらず、状態は悪化し、1人でトイレもいけない寝たきりの状態での再会となってしまった。放射線治療の代償なのか、治療が効かず癌が進行しているのか、母の姿は、2月のはじめに一緒に病院に行った時とは変わり果てた姿だった。

数ヶ月前は普通に話せて歩き回っていた母が、やせ細り、ずっとベットの上に横たわり、ご飯も吐き気で食べられず、話すことも苦しそうで、見ていてとてもショックだった。



勝手にいいおばあちゃんになるんだろうと思っていた。穏やかで少し頑固で優しすぎる母が歳を重ねる姿は容易に想像できた。
人間だし、寿命はあるとわかっているけれど、あまりにも突然の変わりようでショックを隠せない。日に日に衰弱していく様子が、終焉に近づいていく感じがしてとても心が苦しい。



母は昔から繊細な人であった。
要望も婉曲して伝えるので、少々コミュニケーションが難しかった。遠慮して言っているのか本当に嫌で言っているのかとても分かりづらい。それは今も変わらない。そこがいいところでもあるのだけれども、もっと頼ってほしかった。そしたらこの結果も変わっていたかもしれないなんて思ったりもするけど、そんなことは思ってもしょうがない。

実家というコミュニティーが苦手でしばらく寄り付いていなかったのだが、今会えるうちにたくさん会いに行こうと思う。昏睡していて会話ができなくても。母が余生を少しでも快適に過ごせるように、できることはなんでもしたい。

今日は、訪問の先生に吐き気どめの点滴を打ってもらったらしく、話せなくても呼吸をしてベットで苦しい表情から解放され寝ている母を見て、少し安心した。(無事に回復して、いつかまた一緒にどこか行けることを心の隅で期待してしまう自分がいる。けど人生、どうにもできないこともあることも理解しているつもりだ。母に対しても、私は今私ができることを後悔なくやっていくしかない。)


最近、ずっと思うことは、母が大好きだということ。産んでくれてありがとう。当人の死に直面して改めて深く思う。

みんなも大切な人には会えるうちにあって、話せるうちにたくさん話してね、なんて思う今日この頃です。

もう3月。春もすぐそこかなぁ。
早く暖かくなりますように。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?