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「仲間に入れてっ!」の可能性

「仲間に入れて♪」は、子供の頃簡単そうで難しかった、少し勇気のいる言葉でした。
それは大人になると、実は子供の頃よりさらに気恥ずかしくて、素直にできなくなっていることだったり。

noteも一周年ということがあり、ここのところ「noteの在り方や行方」についてのノートが散見されます。

毎日タイムラインでいろんな方のいろんな想いが流れてくるここですが、

少し前から、ちょっと気になっていたある方のトークノートが。

グループが出来上がっていると人見知りになるからなかなか入っていかれず云々
というニュアンスのもの。
「入りづらいな、場違いかな」と感じる瞬間。

なるほどねー、そう感じる人だって中にはいるよね、と思いつつ、何かに似ていると感じたのは、
「数人の仲のよいクラスメートがいつもかたまってワイワイやっているところに入れないアウェイ感」
てやつなのかな、と。
自分がフォローしてるあの人のコメントにはいつもあの人とあの人がいて、なんだか盛り上がっちゃってる、なんか、入りづらいな、的な。

私は中学生の頃嫌というほど「心身暴行」を受けていたので(ここshino氏をリスペクト)、そういう微妙なアウェイ感に怯む気持ちは、その経験がない人よりは共有できるつもりでいます。

ただ、その感情、ここに限っては少し、勿体ない、と、思う。
それを引きずったままの私であれば
同じように「何だか内輪で盛り上がっちゃってる感じで入れないよね」と疎外感感じて入り込まずにいたのですが、

少なくともここにいる方々って、個々になにがしかのクリエイティブな活動をしている目的意識がはっきりとしているので、そういう細かいことに拘らない、寧ろ新しい人間関係に積極的な人達ばかりだというのが伝わってくるから、
「仲間に入れてー!」が、何だか素直に言えてしまうのです。

あげまんじうさんに、「いいなぁ!」と言ったら、改訂版の集合絵に仲間に入れてもらえたり

たかはしちゃんに「羨ましい!」と言ったら、精魂込めて私キャラを描いて貰えたり

そうやって新しい輪が出来ていくことが、素直に嬉しいと、自然に思えるようになっている。

勿論ね、note内で出せない愚痴を、某裏サイトなんかで愚痴る二面性を持つような、残念なユーザーも中には居るわけですが。
少なくとも私に関わってくれている方々は、聡明で賢い方ばかり(と思っている)。

だから、新参だとか、そういう拘り、持つことないって思っているのです。(私もやっと半年です。でかい顔してるみたいでゴメンナサイw)

noter同士で繋がって新しいモノを創り出していく面白さや可能性のために、どんどん繋がっていく、
コラボは他のSNSにはない面白い可能性がある。
この人の詩をこの人が朗読、BGMにこの人の音、流しながら、この人の映像。
自分が出来ない何かを代わりに表現してくれる自分好みのクリエイターがいて、それぞれに表現できない部分を補填して貰いながら新しいものが出来上がっていく。

そんな場所なかなかないわけです。

ただこの一年で恐らく誰もが、そろそろ限界を感じながら薄々気づいている、
「支援者はnoteには居ない」という現実。
コラボできる相手が見つかる場所だからこそ、お互い皆が受援者であり、発展がなければコラボも内輪同士の同好会、趣味に埋没してしまうという否応ない事実。

勿論個々の目標や到達点の設定場所はそれぞれだから、それがうまくマッチングする方とはその先をイメージしやすいのでしょうが、

どこに向かっていくのか を、

noteを出て目指していく時期なんだろうか、なんて考えているこの頃なのです。

最初は作品を少しずつ、ささやかに発表したときの反応が嬉しくてUPしててたけど

その反応が日々重なる分だけ
「その先にあるさらなる何か」を
見たくなってしまったのは
わ た し だ け じ ゃ な い は ず。

残念ながら、運営さんは私達一般人には、さほど可能性を期待してはいないかもしれません。

でも

「仲間に入れて!!」の可能性を十分に発揮しながら
「仲間に入れて!!」ができるここてしかできない

新しい何かを創り出していかれるよう

これからなにができるか、考えていかれたら、って、思っているのです。

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