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彼の背中とたわいもない話

いつからだろう。
この人と一緒にいるのが当たり前と思うようになったのは。

当たり前なんて思ってはいけないと、戒めとして下の名前で呼ばずに早8年。

もちろんはるか昔は、下の名前で呼んでいた時もあったと思う。

〇〇くん、〇〇さん、〇〇……。

もうなんて呼んでいたか分からない。
そう、布団の中のまどろみの中、彼の背中を見ながら思う。

いつものように、病院のため素泊まりでホテルに宿泊している。
これも、私が朝人混みのバスに乗れないのを見越して彼が毎回用意してくれていて、感謝してもしきれない。


この生活が当たり前だと思っては行けない。


そう思うのに、数を重ねれば重ねる程、その感覚が薄れていってしまう。
最初は申し訳なさが勝っていたはずなのに。
当たり前のような感覚に陥っていた私がそこにはいた。

家に帰れば当たり前のように家事をしてくれている彼。
私は必要最低限のことしか出来ない、出来損ないの彼女。

そんな私の何が良いのだろう?と疑問に思うことすらある。

このまどろみに溺れながら、彼の背中を眺めて歴代の彼氏を思い出してみる。

どの人も素敵な人ではあったけど、こんなに優しかった人がどこに居ただろうか?

私の存在を本当の意味で何かフィルターを通さないで見てくれて居た人って居たのか……?

そう思いつつ、彼の背中に触ってみるとやっぱり他の人と違う温もりを感じる。

男性特有のガタイの良さや、セクシーさなどは皆無だけど、彼の背中はいつも優しい。

昨夜、お盆ということもあり、私が唐突に「いつもと違うことをしてみたい」などとわがままを言った。

チェックインした後、ホテルのある建物の中の一角にあるカフェへ入り、夜ご飯を食べる訳でもなく。
私たちは抹茶と甘味のセットの1番安いものを注文した。

私は窓際の席が良いといい、電車のホームの見える席に座り、お盆の帰省でいそいそと帰る人たちを眺めていた。

時計は20時を回っていた。

「こんな時間までみんな電車に乗るんだな」

ふと、彼が珍しく周りの気配の事について話した。

彼は基本無口だ。
なにかに興味を示すこともないし、ゲームの世界や、なろう小説の世界に没頭するような人なので、私と8年生活しててもまともに会話をする事は少ない。

ちょっと意外だなと思いつつ、「お盆だからじゃない?」なんてありきたりな返しをしてみた。

店内は心地よいBGMが流れていて、変なお客もおらず、静かに喋ることも出来た。

たまたま携帯の充電が無くて、持ってきていたPCだけが私の連絡手段だった。

いつもなら、たくさんのDMやLINEが送られてくるけど、手持ちにないから強制的に彼と喋るしかない。


こんなに彼と喋ることに集中したのは何年ぶりだろう。


ふと、商品を注文してからの待ち時間。
どうでもいい話をした。

この日、仲の良い友達に久しぶりに会ったけれど、この数年彼女とあっても彼は何も言ってこなかった。

でも、今日は「彼女は元気だった?」と質問された。

「うん、ちょっと疲れてそうだったけど、元気だったよ」なんて。

この8年そんな会話を1度たりともした事がなかった。
きっと、彼から見た時、彼女は私にとってそれだけ重要人物と思っていたんだな、と気づいた瞬間だった。


たわいもない話をしていたら、甘味はすぐにテーブルに置かれた。
私が頼んだのは自分で立てる抹茶と白玉のセット。

すごくシンプルなものだった。
と言うよりはこれが一番安かった、が正解だった。

とりあえず、いつもの如く私は食べ物を写真におさめる。
味は覚えていても、見た目は割と忘れてしまうので、記録に残すようにしているのだった。

なれない手つきでお茶を立てて、飲んでみる。

うん、美味しい。

そのまま白玉も食べてみる。
白玉の上にかかってたあられが美味しくて「ん〜〜……」と声が出てしまい、周りが静かだったことを思い出して恥ずかしくなり口を閉ざした。

普段ざわついた喧騒の中での食事やお茶ばかりで、自分の行動がいかにオーバーなのかを思い知った。

しかし、もっと驚いたのは彼の言動だった。
「本当にそうゆう食べ物が好きだよな」

耳を疑った。

確かに私は和菓子のような甘味が好きではある。
ケーキよりお団子派だ。
それは8年過ごしていたらきっと分かっているだろう。

そんなことを言ってるのではなく、この私の行動に対して、言葉を発している彼の言動に耳を疑ったのだ。

「うん、和菓子の方がケーキより好きだからね。」

なんて、驚きのあまり当たり前のような模範解答しか返せなかった。
そもそも、お店の空気感もあるからなのか、彼の言動がいちいちいつもと違う。
8年間過ごしてきたけど、こんな人だったかな?と目を疑うような会話スキルだった。

普段なら、そこは「うむ」としか返さない筈なのに。何をどうしたら、日本語を喋るのだろうか。

頭の中で疑問が飛び交いながら、それでも彼と会話することが初めて付き合った当初をちょっとだけ思い出して、懐かしい気持ちになった。

初めてのデートで私は喧嘩したのをよく覚えている。
デートしているのに、彼はずっとスマホゲームをしていて、話しかけても素っ気なくて。すごく悲しくなり、その場で言い合ったこと。

あの時から数えると10年経ってる訳だけど、この10年間でこんな風にスマホをいじらずに会話してくれるのは本当に稀だ。

だから、毎回調子が狂う。
いつもなら、一方的に私が会話してるだけなのに、気付くと彼とたわいもない会話をしている。
それが、何より不思議な感覚になるのだ。

……とこれが昨日の話。
まどろみにのまれながらだんだん日が昇ってきて、目が冴えてきたわけだけど。
まだ、彼は眠っている。

ゲームが大好きな彼は、寝てる時だけは子供のようだ。
個人的にこの時間が1番好きだったりする。

別に何でもないただの朝の風景だけど、物心ついた時から一人で寝ていた私にとって、誰かが横で寝ている事に安心感を覚える。

そして昨日のこともあってなのか、ちょっとばかし彼の背中がいつもと違うように見えるのは、きっとこのいつもと違う空間だからなのかもしれない。

だからこそ、改めて彼には感謝したい。
私のためにいつもここまで尽くしてくれることを。
優しくしてくれることを。
私が仕事ができるようになって、少しでも安心させてあげられるように。

今日という日も頑張ろう、そう思うのだ。

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