見出し画像

ヒコロヒー 「きれはし」

国民的地元のツレ、初のエッセイ集!

独特の世界観と言語センスでブレイク中、いまやテレビにラジオはもちろん、ウェブメディアや雑誌などへの執筆でもひっぱりだこの女性芸人ヒコロヒーが初のエッセイ集を刊行!

noteに発表されたエッセイから厳選して加筆したものに書き下ろしを加え、下積み時代の情けなくも可笑しいエピソードから、急激に注目を集めるようになった最近の心情までがユーモラスかつシャープに綴られています

amazon



この本との出会いは古本屋でなんとなく手に取った。お笑いが好きでバラエティ番組をまあまあ見る。最初に読んだ芸人さんの本はなんだったっけ…?


最初のお話は「まるこ」、ちびまる子ちゃんに関してだった。私は静岡出身で清水も近い。家でゆっくり読もう、と購入。


しっかり笑えて、しっとりと優しい



言葉選びや考え方、ヒコロヒーイズムが随所に散りばめられた本書。芸人になってからのエッセイが多い。「宇宙」の回では幼少期から学生時代の話も。やはりこの頃からヒコロヒーさんはヒコロヒーさんなのだなぁと思う。


———そして芸人として活躍できていない時のお話もある。

がっつりシリアスな話の中にもギャグを交え(「まるこ」「彼女たちについて」)、全てがコントの中のような回もある(「コリドー」「ドンキのジーパン」「方言」)。どれもとても読み応えがある。



笑える回で大好きなのが「方言」。

自身が四国の片隅で生まれ、方言に関して一家言ある彼女。この回で出てきたワードで好きなのが「方言餌撒き(えまき)」。

例えば皆でラーメンを食べていて「このラーメン、どちゃくそにむつこい」と言っておきながら「え?」となる周囲に対し、「ん?どちゃくそにむつこい、って、言わん?」と真顔で言うのだ。

言うわけがない。2秒考えれば分かる。標準語の概念がインドである。

そして大体この手のタイプはこの会話を皮切りに「俺の田舎では」とか「私の地元、言葉汚くて」とかどうでもいい故郷話を始める。

これを私は「方言餌撒き」と呼んでおり、明らかな方言、という餌を撒き「え、それ何?」と餌に食いついてしまったが最後、一旦とぼけられるという無意味なポーズを見せられたあと、尋ねてもいない故郷についてしっぽりとしばし語られるという全く謎の時間を過ごすはめになる。

ヒコロヒー きれはし 方言

私は妖怪方言餌撒き(現存するのだろうか?)に出会したことはないのだが、出会いたい存在のチェックリストには入った。



もう一つ大好きなのはシリアス回「彼女たちについて」。

同じ所属事務所の女性芸人コンビの二人、通称がんもどきと一筆書き。(どんな通称)

好いた惚れたにあまり縁がない3人。3人で呑み歩き、呑むたびに他愛のない会話をする。餃子の一番美味しい食べ方、部屋に置くゴミ箱の色、宝くじの当選額はいくらが幸せなのか。繁華街のハロウィンへ行ったり、六本木のクラブへ行ったり、ライブに遅刻したのをごまかしてもらったり。笑


そんな2人から「解散します」と、
一筆書きから「辞めます」と言われる。

そして何度も何度も、もう決めたのかと尋ね、何度も何度も、「決めました」と返され、でもやっぱりこのラリーでどうにかならないかなと願いを込めながら、それでも何度も何度も、もう決めたのかと尋ねていた。

—中略—

アホみたいにしつこく「決めたん、決めたんかあ、決めたんやな、決めたん?」と尋ね続けていた。あまりのしつこさに我慢できなくなった彼女たちは、最終的にめちゃくちゃ笑っていた。

ヒコロヒー きれはし 彼女たちについて

2人の意思を尊重したい。なんとか気の利いた、背中を押してあげられる言葉を掛けたい。そんな彼女の口から出た言葉は、そんな自分の思いとは真逆と言ってもいい、2人の後輩と一緒にいたいと言う感情だった。

何かを諦めるのは簡単じゃない。ここには2人のコンビ、それ以上に1人と1人の意思があり、もうそれはどうにもできないものだった。

交錯できている瞬間というのは、非常に儚く、尊いものだ。

私にとっては、彼女たちが芸人と呼ばれる人生を歩んできた時間と、私が芸人と呼ばれている時間が交錯できた事は、とんでもない幸運だった。

彼女たちがたくさん愛されたこと、たくさんいいコントをしてきたこと、たくさんのいい空間を与えてくれたことは変わらない。

これから誰がどんな風に何者と呼ばれるようになろうが、彼女たちが私にとってとてつもなく大切な存在である事もまた変わらない。

ヒコロヒー きれはし 彼女たちについて

自身の時間と彼女たちの時間の交錯。

それがとんでもない幸運だったと語る。

私にも学生時代からの友人がたった1人いる。彼と時間を交錯した私にもとんでもない幸運が宿っている。

いくつ歳を重ねても、自身を良く言う事には抵抗があるが、こう言わなければ彼に失礼だと思う。

この本を読んで得た気づきの一つ。

このエピソードは涙なしでは読めない。

私がnoteを書いたのも彼の人のエッセイを読んだ影響が少なからずあるだろう。自身を変えたいと思う私は、今までの私にはさよならをしなければならない。

最後にこのエピソードの結びをお借りしたい。

これまで、と、これから、の、はざまは、時に明確な直線があり、ときにゆるやかな色味で変化していくものである。

—中略—

気がつけばあらゆるものが「これまで」になっていたらいいな、ということぐらいである。

ヒコロヒー きれはし 彼女たちについて






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?