靴下とおひたし

人と一緒に暮らしていると、生活の細かなところに習慣の違いが現れて見える。人にはそれぞれに自分のやり方があり、こだわりがある。

私は生活をなるべく合理的にしたいので、整理整頓の方法や料理の方法などに工夫をして改良していくのが好きだ。そしてそれを夫にも提案する。

ところが洗濯をした靴下のしまい方、そしておひたしの作り方には彼のやり方があり、そうでないと居心地が悪いらしかった。

結婚してすぐの頃、お正月に彼の実家に行った時、それが彼の母のやり方であることに気づいた。彼女の生活の仕方がそのまま彼のやり方になっていた。考えてみれば当たり前だ。子供は母親がやっているのを見て育つのだ。

私のうちでは家事が苦手な母が子供に家事をして教えるということがほとんどなかったので、私は小学生の頃から周りにいたいろんな女性たちから家事を教わった。だから、家のやり方というものがなく、便利で合理的なやり方を自分で選んで身につけた。

夫と一緒に暮らし始めた頃、彼のやり方に口を挟み、こうすれば良いのに、と、言うこともあった。そのうちもめるのも嫌なので口も手も出さないようにした。そうしていくつかの家事は夫が自分の方法でやってくれる。

4月に義母が亡くなった。優しく強い人で私はとても好きだった。コロナ感染症対策で葬儀に駆けつけることが出来ず、悲しみをうまく消化できずにいる。

けれどもふと、日々の生活の中に彼女が習慣にしてきたことが夫の中にそのまま生きていることに気づいた。彼女はここにこうして生きた痕跡、証を残していったのだ。そう思うと、靴下のたたみ方が、おひたしの切り方が、とても愛しいものに感じられた。
それを見るたびに彼女が私に示してくれた愛情を思い出す。

そうだこれからは彼女やり方でリンゴの皮を剥こう、と思った。彼女の何かをわたしも身に付けたいと思ったのだ。



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