イタリア、ロックダウンの町で。

私の住む人口約10万人の町が封鎖されるという情報が入ったのは2020年3月7日の夜のことだった。

この日、私は夫と共に友人宅の夕食会に呼ばれて食事をしていた。コロナウィルスの影響がじわじわと広がってきていて、人々の心にも影響を与えていた頃だった。

本当だったら翌日には丘の上の町モンカルボのレストランでジュリエッタの卒業祝いが開かれる予定だった。大学卒業は家族や親戚、そして友人たちと盛大にお祝いするのが習わしのようになっていて、ずいぶん前から私たちも予定を空けていた。ところが直前になって人が集まらなくなったということで、パーティは延期となった。

そのかわりというわけでもないが、ピザを焼くから軽く一緒に食事でもしようかということで彼らの家で食卓を囲んだ。クリスマスやイースター、子供たちの成人祝い、何度となく通っている気心の知れた一家だ。

玄関口では、この時期どうやって挨拶したらいいのかしらね、などと言いながら、キスを省略したりしたものの、相手に失礼に思えて気になっていた。

たわいもない話題の中、ここ数日の行動を報告し合う。ミラノに住むジュリとマリはスーパーで品物が無くなりかけた様子を目撃していた。それに比べてこの町はまだ普通に品物が棚に並んでいるからここで買い物をして帰ろうかと思っていると。エレナも娘たちのそんな話を聞いて当面の食料を少し多めに調達したという。米をたくさん買ったから、食料が尽きたらうちに来ればいいわよ、と頼もしい。

食事も終わる頃入ってきたのが、町のロックダウンを告げるニュースだ。少し前に発表された首相令のレッドゾーンに私たちの町も含まれていた。エレナは娘2人にミラノに帰るなら今夜中に移動したほうがよいと促した。

エレナが心配していたのは彼女達の仕事のことではなくて病院の病床数だという。私たちの住むピエモンテ州よりも、ミラノのあるロンバルディア州の方が設備が整っているというのだ。感染した場合のことを考えたらミラノに戻った方が安心だというのだ。

この時すでに医療の崩壊は起きていたようだ。

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