「オコリンボのままでいい」
息子との会話の話
息子が目当ての公園に行ったら、とても混んでいて、「混んでるから遊ばない」と拗ねてしまった。
全く関係のない夫にも八つ当たりするくらいの拗ねっぷり。
私は不機嫌をなだめようと
「残念だったねー。でも公園諦めたから、これから図書館行けるね」
それを聞いて息子は
「それだけじゃ、オコリンボはなくならないよ」
それを聞いて、ハッとして
「じゃあ、オコリンボのままでいいよ」
自分で言ってみて驚くほど、その言葉の威力はすごかった。
息子はスッと黙って、苛立ちもシュルシュルと消えていった。
拗ねたり、怒ったり、息子の負の感情に
つい過剰反応してしまう。
宥めたり、いい方に捉えることを指南しようとしたり。放っておけばいいのに。
負であっても、気持ちは気持ち。
味わって、自分なりに咀嚼して消化しなければ、本当の意味で次の景色に目をやることはできない。
私は、妬みも苛立ちも飲み込み、後からじわじわ苦しむタイプだから、
「オコリンボのままでいいよ」という言葉は、自分から発したというより、天から降ってきたように思えた。
怒ったり、イライラしたりする私は、
紛れもなく私。
でも私の全てではなく、私の一部。
優しい私もいて、怒る私もいる。
どの私も認めたらいい。
そして明日の私は、これまた新しい私。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?