わたしのこと
人を笑わせるのが好き。
とか、お笑い芸人目指した小さなキッカケみたいに言ってるけど、まったくそのつもりはありません
じぶんで言うのもどうかとおもうけど、小さい頃から家族や友達をたくさん笑わせてこれたとおもう
祖父、祖母、叔父、叔母、父、母、姉の8人で暮らしてました
(ここで言わせてもらうけど、叔父と叔母のことは苦手なため居ないものだとおもって話します)
父はとにかく優しい。そして、男の子が欲しいと願っていて私が産まれた時はガッカリしたと言われた。ふつうこんなこと言われたらショックを受けるはずだが、私は特になにも思わずケロっとしてる。それがどうしてかと言うと、たくさん愛情を注いでくれたからだと思う。たぶん父は8割冗談、2割本気、の気持ちで言ったと思う。10割本気だったとしたらここまで愛情を込めてもらえなかったと感じている。残念ながら、2012年に他界しており本人には聞けていないけど私はそう信じてる(天国への圧)
母は小さい頃はとても怖かった。人聞きわるいけどすぐに叩いてきた。今となってはそのせいで脳みそのキャパシティが狭くなって勉強ができないと言い張ってる(真顔)引っ叩かれたエピソードをひとつ、7才の七五三のときに可愛い着物に、髪型もお化粧もしてもらって、テンションブチ上がりの7才のわたし。どの7才よりもじぶんがかわいいとおもってた7才のわたし。家中走り回って祖父母に見せびらかす7才のわたし。
「そんな走り回ったら帯が崩れるよぉ〜」
母の言葉に聞く耳も持たず暴れまわる7才のわたし。そして、大事件が起きた。
帯が、、トイレのドアの取っ手に引っ掛かったのだ。
そのときのわたしの脳内はすべてがスローモーションに過ぎていった。気づいたときには母から張り手をくらっていた。わたしは大粒の涙をボロボロながして、お化粧もボロボロになってしまった七五三事件が私にはある。
ここだけの話、ずっとお母さんと呼んでいたのにハタチを過ぎた頃からママに変わったのはじぶんでもよく分からない。
こんな両親に育ててもらったわたしはしっかり育つことができた。高1の初めての担任との面談で卒業後の進路は?と聞かれたときに、勉強したくないから大学行かなーい!取り敢えず働くぅー!って言ったのは今でもその担任にいじられる(泣いた)そのときの言葉とおりに高卒で働いた。
お金のかからない子だったとおもう。(今はどうなの?って話はやめて)姉は、大学を中退し、歯列矯正も受け、視力もなんかやってたのを覚えてる。けど今の姉はすごい。すべてじぶんでしていてすごい。
じぶんがもしもっとお金がかかっていたらとおもうとゾッとするし、もしかしたら捨てられてたかもしれない
まとめると、生きてて良かったということ。
この生きにくい世の中、好きなように生きれて幸せだなぁ、って心からおもう。
これからもたくさんの愛と笑顔を皆んなに与えたいとおもう。
家族や、友人が笑ってくれればそれで良いや。
むちむち、爪かわいい💅🏻
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