お通夜のこと

従兄弟のお通夜には600人ぐらいの人が訪れた。同じ高校や大学だった人、今と前の会社の同期、サーフィン仲間…。

コロナの事があるのでみんな喪服にマスクという違和感の中、時間が過ぎていく。

何もできずただ頭を下げたり、涙を流したりしていた。私より優秀で人望もあってこれからの世界に貢献できる将来有望な人が先立って、なぜ私は今ここで息を吸って吐いて生きているのだろう。
非生産的な方が淘汰されるのが心地よいのでは?とか考えたりしていた。
自分でそう思えるくらい私と従兄弟は圧倒的な差があった。差なんて当たり前で気にならないくらい偉大だった。

私はヨガとアーユルヴェーダ、そして大きくいうと「命」「生きる」とは?この事を学びに先週までインドまで行っていたのだ。

沢山学び、味わい消化しきる間もなく、身内の死が訪れた。
私は学んだ中でも納得いかない事があった。

そのあたりを手書きでノートにまとめて来たので、この中で書き落としていったら少しは腑におちるのだろうか。

私は無宗教だし、スピリチュアルは好きな方だけど人の生き死についてはあまりそういう方にもっていきたくない。
当たり前だけど私もいつか死ぬのだ。その為の準備みたいなものをしておきたい。

不安の多いインド渡航中に、私に従兄弟が倒れて意識不明だという事を伝えないでいてくれた家族。
優しさって視野が狭くなっていると見えない。若かったり心や体が忙しかったり思いやる心が育ってない人も見えない。

全てタイミングだったり、自分が注いできた愛情だったり。愛情を暗闇に投げているようで虚しくなったり

それってきっと私だけじゃないんだとインドで同時期に学んだ日本人達を見ていて思った。

人は自分の見てきたもので他人をはかりやすい。理解しようとする為に。お互いに。

誰だって痛いのだ。気にしない人にムカついた、でもその人にも返ってきているのだ。
そこのループを繰り返すか離脱するか、私は自分の居心地の良い所を探す事にした。

きっとこれの最終到着地点がサマディと呼ばれる悟りの地なんだろうけど
私はアウトローな性格だから自分なりの解釈をするね。



みんなに還元できるよう何かで循環しますように。