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若松瀬戸巡り・キリシタン洞窟へ初上陸。

9月上旬のこと。新上五島町で人気の情報誌「みJOY」の編集長からお声かけいただき、家族で若松瀬戸を巡るクルージング体験をさせてもらえることに!

いつかは行ってみたかったキリシタン洞窟への上陸、そして海から眺める桐教会、若松大橋!ということで、大興奮の体験をレポートします。


若松瀬戸のこと

新上五島町は五島列島の中通島と若松島で構成される町。そしてこの2つの島を隔てる小さな 海峡が若松瀬戸です。リアス式海岸の複雑な地形に縁取られた、エメラルドグリーンの海と鮮やかな緑色の島々が絶景を楽しませてくれます。

自然が豊かで、魅力ある若松瀬戸一帯は、昭和 30年( 1995)3月16 日 に西海国立公園の特別地域に指定されました。

若松瀬戸のシンボル「若松大橋」

若松大橋

若松大橋は、中通島と若松島を結ぶために13年の歳月をかけ、平成3(1991)年9月に完成しました。橋の長さは522m、高さ26m。周囲の景観への影響を考え、トラス橋と呼ばれる形状とライトグレーの色に。大橋の周辺には「潮の香薫公園」が整備され、春になると公園や道路沿いの桜並木が楽しめます。

博多と五島列島を運行する定期フェリー「太古」が若松大橋を通過するとき、遊歩道からフェリーに向かって手を振ると、一度だけ汽笛をボーっと鳴らしてくれました!


ハリノメンド

ハリノメンド

ハリノメンドとは、ハリノ(針の)メンド(五島弁で穴のこと)という意味で、荒波の侵食によってできた穴のこと。その形が聖母子像(御子イエスを抱く聖母マリア)のシルエットに見えることから、自然の造形が生み出した奇跡として、注目されるスポットになっています。

穴の向こう側に見える青い空と島影のコントラストが、まるで聖母マリアがまとうブルーのローブのようで、ハリノメンドのシルエットを美しく際立たせていました。


キリシタン洞窟

明治初期、「五島崩れ」と呼ばれるキリシタン弾圧が起こり、ここ若松地区周辺にもその波が。潜伏キリシタンの3家族12人は迫害を逃れるため、船でしか行くことのできないこの洞窟へ渡りました。
暮らし始めて約4ヶ月後、ある冬の朝のこと。沖を通る漁船に煮炊きのわずかな煙が見つかってしまい、役人に捕らえられて拷問されました。

キリシタン洞窟 のコピー

洞窟入り口にある高さ4mの十字架と3.6mのキリスト像は、信仰を守り抜いた先人たちへ鎮魂の願いを込め建立(昭和42年)されたものです。

キリシタン洞窟内2 のコピー


洞窟内の壁には、その当時マリア像を飾っていたと言われる楕円形の跡が。

キリシタン洞窟内 のコピー

迫害から逃れ、この岩場だらけの狭い洞窟で生活し、信仰を続けていた人たちに思いを馳せました。

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ちなみに、キリシタン洞窟には桟橋などがないので、こうやって船を岩場に直付けして乗り降りします。


片瀬瀬戸横の白砂地

片瀬瀬戸は、下中島と野島の間にある小さな瀬戸で、満ち潮、引き潮に関わらず潮が一定方向に流れることから名付けられ、地元の人は「片瀬」と呼んでいます。

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そんな片瀬の横にある白砂地には、透き通った美しいターコイズブルーの海が広がり、思わず船から身を乗り出して覗き込みたくなるほど。なんともいえない幻想的な美しさに魅了されます。

片潮瀬戸横の白砂地5 のコピー

大人の腰の高さほどの浅瀬まで船でゆっくり進むと、その海に飛び込まずにはいられないほど。子どもは本能のままにジャンプ!

入江から眺める桐教会

桐教会は、外海地方から移住した信徒により信仰の種がまかれ、パリ外国宣教会の宣教師フューゼにより明治30年(1897)上五島最初の小教区として設立されました。
敷地内には、桐教会復活期の指導者である下村善七・ガスパル与作親子と、清川沢次郎翁を顕彰する信仰先達者顕彰碑(昭和46年建立)があります。

海からの桐教会2 のコピー


桐地区の入江から眺める桐教会。濃い緑色を背景にそびえ立つ白い壁とオレンジの屋根の桐教会が印象的でした。


テーブル珊瑚

テーブル珊瑚2 のコピー

船の上から海面の方へ目を向けると、生息する無数のテーブル珊瑚がすぐそこに。本物の珊瑚を見たという喜びと、この海があまりにも美しいことに心から感動しました!


今回、若松瀬戸を海から楽しむ経験をさせてもらい、とても楽しかったです!夏になったらまた行きたい!