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今までの常識を疑え〜幸せの偶像〜

幸せとは常識とはなんぞや。
自分の家を持つことが当たり前の幸せだ、
結婚することが当たり前で幸せだ、
車を新車で買うことが当たり前だ、
大人なら保険に入るのが当たり前だ、
これが幸せと言うモノ、常識と言われる事の代表例だろう。
しかし、改めて考えてみた事がありますか?
「これは本当に幸せで当たり前な事」なのか
どうしてこれらが幸せなんだって思い始めたんだろう。この条件を満たしていけば幸せになれるのか、よくよく考えたら本当に幸せな事なのだろうか。
誰が言い始めて、誰に言われてそう思ったんだろう。そう考えたら、
誰かが言い始めたかわからないし
みんなが言ってたからいつの間にか自分も
「ソレら」が幸せなんだと思い込んで追い求めていた事に気付く。
いや、もちろんそれが幸せの1つであるし
実際にそれで幸せになってる人も沢山いる。
しかしそれは必ずしも誰にでも当てはまる事ではないと言う事。
大事なのはソレらを盲信的に信じて自分にとって本当に幸せかどうかを考えずに追い求めてしまった結果、不幸せになってしまっていて
自分の心をすり減らしてもまだ、盲信的に幸せだと信じ込んですがってしまっては
これは思考停止してしまっていると思う。
日本の社会には
企業戦略の為、もしくは政府戦略の為に
市民に刷り込まれている事が実はたくさんある。よくよく考えたら不必要な物に盲信的になっているものがたくさんある。
それを疑うチカラが必要である。本当に必要な事なのか。物事の本質をちゃんと視ようとするチカラがこれから必要になってくる。

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