見出し画像

③ウチダクミとの出会い

時計を見ると午後8時過ぎだった。

次はバーでも行って、良い雰囲気にして口説いてみるか。

そう考えていると女は俺の目を見ることなく

『日曜だし明日も仕事があるから今日は帰りましょうか。』

と口角を上げて話しかけてきた。

俺の下心を見透かされているようで気恥ずかしくなり、俺は頷くしかなかった。

『こんなにリラックスできたの久しぶり。また会ってくれる?』

女は髪の毛を後ろで束ねながら俺の目を見つめた。

次に会えばもっといいことしてあげるわよ、と言わんばかりにタンクトップから脇を露にする仕草に俺は激しく欲情し、これまで作り上げたクールなキャラを忘れて「うん、うん」と上ずった声を出してしまった。

その声を聞いて女は見下すように優しい目で笑顔を作った。


こんな女に会ったらすぐに逃げたら良かった。

今となっては後悔しても遅いけれど。


朝の6時20分に起きて歯を磨き、スーツを着て満員電車に乗る。

電車を降りて会社のビル近くにあるローソンでサンドイッチとアイスコーヒーとセブンスターを買う。セブンスターの番号は54番。

俺はこのコンビニでは呪文のように「54番、レシートいりません」と注文する癖がついていた。

それがいつの間にかタバコを買う時は番号を言わなくてもセブンスターを出してくれる若い女の店員が働くようになった。

普段はレシートを貰わない俺も、この店員から一度レシートを貰って名前を確認したことがある。

ウチダ クミ

ウチダクミ

ウチダクミに会うのがいつの間にか俺の朝の日課になっていた。


俺は会社のデスクでウチダクミから手渡された朝食を食べる。

9時から適当にマックでデザインして17時50分頃には退社の準備をする。

やりがいはなく、流れる時間を切り売りする仕事だった。

そんなとき、会社のパソコンで暇つぶしにネットサーフィンしているとマッチングアプリの広告を見つけた。

『夏を待つあなたに今すぐ熱い出会いを』

なんてチープなデザインとキャッチコピーだろう。

これじゃマッチングアプリの会社が利用者に出会えないんじゃねーか、と俺はウチダクミに手渡されたアイスコーヒーを飲みながら自分の下手な皮肉にクックッと笑った。

そしてアイスコーヒーをズルズルと下品に音を立てて飲み干し、ゴミ箱に捨てた。

午後6時になり、俺は会社を出て駅のホームベンチに座る。そしていつも通りスマホを取り出してヤフーニュースを見ようとしたとき、俺の前を女が通り過ぎた。

黒く健康的で艶々した長い髪をなびかせて颯爽と歩く姿を見て、俺は息を呑んだ。

ウチダクミだった。

朝のコンビニで見る姿とは違って新鮮で余計に魅力的に見えた。

話しかけてもいいのかな?もし変な奴に思われたら次からあのコンビニに行けなくなるし。

『夏を待つあなたに今すぐ熱い出会いを』

そのとき、マッチングアプリの広告が頭に浮かんだ。

今しかないのかもしれない。

ウチダクミが俺のタバコの銘柄を覚えてくれているのは、もしかしたら俺のことが気になっているのかもしれない。

会社にいても出会いはないし、ウチダクミだっていつもバイトしてるんだから彼氏がいないかもしれないじゃないか。

軽く挨拶するくらい変なことじゃないだろう。

変じゃないよな?うん。

俺は乾いた口の中を潤すために目の前の自動販売機でエビアンを買い、口に含んだ。

エビアン独特の硬水の妙な味が広がって逆に緊張を和らげてくれた。


こんばんは。仕事帰りですか?

話しかけるとウチダクミはスマホを片手に持ち、キョトンとした顔を見せた。

あの、毎朝コンビニでセブンスターを買っているリーマンです。覚えてないかな?

『あ、アイスコーヒーの人?』

ドキンとした。

ウチダクミは俺を覚えていた。

そうそう、いま仕事が終わって帰りなんです。そちらも?

危うく「ウチダさんも?」と言いかけたので「そちらも?」という発音が変になった。

『そうなんです。今日はシフトが朝から夕方まで勤務の日なんです。』

それは大変ですね。学生さんですか?

『そんなに若くないですよ』

ウチダクミはプッと吹き出した。

普段はクールな二重なのに、笑う時は目が美しい三日月のように細くなる。そのギャップに引き込まれた。

そして次に何を話そうかと迷った瞬間、絶妙なタイミングで電車が到着した。

『また明日の朝、待ってますね』

ウチダクミが電車に乗り込む瞬間、ふわりと髪がなびいた。そして駅構内の無機質な空間になまめかしい女の匂いを残したままウチダクミは去った。

俺はカバンからエビアンのペットボトルがはみ出しているのに気付き、慌てて話しかけたことがきっとバレているだろうと思うと恥ずかしくなった。

でもウチダクミならそれすら受け止めて『可愛いですよ』と笑ってくれるかもしれない。

いま思うと本当にバカだった。

早く気付け、逃げろと全身の細胞が警告を出していたのに俺はそれに気付かないふりして近づいてしまった。

最悪の出会いは最高にドラマチックな演出で飾られる。

その終わりは必ずバッドエンドだけれど。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか? 気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます! 記事を書いた作者へ気持ちを伝えるにはここをクリックしてください。