⑧幸せの終わらせ方
『ねえ、いまのお仕事は楽しいの?』
ウチダクミはピザを忙しそうに切りながら聞いた。
しがないサラリーマンだからね、面白いとかそういうのは無いなあ。出勤前にコンビニで朝飯を買って、夕方までパソコンで適当な仕事して、定時の7分前にヤフーニュースとメルカリを見て、定時になれば家に帰るのをもう何年も続けてるだろ?この生活が崩れることが逆に怖くてさ。
俺がそう答えるとクミはピザの油でヌラヌラと光る指をゆっくりと舐めた。『死ぬ瞬間、後悔しない?』
後悔ね。するのかな?どうだろ?死んだことないから分かんないや。
俺は明るく言ったが全くクミは笑わず、ただ目の前のピザを食べ続けていた。
クミはどんな瞬間に生きがいを感じるの?クミの生きがいってなに?
『私は輝いている人の側でニコニコしてるのが生きがいなの。女ってそういうものよ。男の生きがいって好きな女を死ぬまでニコニコ幸せにすることでしょ?違う?』
うん。そりゃ一般的にはそうだけど。それって女尊男卑じゃない?男は働いて女は楽するだけ?だから男は結婚しないんじゃないの?
『違うよ。女の苦労を理解できない男が結婚できないだけ。男は女とSEXした回数を自慢するでしょ?女はSEXした回数じゃなくて愛された回数を自慢するの。この違い分かる?』
うん、何となくね。
『いやいや。全く分かってないな君は。』
クミは女子アナウンサーのように活舌よく、そしてため息交じりに話す仕草がとても可愛くて、男女の違いなんかどうでも良くなってしまった。
日曜日の昼間からクミとイタリアンでピザを食べて、こんなに深い話ができるようになったことが驚きだった。若くて美人で謎めいていて、俺なんて手の届くはずもない女とデートができること自体が奇跡のようだった。
クミはデザートの抹茶アイスにチーズシロップをたっぷりとかけて、ジッポライターでゆっくりと炙って香ばしい匂いをテーブルに漂わせた。
死ぬ瞬間、後悔しない?
クミの質問が頭に反響して、俺は自分の爪に挟まったピクルスをほじるのに夢中になっていた。
『ねえ、なんかいじけてるの?』
クミは俺を下からのぞき込むようにイタズラな顔で見つめてきて、その顔が少女と大人の交じったクミにしかできない表情で俺は急激に人恋しくなり、思わず「結婚してくれ」とプロポーズしそうになった。
レストランを出て、クミと夏の街を歩いた。二人の影が黒いアスファルトに伸びて、二人の存在証明をしてくれているように感じた。
なあ、クミ。いま幸せ?
そうやって聞いたら、きっと君は明日から会ってくれなくなるだろう。
俺はそれを知っていた。
なぜならば、君が幸せじゃないのを俺は知っていたから。
だからこそ、俺は君を幸せにするために人生を君に捧げたんだ。
『制服、似合っているよ。』
ウチダクミはそう言って、俺の真新しい制服を人差し指でつまんだ。
あのとき、あの瞬間に俺は聞けば良かったんだ。
いま、幸せ?って。
なあ、クミ。いまは幸せなのかな?
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