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空気を読んだ先に待っているものなど、しれている



空気を読んで自分の心を押し殺していたら、結局のところ何も生まれない。

「こんなことを思っているのは自分だけだろう・・」
「自分独自の意見を述べて、空気読めないなと思われるのはいやだ・・」

などと押し殺していると本当に苦しいし、いつまで経ってもスタートラインにすら立てないだろう。

空気を読むということは非常に良しとされているが、果たして本当にそうなのだろうか?
ということを痛切に感じた出来事があった。

───自分の勤め先にはいくつかの拠点がある。
関東・関西地方・北海道の3拠点だ。

そして僕が異動により今いる部署に配属された当初、主業務のスペシャリスト達が別拠点に居るため何かと頼りにさせてもらった。

のだが、ちょいちょいこんな言葉を聞いた。

「それはそちらの事業所でお願いします」
「それってこちらの事業所でやらなきゃだめですか」
「う〜んぶっちゃけこちらの事業所ではやりたくないので、そちらでお願いします」

・・・・事業所ごとでのライン引きを懸命に行おうとする姿勢が、とても引っかかっていた。

面倒ごとは引き受けたくないだろうという気持ちはよくわかるし、自分ももちろんそうである。

だがしばしば上記のような発言を耳にするので、

「しきりに事業所のラインを持ちだされますが、それは会社を代表しての考えですか。それとも貴方一個人の願望でしょうか。」

「そもそも弊社のような中小企業は事業所間の壁を取り払いむしろ手を取り合って会社を大きくしていくべきかと思います。」

「その取り組みを繰り返して組織・売上を大きくし、給与・賞与として還元してもらった方がよっぽど建設的だと思いますがそのあたりどうっすかね」

などと言いそうになった。もちろん言えなかった。

もう2,3年も前のことだけど、今思うとぶち撒けても何ら問題無しな内容だったなと思う。

自分の所属する事業所長や信頼のできるえらい人たちに訴えかけてみようかとも思ったが、言わなかった。
僕以外はそのようなことを誰も発信していなかったからだ。

そう、空気を読んだのだ。

自分独自のこと発信するということは、異端であるということだ。
僕は異端者となることを恐れ、他人の目を気にし、ただただ調和を重んじることしかできなかった。

そして時の経つにつれ信念の火は陰り、やがて消えてしまった。

───先日、社長から全社員に向けてある事柄が発信された。要約すると、

●誰も彼も己の業務・作業ばかりをこなし、横の連携が取れていないことが散見される。これは個人でもそうだし各事業所単位でもそうだ。
●我々のような中小企業は大きな風が吹けばいつ消し飛んでもおかしくなんてないのだから、今後は連携強化をしていきましょう。

前半は耳から血が出そうなほど痛いのだが、後半はまさしく数年前の自分が密かに胸に秘め、結局誰にも語ることもなく消失されたべき論であった。

自分の考えは間違っていなかったのだと数年越しに答え合わせができたと同時に、なぜ僕はあの時空気を読んでしまったのだろう・・と激しく後悔をした。

「自分も思ってました!!」と今更声高に叫んだところで最高権力者の発言の後に乗っかった形となり、「お、おう・・」というリアクションが関の山である。

だがもしあの時、社内の誰か(できれば強権力者)に自分の考えを述べていれば、もう少し違った結果になっていただろうなと本当に思う。

そして今は今で、やっぱり密かに胸に秘めている考えがある。
決してネガティブなものではなく、会社のためとなるに違いない考えだ。

空気を読んで気持ちを押し殺し、後悔をするくらいなのであればぶち撒けろ。そこに信念があるのならなおさらに。

自分とそして世間的にもそんな潮流が強まりつつある昨今なのであった。

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