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子供を犯罪から守りたい。

11月の後半から
子供達を幼稚園に迎えに行くと空がもう薄暗い。
(延長保育を利用中)

12月に入ったら
曇りや雨の日は17時前ですらすっかり暗い。

公園を通ると小学校3~4年生頃の子供達が毎日遊んでいる。長男が来春から1年生になる小学校の子たちだ。顔も判別できないような暗さの中でじゃれ合ったりボール遊びをしたりしている。外で遊ぶのはとても結構な事でほほえましい!でも夕方が暗くなってからは心配になってしまう。

変な人に狙われないといいな、何時に帰るのかな?帰り道、大丈夫かな?

長男も小学生になったら友達とこの薄暗い公園で遊んで帰る日があるんだろうか?
お友達の家に遊びに行って、自分で帰ってこれるだろうか?

私の中でもやもやと何かが沸き上がる。
しんぱい・・・

自分が育った九州の田舎とここ東京は違うと感じる事が多い。
都心のほうではない住宅街の多い区ではあるけれど、人口の多さと住む人の多様性はけた違いだ。区の防犯メールで「〇〇公園で子供が痴漢にあったから注意せよ」など入ってくると毎度ドキッとする。

心配になったとき、私は本を読むことが安心材料になるので、今回も読んでみた。

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特に、小宮信夫さん著の
『親子で学ぶ「子どもの防犯」ワークブック」』が良かった。
子供も分かるようにふりがなが打ってありイラストも大き目。
クイズ形式のページもある。

子供と一緒に読もうかな?と思ったんだけど
これを見ると息子の場合
「怖いから外に行かない!」ってなりそうだから・・・(汗
重要な部分だけかいつまんで私から少しずつ伝えていこうと思う。

本で一番強調されていることは、
人で見分ける、のではなく、場所に気をつけろ、ということ。
犯罪は起こりやすい場所というのがデータとして出ている。
危険が起こりやすい場所を子供に認識させ、近寄らないようにする。
1度や2度いっても分からないだろうから、一緒に歩いて親子の会話の中で少しずつ伝えていくことにしようと思う。

本に書かれていてなるほど確かにと思ったのは、

防犯教育は、
挨拶をしよう、困った人を見たら助けましょう、といった教えと矛盾してしまう面があるということ。
(子供にしてみれば「大人を無視せよ」「知らない大人を信用するな」と言われているように聞こえるらしい)

そのせいなのか
地域の小学生に声をかけても怪訝な顔をされることが多い。返事はくれるけど、一線を引いているのを感じる。「知らない人」だもんね。うんうん。

もしかしたら子連れ女性を装った悪い人もいないとは限らないので
基本知らない人は相手にしない、となるよね。。
でも、例えば自分が困っている時に声をかけてきた知らない大人にも「知らない人だから」って一線を引くよな、と勝手に心配になった。

過度に不審者を怖がらせると「知らない人=全員不審者」と思いかねない。
ということも本に書かれていた。

地域のコミュニケーションが犯罪から子供を守る、といったことも本には書かれている。が、ここ東京で地域のコミュニケーションってあんまりない。たぶん道端で「助けて~」っ叫んでも誰も家から出てこないような感じ。長く住んでいる高齢世代は交流があるようだけど、子育て世代は干渉がないぶん、何か繋がり(同じ園、同じマンションなど)がない限りは近所に住んでいる者同士で関わっている人を見かけない。東京は人の流出入が多く、引っ越しの挨拶もしなくて普通とか。

話がちょっとずれた。

こんな心配性なので、長男が1~2年生のうちは学校のそばまで迎えにいこうかなという思いがある。

近所で送迎しているお母さんをみかける事もある。しかし全く別地域の方ではあるが『「送迎は辞めて」と先生から言われた』、というお母さんもいた。自立の妨げになるってことかな?確かに一理あるが、私は子供の安全のほうが優先かなぁ。先生や保護者によっては「過保護」って思う人もいるかもしれないな。うん。でもやっぱり様子をみつつ「時々は通学路を通って迎えに行こう」って思ってるんだよね。子供の防犯の本を読んでさらにそう思った。
犯罪者(特に性犯罪者)は下調べをして下校時間などチェックして見てるらしい。その時「あの子は親がちょくちょく迎えに出て来ているな」って気づくかも。同時に、同じ通学路と通っている他の子に関しても「この時間帯はあの小学生の母親がこの通りを歩いているから実行しにくいな」って思われるかも。かもかも。パトロール。私にできることの1つ。

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