―・XU

中学生くらいの頃からだろうか
私は"書く"ことに何度も救われてきた

悔し涙が止まらなかった日も
怒りで両腕がブルブル震えた日も
戸惑いから声の出し方を忘れた日も
悲しみで世界がモノクロに見えた日も

"書く"ことは私の取り乱した心を受け容れてくれた

"書く"ことで救われ
また"書く"ことで救われる事実に救われてきた

私は"書く"ことができる
それは"自らを救う術を持っている"ことに他ならない

私以外の誰かにとって
それは"描く"ことであり
それは"歌う"ことであり
それは"創る"ことであり
それは"走る"ことであり
それは"踊る"ことであったりするのだろう

行き場のない醜い感情を"表現"に落とし込むこと
それは大きなカタルシスとなり自らを救う

見ようによっては精神的自慰行為だが
別の角度から見れば祈りのようでもある

時には、その表現に触れた他者をも救う

願わくば
表現の衝動が暴言や暴力という手段に向かいませんように

願わくば
感情の発露によって一つでも多くの美しいものがこの世に生まれますように

願わくば
それらの美しいものによって一つでも多くの荒んだ心が癒やされますように

私は今日も、
誰にも話せない気持ちを書き、そして救われる

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