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「お嬢さん放浪記」と難民支援活動

4月20日は、日本の評論家、犬養 道子が生まれた日。(1921年4月20日 - 2017年7月24日)

祖父は五・一五事件で暗殺された犬養毅首相。

総理の孫として首相官邸で暮らしていた道子は、戦後、ヨーロッパに渡り聖書の研究に没頭、帰国後は評論家として活動。

1958年に出版した『お嬢さん放浪記』がベストセラーになり、文筆家として引っ張りだこになる。『世界のトップ・レディ』『私のアメリカ』『女が外に出るとき 暮しの設計』などを次々と出版、犬養家のことを描いた『花々と星々と』はテレビドラマにもなった。

1986年、「犬養道子基金」を設立。息の長い難民支援事業をインドシナ、アフリカ、ボスニア、クロアチア、中東などで展開した。著書『国境線上で考える』は毎日出版文化賞を受賞。

麗澤大学名誉博士、麗澤幼稚園名誉園長。



皆様、いつもありがとうございます✨
グリーンビューティ®研究家の青木恵と申します。

ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。
聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。

先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。


【生い立ち】

東京都新宿区四谷に犬養健・仲子夫妻の長女として生まれる。父・健は犬養毅の嗣子で親子2代の政治家であり、母方の曾祖父が長与専斎と後藤象二郎である。母方の祖父は男爵長与称吉。従姉の娘に緒方貞子、異母妹に安藤和津がいる。

1959年、女子学習院、津田英学塾で学んだ後、アメリカやフランスに留学。フランス滞在中は、ライフワークの聖書研究のかたわら、難民支援活動を積極的に展開した。1990年代後半、日本国内での活動強化のため、帰国した。


【お嬢さん放浪記】

アメリカ留学をへて、ヨーロッパへ渡り、1957年に帰国するまでの出来事を描いたのが本書である。

“すでに戦時中から、私は自分が井の中の蛙のように実力も何もないくせに、足が大地についてもいないくせに、とかく自らをよしとする傾向のあるのに気づいておそろしかった。そして、自分と、自分の生活の革新ということが何をおいても第一に大切だと、若さの情熱からいちずに思いこんだ”

こうした考えより、道子は人の世話にならずに実行することを考える。アメリカまでの旅費は友人たちのつてで様々な人からの援助を得る。

現地に着くと早速アルバイトを探すが、肉体労働は安くて割に合わない。一計を案じ、「戦争後のアメリカ人は、きっと日本の現状を日本人の口から聞きたいに違いない」と、時局に乗じたアイデアを思いつき、すぐさまあちこちに掛け合い、たちまち「人気講師」となる。

順風満帆かと思う矢先になんと結核にかかってしまうが、サナトリウムでは、「今度は頭ではなく手を使おう」とばかりに、古くなったパラシュートの紐を払い下げてもらい、それで丈夫なベルトを編んで売ることをおもいつく。

生まれてこのかたそんな手仕事などしたことがないのに、さっさとかぎ針を調達し、ちゃっちゃと練習してしまう。手に入れたピカピカの上質なナイロンで作るベルトは大人気、ロザリオ作りにも手を広げ、やがて同じ療養者のなかから協力者を探し出して仕事を仕込んで職工に仕立て上げ、サナトリウムにいながらにして事業を立ち上げた。

ところがそこへ警官が踏み込んできてあわや逮捕されそうに。というのも奨学資金で留学しているのにビジネスをすることは、法令違反だった。


【世界中の難民の支援活動に】

この9年にわたる旅を終えたのち道子は、ライフワークとなる聖書の研究を続けながら、世界中の難民の支援活動に力を尽くすこととなる。

アジア・アフリカ・中東・東欧など、96歳で天寿を全うするまで生涯、その活動に尽力し続けた。港区の青山霊園に永眠している。



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