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世紀の大女優、ヴィヴィアン・リー

11月5日は、世紀の大女優、ヴィヴィアン・リーが生まれた日。

(1913年11月5日ー1967年7月8日)

皆様、いつもありがとうございます✨
グリーンビューティ®研究家の青木恵と申します。

ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。
聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。

先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。

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『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラ役といえば知らない方はいないのでは?

美貌と演技力そして演じることへの情熱を持った女優でした。まさに女優魂。

イギリス領インド帝国ダージリン出身。

ブローカーとして成功したアーネスト・ハートリーと母の代からインドに住まう母親のガートルード・メアリ・フランセスとの間に生まれた。

5歳半でロンドンの寄宿舎に入らされたヴィヴィアン。

ある日、彼女は寄宿学校で芝居に参加する。最初は気が進まなかったが、舞台上の彼女の一挙手一投足に教師たちも含め全員が注目した。他の生徒にとって2歳ほど若い「みんなの末っ子」。

インドからやってきたどこか異国の香りのするかわいらしい小公女。

しかもお芝居は抜群。女子生徒たちは歓喜し、拍手と羨望の眼差しを注いだ。彼女は失われた自分への関心をようやく見出したのか、そこで決心する。

「私は女優になるの。世界中の誰からも愛される女優に」

その後は、言葉通り、押しも押されぬ女優に。

「風と共に去りぬ」で、スカーレット・オハラを演じ、アカデミー主演女優賞 受賞。

「哀愁」、1945年 「シーザーとクレオパトラ」、1948年「アンナ・カレニナ」1951年「欲望という名の電車」に出演。

その間、躁鬱病と2度目の夫、イギリスの大俳優であったローレンス・オリビエへの嫉妬に苦しんだ。


53歳の時、慢性的な結核によりロンドンの自宅で喀血によって気管を詰まらせて死去。葬儀委員長は前夫のローレンス・オリヴィエが務め、生前の希望通り遺体は火され、遺灰はサセックス、ブラックボーイズの近くにあるティッカレジ・ミル湖にまかれた。


彼女の女優としての功績を称え、ハリウッド大通りハリウッド名声の歩道に、彼女の名を刻んだ星型のタイルを埋め込たれています。


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