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ハリウッドスター、ベティ・ハットンの魅力と挫折

2月26日は、アメリカの女優、ベティ・ハットン(1921年2月26日 - 2007年3月11日)が生まれた日。は、1940年代から1950年代初めにかけて活躍。ミシガン州バトルクリーク出身。
「ブロンドの爆弾娘」と呼ばれていた。

代表作は、『アニーよ銃をとれ』、『ポーリンの冒険』

皆様、いつもありがとうございます✨
グリーンビューティ®研究家の青木恵と申します。

ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。
聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。

先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。

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【生い立ち】

母はシングルマザーで、アルコール依存症だった。生活のため、10歳になる前から公共の場所で歌うようになり、13歳で地元のバンドに参加、15歳でラジオに出演するようになる。

プロを目指しニューヨークに移り、ブロードウェイの舞台に出演。21歳の時にパラマウント映画と契約し、映画デビュー。

【人気女優に】

『アニーよ銃をとれ』の映画化で、当初キャスティングされていたジュディ・ガーランドの代役として主役をつとめ、この作品でミュージカルスターとしての地位を確立、『ポーリンの冒険』で
スタントなしで危険な演技に挑むハットンは、はつらつとした魅力で一世を風靡した。

【人生の転機】

同業女優による嫌がらせや、人気の翳りなど女優としてスランプを味わい、消息不明となる。
その間、睡眠薬中毒となって長期の療養生活を送り、その後カトリックに改宗、華やかな女優を、辞め、教会で家政婦として働いた。

【ブロードウェイへの復活】

その後、仲間たちの働きかけで歌を歌うも、往年の声が出ず、その後は演劇界への復帰を目指して努力を重ね、1990年代にはブロードウェイの舞台に助演女優として立つまでに回復したそう。

パラマウントのプロデューサー、A.C.ライルズは「彼女は大量の爆竹がいっぺんに爆発したような人でした。彼女はエネルギー、個性と才能に満ち溢れていました」と語っていた。


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