ダイアナ元妃〜地雷をものともしなかった人々の心の王妃~
皆様、いつもありがとうございます✨グリーンビューティ®専門家の青木恵と申します。
ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。
先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。火曜日・木曜日にまとめて投稿しています。該当する偉人がいない場合はお休みです。
長文につき、時間があるとき、興味がある方をご覧くださいね。
楽しんでいただけたら、嬉しいです。
7月1日は、ウェールズ公妃ダイアナ、ダイアナ元妃が生まれた日。
(1961年7月1日 - 1997年8月31日)
英国で“人々のプリンセス”と称された、
ダイアナ元妃(ウェールズ公妃ダイアナ)が逝去してちょうど26年。
政略的ともいえる結婚に、
不倫相手を含めた3人での結婚生活。
婚約直後からすでに始まっていた過食症にリストカット、
身投げなど、国民が知る由もなかった現実がパレスの塀の中で起こっていたとは。
一方で、ファッションアイコンとして絶大な人気とダイアナ効果がありつつも、
かたやファッションばかりに興味があって、
夫を困らせる問題児扱いもされていた元妃。
しかし、彼女は強かった。
1996年に離婚が成立した後のダイアナ元妃は、
一転して吹っ切れたように溌剌とした表情を見せ、
自らの使命に燃えるように。そして新しい愛も。
慈善活動やチャリティに加え、ホームレス、エイズ、癌、
ハンセン病患者へのボランティア活動がその主軸となり、
どのような病人に対しても偏見を持つことなく、
距離を狭めていくその慈愛に満ちた姿は全世界に感銘を与えた。
特に赤十字とともに地雷撲滅運動のためにアンゴラを訪問し、
地雷のある場所を一人で歩くという行為には世界中が驚き、賞賛した。
対人地雷禁止条約(オタワ条約)は、
ダイアナ元妃の死去から3ヶ月少し経った1997年12月3日に、
アメリカを除く122カ国が署名した。
ICBLによると、
同条約は「対人用地雷の使用、製造、備蓄、移動を禁止する、法的拘束力を持つ国際条約」である。
近年はヘンリー王子が、ダイアナ元妃がアンゴラを訪問した際に
ヒスロップが活動していたThe Halo Trustのパトロンとして、
地雷問題への取り組みを受け継いでいる。
2017年4月、ヘンリー王子はケンジントン宮殿で催されたレセプションで
2025年の期限を目指して支援することを表明。
母のレガシーが生き続けるよう献身している。
ダイアナ元妃は、これからもイングランドのバラとして、
また"心の王妃"として人々の中に生き続けることでしょう。
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