![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/116142004/rectangle_large_type_2_df3373eb90b502ff6266d8cf1b3f9fab.jpeg?width=800)
フランスの原子物理学者、イレーヌ・ジョリオ=キュリー
9月12日は、フランスの原子物理学者、イレーヌ・ジョリオ=キュリーが生まれた日。(1897年9月12日-1956年3月17日)
![](https://assets.st-note.com/img/1694656991970-9j5Rfu7AMM.jpg?width=800)
皆様、いつもありがとうございます✨
グリーンビューティ®研究家の青木恵と申します。
ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。
聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。
先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。
公式LINEへの登録で、毎月偉人・貴人のカレンダー&プリンセスの香水ストーリーを配信中。
最下部からご登録ください。
母マリーと父ピエールは「ポロニウム」を発見し、ノーベル賞受賞。
1926年、母マリーの助手だったフレデリック・ジョリオと結婚。
1934年に30Pを合成し、1935年、「人工放射性元素の研究」で、夫と共にノーベル化学賞を受賞。
![](https://assets.st-note.com/img/1694656991853-sERj5yGfQf.jpg)
フランス内閣で化学担当国務次官、及びパリ大学の教授にもなり、一男一女に恵まれ、公私共に絶頂期を迎えるものの、イレーヌも母同様長年の放射線による白血病で亡くなります。
イレーヌは病院で古くからの友人に、「死ぬことは怖くないわ。こんなに夢中で送った人生だもの!」と言っていた。
1956年死去。享年58歳。
イレーヌの死の2年後には、フレデリックも肝臓病により死去した。
生前のイレーヌは、形式的な儀礼を嫌い、親しくない人と挨拶するのさえ嫌がった。
妹のエーヴは、姉は一度も嘘をついたことが無いと証言している。
招待状に断りの返事を出すとき、秘書が「残念ながら応じることができません」と書くと、イレーヌは、「私は少しも残念に思っていない」といって書き直させたこともあるそう。
サロンドフルールイコア公式LINE
お友達登録で「香りのパーソナル診断」or「厳選オーガニックコスメリスト」プレゼント中!
毎月カレンダーも配信しています🌹
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?