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嫉妬や憎しみに苛まれながらも人生を美しく戦い抜き世界一の貴婦人になった女性

5月18日は、ルネサンスの華、イザベラ・デステが生まれた日。(1474年5月18日 - 1539年2月13日)イタリアの名門貴族エステ家出身。ルネサンス期イタリアの文芸、政治を代表する女性の一人である。

皆様、いつもありがとうございます✨
グリーンビューティ®研究家の青木恵と申します。

ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。
聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。

先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。

【生い立ち】

イタリア・フェラーラ出身。父はフェラーラ公エルコレ1世・デステと母はナポリ王女エレオノーラ・ディ・ナポリ。妹にベアトリーチェ、弟にアルフォンソがいた。

イザベラは、幼いころから聡明で母の里帰りにはいつも同行し、外交術と国政術を身に付けていった。

【婚約】

歳でイザベラはイタリアの小国マントヴァの領主の跡継ぎ、ジャンフランチェスコと婚約。彼の武勇に憧れを抱いており、尊敬し、将来のマントヴァ侯妃になるべく、努力を重ねた。ジャンフランチェスコから贈られた書簡、詩歌、ソネットは彼女の宝物だった。

【幸福な結婚】

マントヴァ侯爵位を継いでフランチェスコ2世となったジャンフランチェスコと結婚。イザベラ16歳、フランチェスコ24歳。

イザベラは宝石や金細工で飾られた馬に乗り、美しく、華奢で、優雅にフェラーラの大通りを民衆から大歓迎されながら行進した。結婚生活もフランチェスコ2世の浮気が始まるまでは、安泰だった。

【ルクレティアが夫の愛人に】

イザベラの弟アルフォンソの再婚相手は、悪名高いボルジア家の一人娘、ルクレツィア・ボルジアだった。ルクレツィアは、こともあろうにイザベラの夫フランチェスコ2世と不倫関係に。若くて美しいルクレティアに嫉妬し、憎しみに覚えるも、取り乱すことなく、一方的に無視したと伝えられている。イザベラは27歳、ルクレティアは21歳だった。

【政治手腕】

イザベラの実家、ナポリがフランスから侵攻を受け、やがてマントヴァにもフランス軍が来るであろうと予測をした26歳のイザベラは、フランスの王、ルイ12世と会見をし、マントヴァへのフランス軍の不可侵を約束させることに成功。

ルイ12世はこのときのイザベラの魅力あふれる個性と優れた知性に感銘を受けたといわれている。

が、政治的に卓越したイザベラの能力は、夫の不出来を露呈し、夫フランチェスコは憤慨の中、手当たり次第浮気を重ねた末、梅毒で死去。イザベラは45歳になっていた。

その後、息子フェデリーコの摂政としてマントヴァの統治者となり、マントヴァのために、イザベラは建築、農業、産業などを学び、マキャヴェッリの『君主論』を模範とし、女学校の創設や、マントヴァ家の邸宅を美術館として開放するなど卓越した政治手腕を発揮するイザベラに、マントヴァの臣民は敬意と愛情の念を捧げていたといわれている。

1539年に死去。享年64歳。

【ファッションのエキスパート】

毛皮をあしらった最高級の衣服を着用していたほか、自身で香水を調香して贈答品として使用していた。イザベラのファッションはイタリアのみならず、フランス宮廷でもお手本とされていた。


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