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本当はキノコの研究者だったピーターラビットの生みの親 〜ベアトリクス・ポター〜

皆様、いつもありがとうございます✨グリーンビューティ®専門家の青木恵と申します。

ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。

先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。火曜日・木曜日にまとめて投稿しています。該当する偉人がいない場合はお休みです。

長文につき、時間があるとき、興味がある方をご覧くださいね。

楽しんでいただけたら、嬉しいです。


7月28日は、ピーターラビットの生みの親として知られるイギリスの絵本作家、ベアトリクス・ポターが生まれた日。(1866年7月28日 - 1943年12月22日)

ヴィクトリア時代のブルジョア階級に生まれ、
父ルパートと母ヘレンの長女として生まれる。

学校には行かず、
乳母、家庭教師がいる環境で育ち、独自性を養った。

幼いころから絵を描くことを好み、
さまざまな動物をペットとして飼育していた。

中でもキノコには特別な興味を持っていた。

ベアトリクスはキノコの精緻なスケッチを描き続け、
アマチュア研究者として胞子の培養にも成功。

1897年には「ハラタケ属の胞子発生について―ミス・ヘレン・B・ポター」
と題した論文をロンドン・リンネ学会に提出したものの、
女性が学会に参加することは認められず、
タイトルのみ読み上げられた。

キノコで夢破れたベアトリクスは、
のちにピーターラビットの絵本で成功するが、
そのきっかけは元家庭教師の子どもに描いて送った手紙が元になっている。

絵本作家としての原点は、
1902年に出版された『ピーターラビットのおはなし』。

私生活では、39歳で婚約するが、わずか1か月後に婚約相手が死去。

その後、湖水地方のヒルトップに農場を購入し、生涯そこを愛した。

47歳で結婚、結婚後は創作活動も少なくなり
農場経営と自然保護に努めた。

産業革命が自然の破壊をもたらし、
これに危機感を持った人々が自然を保護し
次世代へ伝えようとする運動が起こり始めた時代でもあった。

気管支炎を患い、1943年死去。享年77歳。

遺言通り、遺灰はヒル・トップに散骨され、
創設されたばかりのナショナルトラストに4000エーカー以上の土地を寄付された。

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