この五年のこと④
作業所にはさまざまな人がいた。
精神障がいの人もいれば、身体障がいの人もいた。知的障がいの人もいた。
仕事の内容は、こう言っちゃ悪いがバカにでも出来る仕事だった。
ひたすら人力で見たこともないような商品を大量に目で、基準もよく分からないままとにかく検品したり、機械化出来ないような作業を取引先から依頼を受けやったり。
言ってみれば内職の下請けをやっている会社に俺はいた。
たんなるバイトならまだ気が楽だったと思うのだが、障がい者とそれを管理する健常者との間には確実に隔たりがあり、俺はその立場を甘んじて引き受けたものの、それは屈辱だった。
もう色々考えても仕方がない。
そう思って阿呆のように何も考えず、そして職場の人とも言葉を交わすこともしなかった。人のことは言えないが、障がいを持つ人は波があって。調子のいい時と悪い時があり、そしてプライバシーへの配慮から相手の病名は聞いてはいけないと、釘を刺されていた為、それなら話さない方が楽だと考えた結果のことだった。
果たしてその三年に意味はあったのか、俺には分からない。
今年の春ぐらいから、左手が痺れるようになった。
整形外科に行くと、姿勢の悪さ故に首の骨が変形し、神経を圧迫しそうになっているのが原因だと言われた。
実は二年前にも同じ症状が現れ、その時はコルセットを巻くことで症状が落ち着いた。
その経験から、またすぐに治るだろうと気楽に考えていたが、今回はそうでは無かった。
コルセット生活は、もう半年続き、今も完全にはコルセットは外せてない。
作業所に行き、仕事を終えると毎回、痺れは酷くなり。寝ないと痛みはリセットされなかった。そして目覚めると、また作業所へ行かなければならない。
そんなことの繰り返しで、ちっとも治る気がしなかったので医師と相談の上、仕事を休むことにした。
職場からは休職命令というやつを出された。
これは社員が体調を崩し、仕事が出来ない状態の時に会社が社員に対して出すもので、特に法律や条例で定めがある訳ではなく、各会社によって期間などの定めが変わるものなのだそうだ。
うちの場合は最大で休めるのが三ヶ月と決まっていた。
六月の頭に休み始めたので、九月になる前に今後の進退について、職場で話し合った。
体調次第という面もあったので、しばらく様子を見ていたが復帰できる程には回復しなかった。
ああいった作業所は大体どこも時給制で、最低賃金と相場が決まっているのだけど、最低賃金のためにスキルアップも計れないような場所で、骨を悪くまでして続けるものでは無いな。
そう判断して、辞める意思を伝えたのが、つい二週間前のこと。
仕方がないとは言え、親から言われた管理人の仕事も出来ず。作業所での仕事も続かず。
アパートであったことは、どちらが悪いなどの判断は、限られた狭い中でのことだったので、当事者以外誰も出来ない。
まあ父は金もあるし社会的地位も高いので、父の味方をする者は多いだろう。
そもそもこのことは世間的には、ちっともバリューのあることではなく、どうでもいいこと。
このことで人生を大きく左右されたのは俺だけで、もっと言ってしまうと俺がもっと前に自立して、父と関係のない仕事をしていれば、こんなことにもならなかったはずだし、自業自得という見方も出来る。
言いたいことはまだいっぱいあるけども、ここ何年かで自分の身に起こったことを書いてみた。
そして俺が言いたかったのは、今の自分の憂鬱の原因はこの、これまでの経緯によるものじゃないかと。
誰が悪いとか、もう分からない。
ただこんな状況になってしまって、憂鬱だと言うことが言いたかっただけだ。
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