この五年のこと①

みんな、夏を満喫してる?

こっちはどうだろう。


「病いは気から」という言葉があるように、あまりこういうことを書くのは良くないのかも知れないけど、とんでもない憂鬱の中に今、自分はいる。

今の自分の憂鬱の原因は何だろう・・・と考えるのだが、短い言葉にまとめると「人生が破綻したから」なんじゃないかと思い込んでいる。


今年は健康面のトラブルが多い年だった。

10年前よりメンタルヘルスの症状が表面化し、その間、自分はまともな仕事をしてなかった。

幸いなことに金のある家に生まれたので、生活に困ることは無かったが、社会生活を営む上で、しっかりとした肩書きの無い生活が、この10年続いた。

資産家の親が相続税対策の為に建てたアパートの管理人をやっていた時期もあったのだけど、給与はアパートの所有者である父から貰っていたので、これを世間様に対して仕事と言っていいものか、と自分では思っている。


その仕事をしていた頃は元号がまだ平成だったので、少なくとも五年は前のことになる。

そこでの人間関係は複雑だった。

僕に会ったことのある人なら分かると思うんだけど、僕は裏表のない人間だと自分のことを思っている。

しかし、これは運命(さだめ)という奴なのだろう。自分は父の息子であるという事実はどうしようも変わりはなく。自分の周りにいる人間は俺を見ているようで俺を見ていなかった。皆、影響力の大きな父のことを見て、俺と喋っていた。


そんな中、あのことが起きた。

アパートの管理人の仕事と聞くと、人はどんなイメージをするのだろう。まあ、細かなことは割愛するけど幸いなことに空き部屋のことで悩む必要のない環境だったので、主な仕事の内容と言えば建物の環境美化に努めること。つまりは清掃がメインだった。

なんだ、じゃあ気楽じゃないか。

そう思う人がいるだろうけど、自分にとってはそうでは無かった。

なんせ敷地面積がとてつもなく広かった。確か体育館二つ分くらいの広さだったように覚えている。


田舎の広大な空き地を買い取って建てたアパートで、建物の真裏には小さな山。そこには夥しい数の木々が生い茂っていた。

台風が来ると枯れ葉は舞い散り、敷地中を枯れ葉が覆い尽くした。大袈裟でも何でもなく足の踏み場がないほど、庭は枯れ葉だらけとなった。

これを片付けるのは当然、管理人である自分の仕事である。

手伝ってくれる人間がいれば、まだマシだったが、いきなり命じられて始めた管理人業。まだ声をかけて手伝ってくれるような知り合いも居なかった。一人でやるしかなかった。

朝の6時に片付けを始め、夜の10時まで片付けをしたが、一日ではまったく追いつかず。

仕方なく翌日も。しかし丸二日やっても終わらず。結局、6-22時×3日かけて片付けを終えることが出来た。

あまり長くなるので書かないが、清掃以外にも多くのトラブルはあった。


大企業の会長をしている父にはその苦労は理解されず。俺がやっているのは、ただの清掃程度のこと。なのに、何故そんな不平を述べる?そんな風に思っていたようだ。


その頃、父は二度目の離婚をし、再々婚をした。相手は30年ほどの付き合いになる元愛人の女だった。

俺は身の置き所のない10年が続いたので、その間に愛人と仕事らしきものをしていた時期もあった。

敵にすると怖い人だな、という印象を持っていた。


俺はその愛人と、表面上は仲良くやっていた。

自分が仕事と思ってやっている管理人のことなんかも、その愛人に世間話として話していたと思う。

そいつが父に何か言ったのだろう。

急に父がこう言い出して来た。

「土地が広くて管理も大変だろうからアルバイトでも雇うか?」

ハローワークに求人を出し、募集を募ったところ、大手企業を定年退職した人物を採用することになった。

彼は定年後、二年ほどマンション管理の仕事をしていた経験もあったので、管理人業は未経験の俺が、彼から教えを乞うという意図もあった。

俺は彼と積極的にコミュニケーションを取り、仕事をし易い環境を作っていたつもりだった。

ところが彼の心中はそうではなかったらしい。


ある日、父の家に用事があって行ったところ、眉間に皺を寄せながら煙草をふかす父がいた。

あれは夜だった。

夜の暗がりの中でもその表情の険しさはすぐ分かり、なんでそんな怖い顔をしてるんだろうと思いながら、俺は普段の感じで話しかけたら、いきなりどやしつけられた。

「お前なあ、バイトのAさんに対してどんな態度働いとんねん。態度を改めろ」

俺は何のことを指して、そう言ってるのか分からなかったが、こういう時の父は何を言っても聞かないのを知っていたので、とりあえず「申し訳ありません」と言って、頭を下げた。



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