さらに苦しみは続く
前回、過去の話を書いたのだけど、実はあれはダミー記事で、いま自分があのことを言いたかったのかというと、そうではない。
「暴露」なんてものは褒められた行為ではないのかも知れないが、自分が暴露系のものを書くと、こんな感じになりますよ。という。いわばサンプルを提示するために書いた記事だった。
実はターゲットは別のところにあって、そちらに向けて書いた記事だった。
ところが、オチをどうするかは決めてなかった。
自分としては、大団円で終わらしたかったのだけど、これはおそらく自分の技量の無さなのだろう。それをうまくエンタメ化出来てなかったようで、そもそも。エンタメの根底には愛がないと共感を産まない、のではないかと考えるのだが、そこに愛はあると思っていたのだが、感情に走ってしまい、愛があるのかどうだか訳のわからない形に成長し、どうしたものかと考えた挙句に、「うっそぴょーん!!」とおどけてみせて、それで終わりにしようか・・・そんなことを考えていた。
ところがこれが思いもよらぬ角度から、自分の考えを改めさせられる事変が起きた。
実はこれ、全部言葉にして書くことが出来るのだけど、もっと具体的に書いてしまえば、一発でそれが伝わるものに出来る確信は持っているのだけど、それが出来ないでいる状態がもどかしい。
となった以上、これはもはや言葉にして、形に残す意味は何もない。
じゃあ、わたしは何故、今これを書いているのか??
まったく意味のない行為をしていることになる。ということになる。
そんなことは馬鹿馬鹿しいので、生産性もないので、早く切り上げて、他に気分転換が計れるような行為に移りたいのだが、一応。書き始めた手前、核心に触れない程度に、そのことについて触れてみようと思う。
時代は変遷している。
本音が言いづらい時代になっている。
そう感じる。
わたしは何も悪くない。
そう思ったのだが、自分に自信がないからなのだろうか。
わたしはそれを確認したく、文字やらと言った形で、それらを形に残そうと試みた。
ところが相手が強すぎた。
世の中、金がすべてではなかった。
そんなことは知っていたつもりをしていたが、わたしは慢心をしていたのだと思う。
そういえば。
これは昔の話なので、書きやすいから書く。
本当は恋愛の話なので、思い入れもあるし、こうした場でそれを形にするつもりはなかったのだが。
自分には「非」は無い、のに親御さんに随分と酷い追及をされたことが過去にあった。
その時のことを、これを書くために思い出そうとした最中、あの時の感覚が蘇り、本当に泣きそうになった。
なんで、俺はあの時、あんなにつらい思いをしなければならなかったのか・・・。
もうちっともダメで、昔話だから書けると思った事象さえ、具体的に書くことを躊躇するほど、わたしは何も書けなくなっているし、「本音」を書くことを恐れている。のが、今の自分の心境だ。
もはや、こうなると最後に残されたのは、内心の自由のみで、自分は相手の顔色を伺い、いい人を演じるしか術はないのか!?という心理に陥るほど、疲弊し切ってるということは、何とか書ける。
本業の、それを生業にしている作家とは、本当に大したものだと思う。
そうしたことを上手く、面白い見せ物にするためには、技量が必要なのか、と。そう思わされた。
わたしが今、それをしようとすると技量が不足し、または具体的なるポタージュみたいなものなら書ける気がするのだが、時代の風潮を気にして、しかもそれは一体誰なのか?というのが分からない状態でこれを・・・。
もはや、これは思考の負のループでキリが無い。
ただ、自分は面白いと思うものは、生物であればあるほど良いと思っていて、それをやろうとしたのだが・・・。
で無ければ、その思ったことを創作物にしてしまって、人の共感を呼ぶもの、それも多くの人に理解してもらわなくても良い。自分以外にも同じようなことを感じている人がいるのだ、と何処かにいるであろう自分と似た人に刺されば、それで満足であるのだが、それさえも出来ない今の状態が「苦しい」。
・・・という日記のような、厳密には「自分のための記録」を残したくて、今こうしてキーボードを叩いている。
・・・なんか、こんなことではダメだと思う。
自分はどうしたらいいのだろう??
それがわかるまでは、口を紡ぐしか無いのだろうか。
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