この五年のこと③

家に帰れない三日間、普通に仕事はしていた。仕事に来ていたAさんとも普通に、平静を装って話をしていた。

その期間、喋り相手はAさんしかおらず。妹とメシを食う時に「最近、どうなん?」と聞かれ、初めて自分の正直な気持ちを口に出来た。

思い詰めていたのだろう。

妹を不安がらせるつもりは無かったが、理屈で考えて自分は居なくなった方がいい。つまり死んだ方がいいという話が自然と出そうになった。

別に死にたいと思ってる訳でないのに、周りの状況を考えると、自然とそういう思考に陥った。


居なくなればいいと思ってる、という言葉を口にした後、これはさすがにやばい。そう自分でも気が付いたので、話を途中でやめたがその意思は妹にもう伝わっていた。

ちょうどその翌日がクリニックでの診察の予約日だった。

病院には、自分の状況を心配した母と妹が付き添ってくれた。

その時の自分は、もう自分でものを考えることが出来ない状況にあって、事情は家族に喋ってもらった。

医師は「一ヶ月の休養を要する」との診断書を書いてくれた。


父は俺の休業を容認してくれて、その期間に自分の進退について考えろと言われた。

しばらくは何も考えずに時間を過ごしていたが、約束の一ヶ月が迫った頃「無理だな」と思った。

父に雇用され、その個人事業のお手伝いをするという関係は今後も変わらないので、父の考えが変わらない限り、俺は持たない。死んでしまう。そう思った。


辞めると自分の意思を伝えた時、父に憎まれ口を叩かれた。

Aさんは、結局何に対して怒ったのか分からないままだった。

事実確認も無しで、たとえ親子であろうとも、雇用している者を叱責するのはフェアではない。

これはパワハラに当たるのでは、と法テラスに相談したこともあった。

しかし、相談を聞いてくれた人に言われたのは「確かにパワハラに該当するんですが、そうなると裁判を起こすこと以外に訴える方法が無くなるので。親子で裁判すると、いろいろ大変ですよ」。そう言われたので、訴訟は諦めた。


そこから五年の時が流れたのだけど、仕事を辞めた翌年、自分は母のたっての希望で職探しを始めた。

しかし年齢も年齢で、年齢に見合ったスキルも持ち合わせていなかったので、なかなか就職は厳しいだろう。そう思っていた。

クリニックに行った時もそんな話をしていたら「A型作業所に行ってみては?」と提案された。

聞きなれない言葉だと思うけど、作業所というのは障がい者が社会復帰を目指して働くような場所のことを言う。

自分はもう既に生きている意味を見失っていたので、どのように社会と関わりを持てばいいのか分からないでいた。

そんな自分に作業所はお似合いなのかも知れない。と、相当失礼な、上からなことを思った。

そう思って、三年ほど前から作業所の世話になり始めた。

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