苦し紛れ

わたしは今、とても苦しい。

・・・それは身体的な苦しみなのか、純然たる、一見他の人が見ても分からない、心の苦しみなのか。そのどちらかというと、両方だ。

その苦しみを少しでも軽減できればと思い、これを書いている。


いわゆる「心の病」というやつに罹ったのは、およそ10年前のこと。

当時、わたしは「近畿経営協会」という名の、個人が経営する事業に正社員として雇用され、お手伝いをさせてもらっていた。

それ以前は、まったく別の会社の勤め人をしていたのだが、転職の話を持ちかけてきたのは、うちの父だった。

実は、その事業を営む人(今はもう故人)と父は親戚だったようで、誰か身内の葬式でひさびさに顔を合わせ、こんな話を聞いたそうだ。

「自分はもう歳で・・・後継者、つまり跡取りを探している」

しかし、その家の子どもは娘しかおらず、その人個人の考えで自分の娘にはよその家庭に嫁いで幸せに欲しい、という思いがあったようで、息子の代わりとなって、自分の事業を継承する人を探していたようだ。

うちの父も会社を経営していたのだが、父は主義として自分の身内を会社に入れるということを考えてなかった。うちの父は、創業社長なので、息子にも会社を起こして、成功させて欲しいという思いがあった。

わたしは当時、片田舎の平凡なサラリーマンとして、とある零細企業に「務めていた。

ある日、父がわたしの携帯に電話をかけてきた。

うちの両親は当時、すでに離婚をしていて、一緒に暮らしてなかった。

「おいしい話があるんやけど、お前ひまか?」

そう聞かれて、時間を合わせ、晩メシを一緒に食べた。

「実はな・・◯◯って人が親戚におったやろ?あの人の葬式に出た時にこんな話があってな」と、跡取りを探している旨を説明された。

もう10年も前の話なので、はっきりとした記憶はないが、なんでもその事業というのは、社会福祉法人だとかそうした組織団体をターゲットにした、紙の帳簿を通販で販売してる事業を、長年営んでいるのだそうだ。

経営者であるK氏は、それ以外にも保育園だかの園長をやっていた。

社会福祉法人やらに疎いわたしには、ちっともピンと来なかったのだが、父はさらに説明を続けた。

どうも社会福祉法人とやらは、国だか自治体だかの助成金を受けることが出来るようで、助成金をもらうためには行政が決めたフォーマットに則って、帳簿を提出しなければいけないらしく。一般企業の会計がやっているのとは、また違った形で確定申告みたいなことをしなければ、助成金がもらえない、ということなのだそうだ。

ところが毎年のように法律やらが変わり、帳簿に記載しなければならない項目が変わることもあるらしく、それが漏れていると助成金がもらえない、なんてこともあるのだそうだ。

その事業を立ち上げたK氏は、そういったことに詳しく、「この帳簿のとおりに申告すれば、きちんと会計ができ、助成金がもらえなくなることもなくなりますよ」みたいな、その業界専門の帳簿を独自に印刷し、通販という形でそれを販売していた。

そのK氏は、他にも事業をやっていて、どちらかと言えばそちらの仕事に専念していて、朝と夕の二回、「近畿経営協会」には顔を出す程度。

通販なので、基本的には電話とFAXで取引先から注文が入り、その日のうちに発送をすればいいのだから、始終その場にいる必要がない。

おまけにそのK氏の嫁も「近畿経営協会」の社員として働いてる体となっており。しかし、内実は朝8時半に来て、タイムカードを押し、少しそこの社員と世間話をして、会社の目の前にある自宅に帰り、家事をやり。夕方前には戻って来て、またタイムカードを押す。

それで、確か・・・年600万円だか、そんなもんの給料をもらっていたように記憶する。旦那は経営者だし、もっと給料を取っていた。

そんな感じで、バイトみたいな奴が2〜3人いれば、事業そのものはまわっていたようで。

今はどうだか知らないが、その事業は最盛期で1億とか売り上げてたらしい。10年前の頃でも、さすがにPCが普及してたので、紙の帳簿を専門にやっているその事業も、売り上げは徐々に厳しくなっていると聞いてはいたが。

まあ、はっきり言って「おいしい話」であることに違いはなかった。

自分はほとんど会社に顔を出さなくても、一千万円とかそれ以上の給料を手にすることが出来る。こんなおいしい話はない。

「どうや?お前、そこの跡取りやってみいひんか?」

わたしはふたつ返事でその話に乗りかけたが、気になる点があった。

その会社にはすでに従業員がいるのに、何故その人たちが跡取りとなって、事業を引き継ごうということにならないのだろうか?という疑問だった。

「いや、それがな、三年ぐらい前に『跡取り候補』として雇用した人がおったらしいんやけど、まったく使いものにならん人やったらしく」

「その人はまだその会社にいるの?」

「Kさんもええ人やから。その人、家庭もあるし、クビにするのはかわいそうという理由で雇い続けてるらしい」


嫌な予感しかしなかった。

そんなもん、自分は何年も前から、それも当初は跡取り候補として期待されて入社した人にしたら、急に入って来た若造が「今日からわたしが跡取り候補として、お世話になります」なんて挨拶をしたら、どんな気持ちになるだろうか?

そんな簡単なこと、誰でも容易に想像しうる話だと思うんだけど、うちの父にはそれが理解できないらしく、わたしが難色を示すと「なんで、お前はいつもそんなふうに消極的になるんや?」と叱責された。


しかし、そこは親である身の、何というか愛情なのであろう。

自分は会社を立ち上げ、成功をさせた。

自分の息子に、そのような体験を味わって欲しい。という思いから、幾度となく「どうや?あの話について考えてくれたか?どうするんや?」と電話をして来た。

その電話がいい加減、しつこくて、わたしは面倒に感じ、「ええわ、そんな言うんやったら、あんたの言うとおり、やってみいひんとわからへんとも思うし、やるわ!!」と半ば、ヤケクソ気味に、跡取り候補として、その仕事のお手伝いをすることになった。

そこでわたしは、冒頭に書いたように、その職場で心の病を発症するわけだが、入社するまでのくだりでこんなにも行数を使ってしまった。つまり長く書きすぎた。

ので、一本の記事で書き切るつもりだったが、次回へと持ち越そうと思う。


それより何より、今は心と身体ののしんどさがおさまらず、これ以上、長い時間をかけて文章をタイピングするのがつらいから、いったん終わりにしようと思う。


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