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会社辞めるまでのあれこれ

書きはじめたワケ


この度新卒で入った今の会社を辞めることにした。
途中育休で休んだりもしたけど、丸4年所属していた会社だ。

いい機会だし今の会社であったあれこれを将来思い返せるようにしたいな、と思い小文にまとめることにした。

せっかく未来の自分のために書くラブレターなので、自分が後々読み返したとき、懐かしさを感じつつ、ちょっと苦虫嚙み潰したような顔をしながらも最後には笑い飛ばせるような文章にしたいな、などと考えている。

「辛いことも楽しいこともいっぱいあったこの会社を卒業します!」みたいなキラキラした、最後にそれさえ言えば全部大団円、ハッピーエンドちゃんちゃんに出来ると信じてる、前しか向いていない、みたいなのはフェイクなフィクションだと信じてるし、多分追々僕が読み返しても全く血肉を感じられないだろうから、極力キラキララミネートは取り除いて書きたい。

でも記憶って美化されるしな、多少の嘘や脚色はご愛敬。

 

構成としては全4回。こんな感じでいこうと思ってる。

1.灰色、戦力外の時代(1年目冬~2年目冬)

2.ボンクラ、もがきの時代(2年目春~4年目夏)

3.育休時代(4年目秋~5年目春)

4.辞めるまでのあれこれ(5年目春)

 無論変わるかもしれない。これはあくまで予定で人生先のことなんてわからないのだ。

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灰色、戦力外の時代

2021年の年頭、僕は営業から事業戦力系の部署に移った。

外コンのパートナーを、当時のうちの社長が引き抜いてきて作らせたその部署は、停滞したビジネスモデルの改革やデジタルの高度化などをミッションに掲げ、各部署のエース社員を集めて鳴り物入りで立ち上げられた、なんとも華々しい組織だった。

僕がそこに放り込まれたのは、理系で院卒だったのが珍しがられたのか、内定時か研修のときの評価がよかったのか、はたまた別の要因かはわからないが、初期配属の営業はくそくらえと思っていたしこれはツイてると思っていた。最初のうちは...

 

・とにかく仕事ができない

恥ずかしながら僕は僕が期待していたよりずっと仕事ができなかった。

今考えると理由は大きく2つあったんじゃないかと思う。

 1つは自分が几帳面とは真逆の人間だったことだ。

異動当初振られた業務は、Excelで何千何百行にも及ぶ表を作ることだったり、委託先が出してきた数値をチェックすることだった。

僕は自分がマメな人間ではないことを自認していたが、その特性を、ざっと全体像を掴める要領の良さの裏返し、くらいに捉え特段気にしてこなかった。(実際それまでの生活では致命的に困ることは少なかった)

僕が社会人になるまでいた世界は、下世話な言い方をするとアスペかADHD予備軍のような奴らがマジョリティだったような環境で、異常にだらしなかったり、はたまた異常な執着があったり、何かしら難があるのが珍しくなかった。 (僕もADHDの特徴である不注意性や衝動性が強いのだ…)

しかし、僕と同じ世界にいた彼らの多くは、これまたストレートな言い方をするとあす勉強がめちゃくちゃできるのでイイトコロの大学、イイトコロの企業に入ってなんとかやれている(ように傍からは見える)ので、自分もなんとかなるだろうと、実はそういった性質は社会ではデメリットとして強く作用しないのだと、そんなふうに楽観的な理解をしていた。

話を戻すと、そうした僕のお気楽な考えは新しい部署で打ち砕かれ、案の定ミスを連発した。

話が逸れたが、もう1つの仕事ができなかった理由は、もう今となっては白状するのだけどサボりまくっていたからだ。

完全テレワーク、かつ会議はほぼなく朝と夕方にチャットか簡単な会話のみで、ITコンサルとかSIerみたいは働き方だった。(実際マネージしてくれていた人はその方面出身の方だった)

自分がやっている仕事の背景や裏事情も、そもそも何をやっているかもよくわからないまま、野放し的な管理がなされた結果、僕はサボれるときは大いにサボった。

会議は1年目とは思えない図太さで大体が耳半分に聞いていた。

100行確認しなければいけない数値は2-3行だけ確認して、残りは建築士の勉強とかをしていた気がする。

要は元から注意力散漫な上にやる気がなかったのだ。そりゃ仕事できないわな。

おかげで後でまた出てくるが、超几帳面で馬が合わない上司からはかなりキツめに詰められ、余計にやる気をなくすという悪循環に陥っていた。

 

 

・価値を見いだせない業務に頭がおかしくなる

上で出てきた仕事のやる気が低かった理由にも繋がるのだが、与えられた業務は退屈にしか思えないものだった。

仕事はつまらなくて当たり前とか、それを面白くゲーム化するのが大切とか、基礎的な雑務ができるようになるとやりがいのある仕事を振られるようになるとか、そういった能書きは当時の僕も頭では理解していたと思うが、とにかくそのときの僕にとっては“今“が退屈でしかなかった。

実際内容は今考えてもちょっと酷くて、あまり詳しい記載はしないけど、上司のミーティングを一字一句書き起こす通称文字起こし(平気で1日3-4時間かかる)だったり、Appendix行きが決まっている、恐らく誰にも見られないであろうグラフや数値を散りばめたスライドを100枚作るなど、

きっとこういう坊主の雑巾がけ的なノリの下積みはどこの業界でも珍しい話ではないと思うが、辛かった上に別にこれらの作業が今のところ何かに活きた、ということはない。(活かせるほどの学びを得られなかった自分の失態でもあるかもしれない)

ただ当時の同志とあのときは辛かったねと笑えて、酒の席の肴にできるくらいだ。

また稼働時間も冗談みたいに長く、かつ不規則だった。
ルーティンとしては定時までにスタッフ総出で仕上げたデータや資料を持って、上司が部長に夜、当てに行く。
その間に僕たちは飯を食べたり風呂に入ったりする。
会議が終わるのが8時か9時、するとそこから例の一字一句の文字起こしが始まり、日が変わらないくらいに上司に提出する。大体はこれで済むのだが、大事な商談や社長報告の前は夜中にもう一周同じサイクルが走り、朝までに提出、みたいになる。

一度酷い時は3時まで全員で作業をして、じゃあ次は明朝5時から会議しよう、みたいなことになっていた。

また定時後もいつ何時指令が飛んでくるかわからないので、同棲を始めた彼女と焼き肉屋に行くときにもパソコンを持っていき、鉄板の隅で肉が焼けるまではパワポを触っていた。

例えばアニメ制作会社とかでブラックな労働環境が取り沙汰されるが、あのやりがい搾取的環境から“やりがい”だけを奇麗に取り除いて仕上げてみました、みたいなそんな印象だった。(もちろんもっとハードな環境で働いている人はいっぱいいるだろうけど、こっちはゆるふわJTCライフ送るつもりで入ってるんだから高低差ギャップは超激しい)

おまけに上司のことが心底苦手だった。

個人を悪く書くのは気が引けるし、実際恨んでも憎んでもないのでなるべく悪態はつかないようにしようと思うのだが、外コンでマネージャーをやっていた上司は、コンサルの上司が往々にしてそうであるように(業務上は)人の心がないんじゃないかと思うような詰め方をし、ごりごりと自己肯定感を削った。

ひとつ、今でもよく覚えているその上司の言葉がある。

文脈は覚えていないが、グループでとある指標の定義をどうするかディスカッションを行っている中で、その上司から「お前は今後もう発言しなくて良い」と言われた。要するに戦略外通告だ。

その言葉を引き出したこちらのパフォーマンスは相当酷かったのだと思う。

実際頑張れていなかったので非を感じていたし申し訳なさもあったのだが、その時の僕は頑張りたくても頑張れなかったのだ。

これまで生きていて、頑張りたいのに頑張れない、みたいな感覚は感じたことがなかった。それは酷く自尊心を傷つけたし、焦りもあったが原因も改善策もわからず、小さく奮起しては空回りしてすぐ落ちてくるのを繰り返し、ただただみじめな気持ちだったのをよく覚えている。

それに上司は上司で、優秀だが鬼のようなこれまたコンサルでパートナーをやっていた部長と、前職時代と比べると圧倒的に熱量も能力も低いJTCプロパー社員の部下の板挟みで相当ストレスフルだったはずだ。

高プレッシャーの中、誰よりも一番睡眠時間を削って働き続けていた姿は敵ながらあっぱれ、などと思っていた。

・それでも営業には戻れない

エース社員がかき集められたらしいこの部署は、一方でめちゃくちゃに休務者が多い部署でもあった。

かわるがわるで常に誰かしらがメンタルが疲れて休みに入り、復帰したと思ったら数カ月後には別部署に旅立つ、というのが日常だった。

自分が休まなくて済んだのは何故か、今思うと運が良かっただけな気もする。

条件だけで言えば、労働時間的にも人間関係的にも休みたくなっても良さそうなものだったが、今度は逆に性根が不真面目だったこと(周りを見ていても、真面目な人ほど辛そうだった)が救ってくれたような気がする。

加えてもう1つ、営業には戻りたくないという気持ちが楽になりたい自分を押しとどめた。少なくとも異動時点での会社からの評価や期待は低くなかったはずだ。ならばここは耐えて、評価が下がらない時点までは持ち直さなくては。そんなことを思っていた気がする。
結果、耐えれたのはあくまで運が良かっただけだが、続けていなかったら今の自分はなかったし、もちろん過去を綺麗ごとにはしたくないけど、続けられて、運が良くて、ただ良かったなぁと思っている。

 

そんなわけで明るさ0の、憂鬱でしかなかった社会人2年目は終わるのだった。


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