マリと開運と私 2022/12/31 はじまり

物心つく頃には私は宇宙人の存在を信じていた。
それどころか、自分は宇宙人から実験台として人間に預けられている何かなのかもしれないと思っていた。
なぜか、母親のことは実の母のような気がせず、世間的に私の母となっている人は、宇宙人から頼まれて私を育てているのかもしれないと思っていた。
母子家庭で団地住まいの、2人暮らしの狭い家の中で、母が1人になることができるのは、お風呂に入るときだけだった。
その時間が宇宙人に私のことを報告する時間なのではないかと思っていた。
部屋のどこかには監視カメラがついていて、1人きりで部屋にいるときにも誰かに見張られているかもしれないと思い、常に他人に見られているつもりで行動していた。
それから何十年も経ったが、宇宙人が私を迎えに来る気配は無い。

小学生時代のある日、学校へ行く通学路で友達が
「昨日のテレビ観た?」と聞いてきて、その番組を観なかった私に内容を説明してきた。
1999年に地球が滅亡するのだと。
教室に着くと、皆その話題で持ちきりだった。
私は観られなかったことをとても悔やんだけれど、
『ノストラダムスの予言』についての番組はその後幾度となく放送され、
私も内容を知ることができた。
とても興味をそそられた。
予言についての本をいくつか買って読み、心から予言を信じていた。
霊感などなく、霊も神様も妖精も妖怪も、何ひとつ不思議なものを見ることは出来なかったけれど、もともとそれらの存在は信じていた。
自分は宇宙人だと思うくらいだし。
だからもちろん、超能力も予言者も信じていた。



地球は1999年には滅亡しなかった。
でも、あくまで予言の解釈の仕方が少し違っただけなのだと今も思っている。
今後、いつ、何が起こるかはわからない。


人生ではうまくいかないことが続いている。
幸せそうな人を妬むことがよくある。
『オーラの泉』という番組が放送されていたとき、毎週欠かさず観て、
励まされていた。
私も前世を知りたいと心から思った。
こんなにうまくいかない人生なのは、
前世で何かをしでかしてしまったからに違いない。
今世で罰を受けてるのだ。
私は何をしてしまってこんななのだろう?
今世で、何をすれば許されるのだろう?
何を学べといわれているのだろう?

そんな私だが、手相を見てもらうと、
「あなたは将来、2件くらい家を建てることができる」などと言われ、
「耳たぶが大きいから、きっとお金もちになれるはず」などと、
友人や知り合いから言われたりもする。

オーラの泉で私を救ってくれた言葉は、
美輪明宏さんの『正負の法則』だ。
良いことばかりが続いたり、悪いことばかりが続くことはない。

でも、なかなかに良くない事ばかりが続くことから抜け出せないでいる。

仕事がうまくいかず、こどもは思い通りにならず、
お金は貯まらず、借金ばかり増えていく。
離婚した後にパートナーが現れることもなく、「どうしたらいいの!」と叫びたくなることが数十年続いている。
自殺を考えるほどでもないし、
自己破産するほどでもない。
でも、お金も時間もない生活から抜け出せないし、
心の支えも得ることができない。


スピリチュアル的なことをいろいろと信じていながら、
「こうすればいい」ということをなかなか実行に移すことがない。
トイレを綺麗に。
断捨離をすれば、新しいものが入ってくる。
満月の夜に月に向かってお財布をふればお金が入ってくる。
手相に「こうなりたい」と思う線を書いておけば、そうなる。
などなど・・・
知識はあるのに、忙しさを理由にして『続ける』ことができない。

2022年も12月に入り、急に思い立った。
「来年からは気持ちを切り替えて行動してみよう!」
言い訳だけして、何年無駄な時間が過ぎていったんだろう?
いつまでもくすぶっていられない。
いつかはやってやるぞ!と思ってきたのに、
なかなかその『いつか』がやってこないのは、自分が変わらないからだ。


まずは下準備として、数年使わなかった物を捨てはじめた。
なかなか物を捨てられない私。
そして、断捨離をするために物に向き合う時間もとれない。

20年程前に、叔母の家の引っ越しを手伝った。
押し入れの奥の奥から、もう30代になったいとこたちの幼稚園バッグや帽子が出て来たり、叔母が中学生の頃に使っていたノートなど、
「よくこんなものいつまでもとっておいたものだ」と感心する…というより呆れるものが山程出て来た。
叔母はそれらも捨てずに新しい家に持って行った。
もともと叔母は片付けが下手で、遊びに行くと家の中はいつも散らかっていた。
そんな古い物たちが押し入れを占領していたのだから、
物をしまう場所がなかったのは当たり前だと思った。
60にもなって、中学生の頃のノートを大切にとっておいてどうするんだろう?
と、少し心の中で笑っていた。

ところが、叔母の年にだいぶ近付いてきた今、
私は小学生の頃の日記や作文までとってある。
記憶力の良い私は、小学生時代がそんなに昔に思えないでいる。
でも、叔母のことを心の中で笑った20年前の自分を思い出すと、
今家にあるもののほとんどはゴミなのだ。
昔の思い出の物は、一通り目を通したら捨てることにした。

『今の生活に必要ないけれどまだ使える』という理由でとっておいてある数々の物達は、とりあえず捨てる覚悟でフリーマーケットに出品しよう!と決めた。
『いつか使うこともあるかも』と思いしまっておいて、
10年以上は経過している物だ。
『使うことはなかったけれど未使用の物』をどうしても捨てるには至らない貧乏性なのが本当に残念な私。
そして今まで
「そういえばあれがあるはず」と思い出しても、
必要な時にはどこにしまったか忘れてしまい結局新しいものを買ってしまう経験もしてきた。

片道3時間かかるフリマ会場にて、売り上げ度外視のほぼ100円ショップ状態で、車1台分の物達とお別れをした。


マリは高校の同級生だった。
1年生と2年生のとき同じクラスで、一緒にコピーバンドも組んでいた。
そのときのバンドメンバーとはなかなか集まる機会も減ってしまったが、
今でも連絡は取りあっている。
そのひとりであるマリ。
東京の有名女子大に進学し、有名企業に勤める男性を射止め、
その彼の転勤でインドに行っていた。
3~5年で戻ると言って行き、最初の数年間は帰国する度に連絡をくれていたのに、ここ数年は音沙汰がなかったし、連絡先もわからなくなっていた。
コロナウイルスの影響があるにしても、もう海外赴任してから10年以上経ったのに、まだインドから戻れないのだろうか…?

コロナも落ち着き、数年ぶりにグループのみんなで食事会をした。
マリはどうしているのだろう?と皆に問うと、Aが答えた。
「今関西に住んでるよ。離婚して再婚して、幸せそうな様子をFacebookに載せてるよ」と。
私はFacebookはやっていない。
それにしても、日本にいるメンバーでグループラインを作っているのだから、そんな情報があるならすぐ知らせてくれればいいものを…
とりあえず、食事会の写真やメッセージなどをマリに送ってくれるよう、Aに頼んだ。
そして、グループラインにも参加してくれるように誘ってもらった。
その後すぐにマリがグループラインに参加してきた。
Aはなぜすぐ自分からそうしてくれなかったのか…?
もともと気が利くタイプではなかったけれど。

2022年10月に、グループのひとりBのお父さんが亡くなった。
彼女は家族仲がとても良く、お父さんの死をとても悲しんでいた。
関西に住むマリが、
「年末年始に帰省するから、大晦日にBを訪ねたい」という連絡をしてきた。
私はマリの足になることにした。

インドに行っている間に何が起こって今に至っているのか?
本当はその事実を知ったときにすぐにでも聞きたいところだったけれど、
そんなことをLINEでやりとりするほど暇ではなかった。
『電話したら、数時間はかかってしまうかも…
いつか会えた時に直接聞こう。
それにしても、関西に住んでいるのでは、いつ会う機会が持てるだろう…』
そう思っていたので、すぐにやってきたその機会を逃すわけにはいかなかった。
大晦日という、一般的な普通の家族は忙しい日であること理解しながら
興味を抑えることが出来ずにいろいろな話を聞いた。
ヨガのインストラクターの資格をとったこと。
それによって出会うことになったスビリチュアル的な力を持つ人のこと。
その人の言葉によって、新しいパートナーと出会えたこと。
元の夫とも円満に別れて、今も家族として付き合っていること。
つい長くなってしまった話の途中で、マリの元夫と現在のパートナーからそれぞれに電話がかかってきた。
彼らは2人とも、マリの実家でマリの帰りを待っていた。

「年明けからは行動を変えていこう」と急に思った私が、
大晦日にこんなマリに再会できたことには必ず意味があるのだと思った。
最後にマリは言った。

『月』を意識して生活すること。
願いは思うだけではなくて書き出すべきだということ。
夏至や冬至はパワーをつけられる日なのだということ。
朝飲む水や白湯には
「今日も1日私にパワーを下さい」と願うこと。
朝か晩に、頭を真っ白にする時間をちょっとでもいいからつくること。

忘れそうだから、知らせて欲しい、と言うと、
じゃあ連絡するね!と答えてくれ、ハグをしてくれた。
私はわけもわからず涙が込み上げてきた。

来年、私は必ず生まれ変われる!と確信した。
そして清々しい気持ちで新しい年を迎えることが出来た。


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