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わたしのおばけ②
(この記事で、普段は元気っぽいあの子も、こんな症状を抱えているのかあ、なんて、少しでも目に見えないものを感じてくれる人が増えたらうれしいです 🤲🏻)
「ごはんたべいこう!」
人と会うとき、基本的にこの会話からはじまることが多い。その度、すこしだけ、上手に笑うことができなくなる。
私は中学生の頃からパニック障害の症状に悩んでいる。電車とかバスとか、教室内が特に苦しくて。正直ものすごく、言葉では表せないくらいキツイなあ、と思うことを経験してきた。
かれこれ10年近く付き合ってきているから、一生続くのだろうなあ、なんて割り切れるようにもなってきた。
外食が苦手になってしまった理由のひとつだとも思っている。
・飲食物が飲み込めなくなる
・手の震え
・急な吐き気
・めまい
・頭のふらふら
・お腹の違和感
上記のようなことが本当によく起こる。
誰と居ても、お腹が空いていても、食べたい!美味しそう!と思って入ったお店でも、ダメな時は本当にだめで。
なんだろう、空間とか人とか、そうゆうのが気になって、動悸がしてくる。
特にはじめてのお店だと緊張(?)してしまうせいか起こりやすい。
店員さんちょっと怖いな、とか
並んでいたから早く食べなきゃかな、とか。
そうゆう、まわりのなにかが気になってソワソワする。
もともと食べるスピードが人より遅めだから、尚更、迷惑かけないかな、、という不安に駆られる。あとは、生粋の胃下垂だから、腹部の違和感がすごくて、それもすごく不快になる(心配で高校の時に胃カメラ飲んだけど異常はなくストレスと診断された)。
外食をすると、店員さんとか周りの知らない人だけではなくて、一緒に居る友だちのことを考えてもどきどきハラハラ。
もし症状が出たらどうしよう、
待たせちゃったらどうしよう、
そんなことばかり考えて負のループ。
お店に入るまでは元気だったのに、顔色が悪くなっていることもバレたくないから必死に笑顔取り繕う。家に帰るとどっと疲れてしまう。
デートとかは、正直ドライブとかが理想で。
もともとアウトドアが好きなのもあるけれど、テイクアウトしたものを公園で食べる、みたいなそうゆうことがしたい。
そう、テラス席とかピクニックとか、外の空気を吸えるような食事はだいすき。開放的な場では少しばかり症状が出ない気がするから。
好きな人とかなかよしな子になら話してみてもいいかな、って毎回思うけれど、どうしても、分かってもらえない怖さが勝って拒んでしまう。
パニック障害のことも、正直あまり人には伝えていなくて。最初の頃はまわりの子に言うようにしていたけれど、理解してくれる人は少なかったし、正直そりゃそうか、とも思って諦めていた。
外食の症状に関しても、きっと、まわりからしたら、訳の分からないことなんだろうなあ、と。。美味しいものを目の前に、吐き気がしたり喉に通らなくなったり、そんなことあるの?
そんな風に思われることが怖い。
けれど、外食への怖さが頭によぎって、一緒にいる人との空間だったり時間だったりを素直に楽しむことができなくなってしまっているのも事実。
症状のことを気にしてると更におかしくなって、食べるスピードが倍遅くなるからこれまた負のループ。脳内はパンク寸前あたりまえになっている。
人と会う前は処方されている薬を飲むようにしているけれど、謎のプライド(多め)で本当は飲みたくはない。飲まない自分でありたい。けれど飲まざるを得ないくらい、まだ外食への抵抗は拭えていない。(薬を飲まなくても大丈夫なときもなくはない)
もともと食べること自体はだいすきで、お家とか、通い慣れた落ち着くお店とか、そうゆう場での自分はかなりの大食い。胃下垂だから、食事をした1時間後にはお腹が空いちゃうみたいな、コスパ悪い女だって家族にいわれる。笑
家で食べるラーメンがすきなのも、それにつながっている。
だから、だからこそ、本当は食べられるのにたべれない、ってそれがすごくすごく悲しくて辛くて。少食って思われるのも何だかすごく嫌で。(謎のプライド)
だけれどダメな時の自分はどうしてもコントロールすることができない。
空間もひとも、においも食感も全部ぜんぶ吐き気に変わってしまう。だんだんと手が震えてきて、胸の動悸でどうにかなってしまいそうになる。焦ると冷や汗がでて、でも、人にバレないように繕って。美味しいものをおいしいと思えないことも辛くてたまらない。
お店やSNSで楽しそうに食事をしている人を見るとうらやましくなる。
喉に通らなくなるのは食べ物だけでなくて、お水もそう。頭がふらふらするから、首を押えていないとお水すらも飲めなくなってしまう。
お水に関しては、中学生の頃からパニック障害の症状が出ると水筒のお茶が飲めなくなっていたから、それと同じだと思う。トラウマかな。
そう、外食だけでなく学校のお弁当も同じようなかんじだった。だから、放課後更衣室でひとりで食べたりしてた。それを笑われたこともあったけど、仕方ない仕方ないって自分をなでなでして精神を保ってた。
ぜんぶがトラウマとか不安なきもちからきているし、気にしなくていいことを気にしておかしくなっているのも自分で分かっている。
わかっているのに、その場にいくと私がわたしでなくなってしまう。
人って、予想していなかったことが起こるよりも、予想してたことが起こる方が怖かったりしませんか?
友だちが自分を脅かそうと、そこの角に隠れているのを知っているときの方が、かえってビックリしちゃう、みたいな。
症状はぜんぶ私のおばけみたいなもので、いうなればわたしの心は事故物件だから、出てきそうで怖い、その繰り返し。繰り返してるとどんどん恐怖は増して一つひとつがトラウマになる。
わたしも、みんなともっと楽しくご飯に行きたい。何も気にせず空間を楽しみたい。
それで、ダメはだめなりに、たくさん挑戦してきた。逃げてても何も変わらないってことをパニック障害のおかげで知ってたから。
私にとっての挑戦は、とにかく外食の場数を踏むこと。友だちの誘いを断ったことはほとんどないし、自分からもたくさん誘ってみたりした。以前記事に書いたように、怖いことの最上級を試したくなる、度胸のようなものが幸い備わっているから、ひとりご飯もたくさんたくさん行った。人に迷惑かけたくないって理由も相まって。
本来頑張るようなことではないかもしれないけれど、私にとってはエネルギー消費の激しいことの連続だった。
もちろん、症状がでてしまって、マイナスで不安なきもちの時の方が多いし、帰り道、訳が分からないくらい涙がでることもある。
でも、早く食べるとか、完食しなきゃいけないとか、そうゆうことが正解じゃないような気もしてきて。
なぜだかそこにとらわれているから私はおかしくなるんだって考えたら、すこしだけ楽になって。楽になると、自然ときもちよく完食できたりする。
パニック障害もそうだけれど、自分でじぶんの首をしめてる感覚があるのに、何故か手を離すことが出来ない、でも、それをやめることができれば症状は緩和されるんだろうなあ、とも思えている。
ひとつだけ、この症状に出会ってから良いことがあった。それは、自分のしあわせのハードルが下がったこと。
最後までたのしく、きもちよく、心地よく食事を楽しめた日の感動は言葉にできない。余韻ったらありゃしなくて、なぜだか一緒に居る友だちに抱きつきたい気持ちになる。とってもしあわせなきもちで、うれしくて、寝る前に涙がでることもあるくらい。
だれかとご飯に行って楽しかった、
そんな、簡単かもしれないことに、私は満点のしあわせを見出すことができる。
わたしって変だな〜なんて思うときもあるけど、もう、全部ぜんぶが私でしかなさすぎて。神経質すぎるところも、そのせいで心が参っちゃうところも、そのおかげ(?)で小さなことの感動が大袈裟なほど大きくなってしまうのも、まるごとぜんぶ受け止めていかなきゃな、って、そう思えるようになってきた。
社会人になったらもっと食事をする機会が増えるだろうし、克服できる日があるのかどうかも正直今の時点では分からない。
けれど自分にもっとやさしくなってみよう、それが今後の大きな課題だなあ、なんて思いながらゆっくりたくさん、挑戦を重ねてみようと思います。
ただ、普通になりたい。普通の定義は分からないしきっとそんなのはないけれど、少なくとも症状の出ない、たのしい食事が増えますようにんじん...
sheep.
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