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近刊『終末期ディスカッション』序章その1

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まもなく刊行となる『終末期ディスカッション』から,序章(その1)のご紹介です。医療従事者,非医療従事者,すべての方へ。近い未来のあなた自身かもしれません。「もし自分だったら」と想像しながら読んでください。

その1
あなたは10年前に心筋梗塞を起こしカテーテル治療を受けてから,「心不全の悪化」で入退院を繰り返しています。前回入院してからは息切れのせいで歩くのが大変で,枕やクッションを肩と頭の下に敷いて上半身を高くしないと息が苦しくて眠ることができません。最近主治医の循環器内科の先生が利尿薬の量を増やしてくれました。前回の入院ではCCU(coronary care unit:冠動脈疾患集中治療室)という病室で,顔に空気を押しつける特別な呼吸のマスクと,「バルーンパンピング」という機械で治療を受けました。3日間はじっと我慢して動くことも許されず,本当につらい経験でした。主治医の先生は「退院できたのが奇跡」と言っていました。「前回の入院で死んでいてもおかしくなかったということなのであれば,自分の余命はあとどれくらいなのだろう」と,最近は時々考えるようになりました。外来で主治医の先生に聞いてみたいけど,先生は「頑張りましょう」といつも励ましてくれるし,何となく気が引けて聞くことができません。

あなたは夜中に胸の痛みで目が覚めました。胸と喉を締め付けられるような重たい痛みで,この痛みは10年前に経験があります。あごもしびれています。少し我慢していたのですが,冷や汗と動悸が止まらず,吐き気もしてきました。家族に救急車を呼んでもらいました。

かかりつけ病院の救急室で当直の循環器の先生から,「急性心筋梗塞という状態なので,すぐにカテーテルによる治療が必要です」と言われ,すでに何度か経験のあるカテーテル検査と治療を受けることになりました。痛み止めの点滴で,痛みは少し我慢できる程度になりました。
カテーテル室では2人の医師とその他数名のスタッフで治療をしているようです。主治医の先生がいてくれれば心強いのですが,さすがに夜中なので主治医の先生らしき顔は見えません。部屋の外には医師の指示で機械を操作している人がいます。右腕の内側に,チクッとした痛みがありました。前回のカテーテル治療のときと同じように治療が進んでいるのがわかり,ようやく気持ちが落ち着いてくるのを感じました。
あなたが寝ている台のまわりを,大きな土星の輪のような機械が動き,「ピピピピピ」という高い音が鳴るたびに医師たちが何かを話しています。
「…サンシともきびしいな」
という言葉が印象的でした。いろいろな音色のアラームがうるさくなりはじめ,あなたは少し不安になりました。息が苦しくなり,目の前が暗くなりました。医師たちが何か叫んでいます。「ぱーふぉ」とか「血圧が」とか言っているようです。なにか乱暴に病衣が剝がされました。右足の付け根を消毒しているのか,冷たさを感じたところまでは覚えていますが,その後は意識を失いました。

あなたは名前を呼ばれる声で目を覚ましました。起き上がろうとしましたが誰かに両肩を強く押さえつけられました。「危ないから寝ていてくださいね」と言っています。どうやら看護師のようです。口と喉に何かが入っているので取ろうとしましたが,両手を挙げることができません。両手と右足がベッド柵に縛られているようです。
「ここはCCUという集中治療室です。いま人工呼吸器と他の機械を使って治療をしていますからね」
看護師が耳元で話してくれたので,あなたは事態を理解しました。口に入っているのは人工呼吸器の管です。
「またCCUか…,この状態をいつまで我慢すればよいのだろうか?」
あなたは不安になり,一生懸命,看護師に話しかけようとしました。しかし話そうとすると自分の呼吸とは関係なく喉の管から肺に向けて乱暴に空気が送られてきます。あなたはパニックになりました。
「今お口の中に管が入っているので話すことはできませんから我慢してください」
看護師が大きな声で言っています。耳元で「ピッピッピッピ」という音がした直後に強烈な睡魔に襲われ,眠ってしまいました。

次に目が覚めたときには,自分のベッドのまわりであなたの家族が心配そうに立っていました。
「頑張ってね,もう少ししたらこの口と足の管が取れるみたいだからね」という家族の言葉に少し安心しました。顔が痒いのでかこうとしましたが,両手が縛られており,手を上げることができません。「管は抜かないから手を縛るのをやめてほしい」とあなたは伝えようとしましたが,伝えられません。せめて紙か何かに字を書いて伝えられないかと口を大きく「か・み・と・え・ん・ぴ・つ」と動かしましたが,気づいてもらえません。人工呼吸器が乱暴に空気を送り始めました。また耳元で「ピッピッピッピ」という音がなり,目の前がぼんやりしてきました。「この音は麻酔薬か何かを注射している音なんだ…」とあなたは遠のく意識のなかで理解しました。

あなたは悪い夢を見ています。なぜかあなたは中世のヨーロッパにおり,衣服を身につけることを許されずに幽閉されています。右足は鎖でつながれています。床や天井には小さな虫が無数に這っています。口に猿ぐつわをかまされており,舌と口の中にずっと痛みを感じています。牢屋の外から数人の監視人たちが冷たい目であなたのことを見つめながら,わけのわからないことを話しています。
「いつまでぴーしーぴーえすを…かてちゅうにおこったことだから…まくがつまるまでは…」
あなたは悪い夢なら早く覚めてほしいと思い,牢屋の柵をつかんで叫びました。耳元で誰かが叫んでいます。
「落ち着いてください‼ あなたは今,A病院の集中治療室にいます。心臓の動きが悪いので機械で治療しています。危ないので手と足は動かせません。わかりますか?今は12月3日の朝です」
「…あーそうだった…自分は絶望的な状況にいるのだった」
あなたは思い出しました。12月3日ということは,胸が痛くなったのが11月の半ばだったからかなり長い間こうしていることになります。眉間が猛烈に痒いのでかこうとしましたが,両手は縛られており,まったく動かすことができません。
「もうこんなのは嫌だ‼自分は死んでもいいからひもをほどいてくれ‼」と,心のなかで叫びながらできるかぎりの力で両腕を動かそうとしました。その直後にいつもの「ピッピッピ」という音が鳴り,意識が遠くなりました。

毎日がこのように過ぎていきました。娘が心配そうに覗き込んでいます。娘の顔を見ると少し落ち着きました。しかし,面会時間の制限があるのか,すぐにいなくなってしまいました。
「自分はもう助からないのではないか? これは延命なのではないか? たとえ助かるのだとしても,もう耐えられない…最後くらいは手を縛られず,家族に頭をなでられながら,体をさすられながら,手を握ってもらいながら静かに死にたかった」
涙があふれてきました。
「つらいと思いますが,治療なので頑張ってくださいね」
耳元で看護師がささやきました。
「頑張る? いったい何のために? 誰のために? 何を頑張る?」
あなたは絶望感と同時に猛烈な怒りに襲われ,体を起こそうとしましたがすぐに2人の看護師に両肩を強く押さえつけられました。「ピッピッピ」また例の音が鳴り,意識がなくなりました。

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本書は,意思決定のジレンマについて,経験と知識が豊富な医師Aと,自分なりに解決方法を日々模索しながら診療を続けている医師Bという2人に登場してもらい,その対話を通して,患者とその家族が「これでよかった」と思うことができる意思決定支援をどのように行っていくかについて解説します。「患者中心の医療」のために,正しい悩み方を一緒に考えていきましょう。

則末泰博
(東京ベイ・浦安市川医療センター呼吸器内科部長/救急集中治療科集中治療部門部長)

https://www.medsi.co.jp/products/detail/3823

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