贖罪

出張で大阪に戻っていました。
移動日も設けられていて
ゆとりのあるスケジュールだった。
どうしてもしたかったことが…私にはある。

今年の2月のこと。
部屋の中身を整理してたら、
出てきた…高校のアルバム。
気付いたら作業を止めて
目に止まった高校のアルバムを眺めてた。
ふと思い出した、恩師のこと。

その恩師は、担任になったことはない。
2年間、現代文を教わっていただけだった。
年齢は還暦前後。でも心は若々しかった。
「教師としてまだまだ発展途上!」
って言っていた。
向上心はもちろん、可能性を自ら作り出していた。

先生の現代文の授業は大好きだった。
でも現代文の読み方とか、
この文からの意図はほとんど教えてくれない。
様々な解釈、多角的な物事の見方を教えてくれた。

それを境に、文を読むのが大好きになった。
日本語って面白いな、って思った。
その文章を通じて、
勉強よりも大切なこと、色々教わった。

休み時間や放課後の時に色々な話をした。
当時の私はトラブルメーカーだったので
心配して話をよく聞いてくれた。

その時に言われた、
「話の組み立てや伝え方が上手い。
そういうことを生かせる職業に就いたらどう?」
という言葉が忘れられない。

特別な環境で自信崩壊していた私に
「これか!!」と力を与えてくれた。

あっという間に卒業式を向かえた。
出席日数はギリギリだった。(苦笑)
恩師には多くは語らなかった。
「人として一人前になってから行きます」
って言って去った。

勝手にプレッシャーを掛けていた。
誰にも公言していないし、
勝手に破っても何も罰則も無いけど、
自分自身を追い込んでいたら
あっという間に5年が経った。

大学の進路報告も一切しなかった。
クラスの間では死亡説も流れたし、
さすがに3年の担任は怒っていたらしい。(笑)

許可を頂いて職員室に行った。
何も変わらない姿で私の恩師は居た。
5年間も行かなかったことを謝った。
近況も報告した。名刺も渡した。

「社会人になって
訪問してくれるのは珍しい」だってよ。
そうなんだね。大学時代はあってもね。

「ちゃんと頭使って
考えて生きてきたんだね」だってよ。
とにかく生きるのに必死だったんだよ。
だから意識してやった記憶は無い。

「感謝出来るのも才能」だってよ。
私にとっては当たり前だと思うけど。
私自身は本当に無力なんだし。

本当に温かく迎えられていただいて、
幸せを感じることが出来ました。

「親がこれだけ親身に接してる。
そりゃ育つよ。」だってよ。
私だけでなく親のことも褒めてくれた。
そこにお世辞は無いでしょう。

結局、半人前に届いているかも微妙ですが、
多少は形になれたことを
報告できたので良かったです。

還暦越えたが教師としてまだまだ発展途上、
熟するのはこれから。って言ってたな。
私も負けてられないな。さてと。



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