座談会 連帯でつかんだ勝利 〜長崎性暴力裁判が示したものは〜

放送レポート299号(2022年11月)
吉永磨美 前新聞労連委員長
明珍美紀 元新聞労連委員長
松元ちえ メディアで働く女性ネットワーク

 長崎市幹部が女性記者に性暴力をふるったことで、女性記者が原告となって長崎市を相手にたたかった「長崎性暴力裁判」。今年5月に元原告勝訴の判決が出て、長崎市が控訴せずに確定。後日、田上富久市長は元原告に面会して謝罪した。
 この裁判は新聞労連の組合員が長崎の市民と連帯して支援の輪を広げた。中心を担った3人に、一連の経緯を語ってもらった。(編集部)

▲勝利判決で垂れ幕を掲げる吉永さん(右から3人目)たち (長崎地裁前・22年5月30日)

被害を語り出した女性たち

明珍 最初に元原告の女性記者から私に連絡があったのは、被害にあってそれほど時間が経っていなかったときです。私は新聞労連の委員長(2003~04年)だったことで「新聞労連では性暴力の被害者に関する調査や取り組みがありますか」と聞かれました。実際に会ったとき、長崎では記者に対する性暴力があり、自身が被害の当事者であることを話してくれました。「所属組織に被害を申告するかどうか」など、どのようにこの事態に対応していくかを一緒に考えました。といっても、相談というよりは、お茶を飲みながら、話を聞くことを重ねていました。
 元原告が日弁連に人権救済を申し立てて、日弁連が2014年2月に市に謝罪と再発防止策を求める勧告を出しました。ところが、長崎市は受け入れを拒否したので、元原告は最後の手段として裁判で闘うという気持ちを固めつつありました。ちょうど「メディアで働く女性ネットワーク(WiMN)」が設立されたときだったので、代表世話人となった松元ちえさんに、この件を相談したのです。
松元 2018年5月にWiMN発足の記者会見をした直後に明珍さんから電話を受けました。10年以上前にあった女性記者への性暴力被害事件は聞いたことがありますか、と言われて、私は事件のことをまったく知らなかったので罪悪感を抱いたことを覚えています。その後、明珍さんと、私と元原告と中野麻美弁護士の4人で、提訴する場合に検討する事項について相談しました。
 元原告は、市による虚偽発言や週刊誌報道による二次被害にあっていたことから、今回はそれをいかに防げるか、という点を話し合いました。私は労働争議の経験はありますが、性暴力、しかも支援者に対しても当事者の匿名性を保証することや、メディアによる二次被害を防ぐことについては経験がありませんでした。WiMNはメディアで働く女性たちが立ち上がった全国組織なので、何かできるのではないかと思いました。ただ、組織的な支援ということになると、やはり労働組合の力が必要だということと、メディアで働く労働者の権利と安全に関することですので、労働組合で取り組むべきだろうということで合意しました。
 元原告の匿名性を守る必要があったので、労働組合関係でも女性で信頼できる人ということで、2018年4月に新聞労連の女性集会で出会った吉永さんに話をしました。
吉永 2018年の女性集会の前に、財務省事務次官によるテレビ朝日の女性記者に対するセクハラ問題が起きました。こういう実態は、これまで明らかにされてこなかったし、それを女性記者の方から被害を訴えるというムーブメントが起きた。そういった中で、元原告と私たち女性記者の仲間がコミットしてスタートしたということが大事だと思います。
 裁判でいちばん障害になるだろうと思われたのは二次被害です。当時は今以上に被害者差別が強くて、訴える側が叩かれるという心配があったので、そういう現象自体がおかしいということを、声を上げて取り組んでいかなきゃいけないということになりました。新聞労連に裁判支援を要請する前に、2018年12月に、MIC(日本マスコミ文化情報労組会議)主催で、松元さんと私と、当時の新聞労連委員長の南彰さんと、中野麻美弁護士をパネリストに招いて、二次被害の問題性に関するシンポジウムを開きました。そういう土台を作り上げた上で、新聞労連が、加害当事者が勤めていた長崎市を相手に交渉を始めるという経緯があったのです。そして元原告も、そういう労働組合活動の中に一緒に入って行ったのです。
 新聞労連の女性集会はもっと前から企画されていたものでしたが、たまたま財務省のセクハラ問題の発覚と同時期でした。そこで、やはり表に出ようということになりました。そういうタイミングだったので、女性集会にはメディアの取材も入りましたが、そこで参加した女性組合員たちみんなが、顔出しで自分たちの被害を語ったのです。
 メディアの人がメディアに取材されるということには抵抗があって、新聞労連の中でも賛否が分かれたのですが、女性の組合員たちから「今しかないから、今言わなきゃダメだ」と訴えたのです。自分たちの持っている問題性を自分からちゃんと社会に広めたというところを共感してもらえた、と思っています。取材している側の記者たちも過去同じような経験を持っている人たちで、取材する側と取材される側が連帯していたように感じました。

タイミングが重なった

松元 それはいろいろな段取りがあって、初めて実現できたと思います。そうでなければ、記者会見をやったとしても、報道されず、当事者が勇気をもって発言した事実はなかったことにされていたかもしれません。私自身はかつて労働争議をたたかいましたが、相手が大手報道機関だったために、週刊誌3誌以外は裁判についてはどこも報道してくれませんでした。マスメディアに不信感を持った経験です。しかし長崎裁判は、女性記者自身が声を上げていることが広く報道されたので、報道する側の連帯行動が成果を見せるかもしれないと期待しました。
吉永 機が熟していたということはありますね。大事に考えていたのは、女性だけの問題として終わらせないように、男性も含めて性差を超えた人権問題だというスタンスを、新聞労連として取ったということがありました。全国紙、地方紙とも、警察や行政当局の幹部らからのセクハラなどの被害は報じていなかったわけではありませんが、メディアで働く当事者が自分たちで声を上げるということがありませんでした。
 新聞社でも、取材先からのセクハラが我慢ならないという声が女性記者から上がっていて、自分でそのことを記事にしたい、と編集局に持って行って、記事にすることを拒まれたケースもあるし、実際に記事になったケースもあります。そういう動きが若い女性記者の中から出てきているし、セクハラの問題が労働組合が取り組むべき労働問題として取り上げられるようになってきたということもあります。
明珍 私が新聞労連委員長の在任中には、セクシュアルハラスメントなどの被害の当事者が組合に相談に来たことはなかったと思います。フリーランスか正社員の記者かにかかわらず、取材先からハラスメントを受けていることに対して、本気で向き合わなかったために今もまだ続いているという反省があって、これをどうにかしないと被害はなくならないという危機感があったと思います。
 それと、元原告が何年も前に被害にあって、この間なんとか体力も回復してやっと動けるまでの元気が出たというところと、ちょうどタイミングが重なった。やはり一定の時間が必要ですよね。それに、日弁連が長崎市に勧告を出したのに、市は何もしなかったことに対して次はどうしようかと考えていたのと、財務省のセクシュアルハラスメント事件発覚がたまたま重なったという事情もあったと思います。
吉永 それも、明珍さんが元原告とつながって、さらに女性記者たちとつなげてくださいました。それと、MICが財務省の問題を受けて、加盟各単産に呼びかけて7~8月に「セクシュアルハラスメントに関するWEBアンケート」を実施したのが大きかった。その後いろいろなところで使われていますが、あれで実態が明るみになったのも「自分一人の問題ではないんだ」と思えることになったと思います。政治家や警察・検察、行政の職員など取材先からセクハラを受けたことがあるという人が8割に上るという、はっきり数字として出てきたのです。
 アンケート調査なのでかなりのものが数字で出て、被害の内容もさまざま出てきた中で、これは組合員に限定した調査だから、やはり労働問題としてしっかりこれを捉えるべきだというふうになった。取材時の女性記者への性暴力、セクハラは、わたしたちメディアの職業において、構造的な問題が噴出したものです。新聞労連としては、労働課題として、自分たちの問題として解決する方向に向かいました。

▲日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)が実施したアンケート結果より

当事者を中心にして

松元 もう1つ重要だったのは、新聞労連だけでなくWiMNのメンバーも合同で勉強会を開き、裁判の争点や報道の仕方について学習を重ねながら、社会に向けて情報を発信しつづけたことです。事件を風化させないための取り組み、かつ常に先手を打っていたという点では運動としては珍しく成功した例でした。正しい情報を出していったことで、さらなる二次被害が避けられたのだと思います。
吉永 そのために繰り返し会議を開いたりしていました。元原告から言われたのは、今回の運動は、元原告である自分のことを中心にしてくれた、自分の意見をしっかり聞いて、絶えず確認しながら、そのうえで運動を作り上げてくれた、ということでした。
松元 元原告の匿名性を厳守し、当事者を置き去りにしないということを確認しながら運動を立てていきました。その中で、労働組合の仲間を核に、複数の人が二次被害を繰り返さないための策を一緒に考えてくれました。
吉永 それから、長崎の市民の人たちと一緒に考えて、市に要望書を持って行ったり、声明を作ったりしましたが、主体的に、機動的に動けたのも、労働組合だからできたと思います。
 新型コロナウイルスのためにオンラインでの会議などが増えて、そういうデバイスも利用しながら、全国に向けて勉強会や会議を開催できたということもありました。また長崎の現地のメディアも、温かいというか、元原告を守っていこうという気持ちの中で取材してくださいました。これが本当のジャーナリズム、被害者、弱い者に寄り添うという本来の姿で報道していたのだと思います。
 今回、労連でいちばん気を使ったのは、やはり取材対応でした。取材する側にも悪気はないと思いますが、取材によって傷ついたり、変な報道のされ方をしたり。ただ、難しいところですが、報道してほしい、この問題をちゃんと社会に出したいというのが、元原告の思いでもあったのです。そこで事前に、報じる側がどういう見識を持って報じるのか、性暴力被害とはどういうことなのかということを、弁護士や研究者などの専門家からちゃんと聞く機会をあえて作っていくということも、機会を捉えてやっていました。
明珍 元原告は、被害を受けた直後に、こういう被害があったということを、市の職員などに伝えていました。でも、それに対して市は対応をしようとしなかった。長崎市長の田上さんは当時、性暴力の加害者であった市の幹部だけに事情聴取をして、被害者には何も聞かなかったのです。被害者のほうから話を聞くのは当然なのに、それを全くしなかったということが、元原告の心に大きな傷になりました。
吉永 裁判後、元原告から「本人が前に進みたくないのか進みたいのか、絶えず確認してくれた」という言葉を聞きました。当事者の気持ちを考えずに支援者が先走ってしまうことをしないようにセーブをかけながら、私たち労組や弁護士の支援者の姿勢が原告中心だったことに安心してもらえていたのではないでしょうか。
松元 今、私が思い出すのは、ブラック・ライブズ・マター(BLM)共同代表のアリシア・ガーザさんが書いた『世界を動かす変革の力』にある言葉です。彼女は、運動の定義として「運動とは、その社会の片隅に置かれた人たちに光を照らし、中央に押し上げることだ」と言っています。これは、当事者じゃない人が当事者の意思を確認せず突っ走り、先頭で旗を振って目立ちたがったり、自分の功績や名声のために運動をさらっていってはいけない、という意味なんです。それは決して当事者のエンパワーメントにはならず、逆に力を奪うこと(ディスエンパワーメント)になってしまい、本末転倒です。当事者は常に主体でいなければならず、それをみんなで支援する――。こうしてはじめて運動は実を結ぶのだ、と強調しているんですよね。
明珍 他の裁判でも言えることですが、訴訟に持ち込まれたとき、「裁判闘争になったのだから、弁護士に任せたほうがいい」と一歩、引いてしまう傾向がみられます。当事者である元原告も、自分たちが争っている内容についてきちんと把握し、どのように闘うかを学んでいくことが大切なのですが、なかなか難しい。けれども、今回の裁判は、元原告自身が裁判資料などを読み込んで弁護団の弁護士たちと時間をかけて話し合い、意思疎通を図ったことが大きかったと思います。もともと、この女性記者は、ジェンダー問題などの分野について関心がありました。だからこそ「性暴力は人権侵害だ」ということが、早い段階から認識できていました。言い換えれば、問題の核心を把握する力を持っていた。弁護団、元原告そして労働組合が対等な関係で連帯することができました。
松元 新聞労連にも中央執行委員の特別女性枠ができたことで、女性の組合員が動きやすくなりました。特別枠がなかったころは、新聞労連に女性の組合員がいることさえわからないくらい女性の姿を見ませんでした(笑)。特別枠ができたことで、新聞労連の女性たちが一緒に裁判の資料を読み込む作業を買ってでてくれ、どこが問題か、どこを追及すべきかを話し合ったり、経験のある人たちに裁判の陳述書を書いてもらったりと、組織的に取り組むことができました。

これが労働組合の存在意義

吉永 裁判に勝てた要因の1つには、女性組合員が能動的な活動を繰り広げられたことがあったと思います。陳述書に加えて、労働組合の活動の成果、例えばセクハラアンケート結果など、あらゆるものが証拠資料になりました。この問題は、仕事に絡んだハラスメント、性暴力です。だから、仕事の業態をよくわかっている人が、どうして断り切れないのか、といったことを、利害関係なく説明できる労働組合員という立場から伝えられたことが、証拠として採用されやすかったのではないかと思います。
 だから、元原告の主張していることは私たちみんなの主張なんだ、という表明が、労働組合が主体的に裁判に関わった結果としてできた。おそらく、労働裁判で勝つための1つの典型パターンを生み出した、ということが言えると思います。同じ職業だからこそ言える説得性、そういったものが裁判官の心証を左右したんじゃないかと。この人だけの問題じゃない、構造的な問題なんだ、と訴えることができたのだと思います。
松元 元原告は自分で車を運転して、加害者を乗せていったと言われていました。それについては「運転をしていた方が悪い」と責められるわけです。それこそ「強姦神話」です。長崎地裁の裁判官は3人とも男性でしたから、その点については、女性記者の多くが自らの職務のあり方やそこでの力関係、性暴力やセクハラの被害経験を語ることで、業界内における問題の普遍性を示さなければ理解できなかったと思います。
吉永 取材を受けるというのが前提で、話すから話せる場所まで運転してよ、と言われたら、わかりました、と自分の車に乗せることは当然ありうることだと思うし、ましてや市の幹部はおかしなことをする人ではないというのが前提です。それが私たちの労働現場では当たり前だということを、組合によって集団的に裁判所に伝えられたということですよね。私たちの仕事を理解してもらうという意味で、労働組合が力を発揮した場面だと思います。
松元 集団的に元原告である被害者の言葉を信じた、ということですよね。それが根幹。そうでなければ支援はできないと思います。組織的にその信頼が積み重ねられたということのようでした。
吉永 支援という意味でも、みんなが自分の問題なんだ、と捉えられたから、組織内でもぶれがありませんでした。勝訴判決が出たときに、新聞社の編集局で喜びの声が上がったという話を聞きましたが、みんなが自分のことのように思って注視してくれていたんだなと思って、非常に嬉しかったです。
明珍 長崎地裁での判決後の記者会見に女性記者が姿を現すと、男性記者を含めて、みんなが温かい拍手で迎えました。私もその場にいましたが、これが労働組合の存在意義であり、みんなで闘うことはこういうことなのだ、と胸が熱くなりました。
松元 事件は性暴力でしたが、問題の核心はやはり現場における権力対報道機関という、報道の問題です。その点でも、権力とは組織的に対峙でき、その上にあの判決内容を勝ち取れたということは、後にも影響する大きな成果でした。
明珍 加害者は、長崎市という一地方自治体の部長級の職員でしたが、とはいえ行政の幹部です。さらにこの事件では、首長の態度があいまいだった。自治体とどう闘うかという問題について、メディアで働く人々が、バックアップしたことは大きな力になりました。
吉永 報道各社も、最後には長崎市長に「どうしてこういう対応しかできないのか」と詰め寄っていました。市側は裁判で、被害者にも問題があったという責任相殺論を持ち出しましたが、その問題性も記者がちゃんと理解して、市長を追及していったのです。
 そこに、地元の新聞社である長崎新聞や、他のメディアも参加する長崎マスコミ文化共闘会議も支援して、もともと一緒に支援してくれた市民も相まって、地元で市民も巻き込んだ大きい流れを作り出したのだと思います。

匿名でたたかった意味

松元 報道も、事件発覚当時と、判決の頃とでは180度違っているように思います。加害者や権力側から提供された情報をそのまま伝えるのではなく、弱い立場に寄り添った報道、いい意味でのメディアスクラムを組むことができたのではないでしょうか。
吉永 今回、勉強会も何回もやって、個別取材についても、すべて元原告と労働組合で仕切って対応しました。「自分だけ特ダネ書くぞ」といった、フライングのようなことは許さないということも、今回の事件の特性を各社が理解してくれました。
明珍 吉永さんたちの素早い行動、たとえば、署名集めにネット署名の「Change.org」を使うなど、あらゆることをやりましたよね。これも効果があったと思います。
松元 労働組合の運動では、部外者に向けて当事者を匿名にするということはありますが、支援する単組など組織の内部に対しても匿名で通すことは、ふつうありえないことです。長崎裁判においては、元原告のことをほとんど知らない人たちが、当事者の顔や姿が見えなくても支援したのです。それを可能にしたのは、みんなが「自分ごと」として捉えることができたからではないでしょうか。
吉永 そして、それに対して文句を言われることも、ほとんどありませんでした。元原告を支えようというところが前に出ていたのは、新聞労連という産業別組合だからこそ成しえたと思います。新聞労連の仲間たちが組織として支援する方針を固めたんだから、みんなで応援しようという土台があったと思います。
松元 被害者が匿名であるとはどういう意味なのか――。例えば、間違って本人の素性を明かしてしまったとする。それが、当事者の身に危険を及ぼすことになるかもしれない、ということを理解できる職種の労組だったからかもしれませんね。だからこそ、ここまで来れたのかもしれない。
明珍 地元では、労働組合が、地域の人々の協力を得ることが必要だ、と積極的に動きました。元原告だった本人、弁護団は、長崎の支援体制を強固にしたいと、女性団体の主要メンバーに声をかけました。
吉永 2018年の女性集会のとき、女性の組合員が全然表に出てないし意思決定層に入ってない、会社もおかしいけど労働組合こそおかしい、という話になった。それで終わりにしないで、新聞労連の運動方針に入れて、女性の組合役員を3割以上にするとして、女性役員の特別枠を設けたのです。
松元 長崎裁判は個人の争議であるけれど、それを応援するのは自分のことでもあるからですよね。実際、今は自分の身に起こっていなかったとしても、いつか起こりうることかもしれない。そう理解する必要がある。マルティン・ニーメラー牧師の言葉(※)に通ずるものがあります。争議が解決すれば他にも広く波及することですから、関わることで自分自身も元気になりますよね。組合も活性化していく、ということを訴えながら実践していくことが大事ですね。
吉永 できるだけフラットに、それぞれの役割がそれぞれの立場で尊重されるような運動を意識しました。元原告も、自分が声を上げたことで今苦しんでいる人の後押しになればいい、と言っています。いい形で次のものに繋がっていくことを期待します。

※「ナチスが共産主義者を連れさったとき、私は声をあげなかった。私は共産主義者ではなかったから。
 彼らが社会民主主義者を牢獄に入れたとき、私は声をあげなかった。社会民主主義者ではなかったから。
 彼らが労働組合員らを連れさったとき、私は声をあげなかった。労働組合員ではなかったから。
 彼らが私を連れさったとき、私のために声をあげる者は誰一人残っていなかった」

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