取材陣は現地で何を教えられたか

雲仙・普賢岳の忠告

放送レポート112号(1991年9月/10月号)

雲仙・普賢岳の噴火災害報道のために全国各地から島原半島に入ったテレビ・ラジオのスタッフたちは、いったいどんな取材体制のもとで仕事をしていたのかー。
その実態とスタッフの意識をつかむために、民放労連は現地入りしたスタッフへの緊急アンケートを実施した。
272人のスタッフから寄せられた13項目にわたるアンケートの結果は、分析をまって次号で紹介することにして、今号では、そのアンケートの最後に添えられた次のような質問への、スタッフたちの熱い思いをいくつかの項目にまとめて紹介する。
〈事故・災害取材の危険を少なくするために、自分や仲間たちの経験でつかんだ「ここに注意しろ」「これだけは忘れるな」「ここを改善してほしい」といった教訓を書いてください。〉

●正確な情報を常に前線へ

▼現地に入ると“灯台下暗し”といった状況で、正しい情報が少なく、不安になることが多い。前線本部はひんばんに新しい情報を有線・無線連絡によって全スタッフに伝え、安全を第一とした本部判断を行うべきだ。
▼無知こそ恐ろしいものはない。今からでも会社、責任者が専門家を招いて、充分な講義を聞くべきではないか。
▼現地のタクシー運転手は、「5月26日の火砕流で作業員が火傷を負って以来、恐怖感をもちはじめた。ところが外部の人は何も知らずに来るので不安に感じた」と言っていた。現地の状況は、地元の人に聞くのも1つの方法だが、各社共同して専門家に聞く機会も考えられていい。
▼火砕流の危険について、専門家はもっと詳細な資料を出して事前に訴えるべきではなかったか。私たちももっと慎重な態度で取材に臨み、その危険性を住民に知らしめるぐらいの知識と報道姿勢が必要であった。
▼全く無知だった。火砕流は、風の強い日のグランドの土煙くらいにしか考えていなかった。もし現場にいれば、自分も同じことになっていたろう。
▼素人判断がいちばん危険。専門家のアドバイスを踏まえての取材がのぞまれる。
▼充分な人員で現地に行き、連絡専従の要員を置いて、常に本部や気象台、役所等との情報交換をはかること。
▼みんな土石流の話ばかりで、火砕流についての知識不足のまま最前線にいた。退避用一斉指令無線と連絡方法が不備だったし、退避を指令する者もいなかった。
▼取材の後半でトランシーバーが配られたが、最初から欲しかった。あの地域は移動電話の通じない地域が多いのだから。
▼無線や移動電話が、電波状態が悪いためか、うまく通じないことが多かった。せめて備品は満足できるものを支給してほしい。
▼山に入ると無線も電話も通じなくなるので、連絡系統をシステム的に考える必要がある。

●何よりも大事なのは命だ

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▼仕事が大事か、命が大事か、忘れないでほしい。
▼より迫力のある映像をというのはわかるが、命あってのものという認識をきちんと持つべきだ。
▼使命感を全うすることも大切。しかし、一歩手前で退く判断力が命を左右する。
▼取材にある程度の危険はつきもの。少なくとも市民がいる間は逃げ出すわけにはいかない。取材競争を全くなくするわけにはいかないが、どこかで、”退く”勇気が問われる。それを決断するリーダーは現地の人間だ。キー局の連中にその能力はない。
▼勇気ある撤退も必要だ。自分の身は自分で守るしかない。
▼仕事に不安、危険を感じたら、すぐ逃げること。せっかく撮った好素材も、炎に包まれてしまっては灰になるだけだ。我が身が第一!!
▼命が第一ということを、いつも確認しておく。逃げるのは恥ではない。
▼自分だけでなく、同行者にも家族のいることを忘れるな。
▼業務命令といえども、危険が迫った場合には職務をすてて逃げること。現場のことは現場の人間でしか分からないのだから。
▼記者は誰でも必ず「自分は死なないはず」と思っているが、危険な場所では先ず「死なないこと」を第一に考えるべき。
▼前に進むことは易しいが、後に下がるのが難しいのがENGクルーの悲しさ。現場に近づけば近づくほど怖さを忘れてしまい、避難のタイミングを失してしまう。 「ここから先は入るな」という会社トップの指令が重要だ。
▼どんな高価な機材より、人命が第一。
▼回りにとらわれず退く時は退く、出る時は出るという判断が必要だが、そのためには正しい知識が不可欠。

●危険に対する想像力を

▼火山災害の前例がないためか、ふだんの取材と同じ気持ちで取り組んでしまったようだ。取材に臨む前に、全社的に「危険」に対する認識をもつこと。
▼危険に対する想像力! 現場では、これが最も重要なことだ。
▼全日程を通じて、「安全な場所というのはない」と実感した。
▼島原周辺で安全な場所などどこにもない、という基本的認識が必要。従って”命がけ”という覚悟と、それに応じた装備が必要になる。
▼危険について判断を下すのは、最終的には自分だけだ。危険なときには身を退く勇気を!!
▼常に逃げ場所を考えながら進むこと。
▼今回の災害について、現場の判断で行ったもので会社の指示命令下の取材災害ではない、としている会社もあると聞いた。会社は、報道が常に危険と向かい合わせにいることを認識せよ。
▼取材は、いつも危険と同居している。”安全な取材体制”なんて欺瞞だ。結局、自分の身を守るのは自分にすぎない。

●空撮と夜間取材は慎重に

▼とくに避難勧告地域に入れなくなってからは、各社競ってヘリコプターで火口に近づいて取材を行っているが、その危険性はきわめて高い。空撮そのものを控えるべきではないか。
▼自衛隊のヘリですら不時着する状況下で、空撮を多用するのは問題だ。
▼夜間の災害取材に1人で行かせるのは危険。昨年の台風のとき土砂崩れの撮影に行き、泥に足をとられて身動きできなくなったことがある。夜間のため災害の規模が全くつかめず、避難する方向さえ見失ってしまった。
▼どんなに熟知した場所でも、夜間は危険が数倍増すと思え。まして知らない土地での夜間取材は、慎重の上にも慎重にすべきだ。

●細心の準備と警戒心を

▼現場の危険の度合い、状況などと一切関係なく本社が取材を発注する以上、現場の独自判断で撤収を行わない限り事故はなくならない。しかも、現場に出れば臨場感ある映像を求めて無理をしがちであり、今後とも、現在進行形の報道をやめない限り事故はなくならない。現に、事故後の上空をヘリで取材したときも、立入禁止区域で取材する人を見かけた。6月3日の事故が教訓になっていない社や個人がいまだにあるようで、残念だ。
▼最初の事故は避けられなかったとしても、2次災害は絶対にあってはならない。火砕流の事故のあと、すぐ現場近くまで入って撮った映像をいくつか見たが、こういう取材は絶対に命じるべきでない。
▼6月3日以降、目立った変化がなく、各社とも現場に長く入り浸っている状況は、あまりいい傾向とはいえぬ。デスクとしては「何かあったら、すぐ逃げろ」ではなく、はじめから現場に近づかせない指示を出す勇気も必要だ。
▼長期間の滞在の場合は、例えばヘルメットをかぶるのを怠るなど、警戒心がゆるみがち。取材の後半こそ注意が必要だ。
▼マニュアルについて再検討はしたものの、何もない毎日がつづいていると、つい緊急時の対応を忘れがち。しかし確実にXデーは近づいていると思われる。これから現地に入る人には、日1日と危険が増していることを頭の中へたたき込んでもらいたい。
▼あれだけの犠牲者を出した当の取材班が、その後の安全対策に対して腰が重く、現在も信じられない態勢をとりつづけていることに、まだ分からないのかという気がする。
▼危険とわかっていながら敢えて踏み込んで行くならば、連絡系統、避難手段は徹底して確立しなければならないが、今も全く出来ていないように思う。データ収集に力を入れ、それが瞬時に現場の人間に届くよう、会社は、人間の配置、機材の充実のため少しの労力も資力を惜しんではならない。
▼緊急時に、どのような行動をすれば良いのか、全く打ち合わせがない。もちろん、その後の避難方法についても。もしも……が起こったら、どうしてよいのか判らない。

●長時間労働は判断狂わす

▼立ちレポ、ENG取材、夜中の火砕流監視、本社への素材送りなどに加え、種々の雑用にも追われる毎日だった。危険な場所での仕事には、もう少しクルーを増やし、各々が目のとどく仕事をしていけるようにすべきだ。
▼24時間取材体制をしくなら、時差シフトをつくってスタッフを疲労困ぱいさせないことだ。
▼1週間75時間の残業といった余りにも長い勤務は解消すべき。心身ともに疲れると、いざというときの判断がにぶる。

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▲避難地区住民のための仮設住宅建設工事

●住民忘れて何が報道か

▼災害報道は、常に現地住民の生命と財産生活を守る立場でなされなければならない。ニュース番組とワイドショーとのあのギャップを見ると、その立場がすべての報道で堅持されているのかどうか、疑問だ。
▼一部の取材スタッフが、無断で避難民の家に入って電源を使用したなど、あってはならないことだ。
▼噴石が降った6月12日の午後、山が膨張しているとの情報で、取材班は一目散に諌早へと避難した。しかし、そこで暮らす島原市民は、その程度の情報で避難するわけにはいかない。結局、マスコミ各社は市民の不安な表情を尻目に逃げ出す結果となった。町の人と運命を共にする覚悟がないのなら、取材する資格もないのだ。
▼権力側に対しては取材せず発表記事ですませ、住民側に対しては避難場所の体育館にまで入っていって取材するとは、どういうことか。住民感情を逆なでしないためにも、記者クラブでやっているように、住民代表に対して取材したらどうか。

●災害にスクープは必要か

▼A社はこんな土石流の画、B社はあんな火砕流の画、と取材合戦はエスカレート。取材スタッフは、もっといい画をとねばり、たとえ危険だと思っても何とか避難できると自己暗示に陥ってしまうのだ。
▼キー局や応援部隊が、「迫力のある画を撮ろう」とデスクや本部などをあおり、それを地元の局は抑えきれなくなっている。
▼今回の事件の最大の問題点は、亡くなられたマスコミ関係者が必然性をもって現地にいたわけではなく、無人カメラなどで十分対応できる状況でありながら、他社との競争のなかで現場に居続けなければならなかったことにあると思う。
▼犠牲者を出したあるローカル局の人がこう言っていた。
「うちは、のんびりした会社だった。こんな大きな事件は初めてなので、とても戸惑っていた。それが、他社よりも先に現場に近づくことができ、スクープだスクープだとキー局、本社ともに舞い上がってしまい、『その調子でもっと前に出て赤い溶岩を撮れ』と言われ、その結果がこれである。過当な取材競争、スクープ合戦の渦に巻き込まれてしまった。私たちローカル局は、スクープなんかより地元の人びとの信用が大切だったのだ」
▼現在のテレビ報道の映像取材は行き過ぎ。ますますエスカレートして視聴者もそれに慣れてしまい、したがってますます危険な場所に身をさらすことになる。第二、第三の犠牲者が出るかもしれない。どうすればいいのか、わからない。
▼現在のようなレベルでの報道取材合戦を再考しないかぎり、このような事故は数年たたずして、また起こる。手荒なことをして撮った映像を放送して一喜一憂するのではなく、むしろ、どうしてルール違反をしてまで撮ったかを咎める体制が必要だ。
▼“迫力ある画を”という各系列間の映像競争が、ワイドショー的な感覚で競われていた。共同取材の道はないのだろうか。
▼本来、テレビ各局が対抗意識を燃やして、報道の早さや演出的な映像を競う必要はないのだ。情報を正確に伝えればよい。正確で解りやすい報道にとって、映像は現場の雰囲気を伝えるための材料なのだ。迫力の必要はない、と心得るべきだ。
▼天候が悪化して山が見えなくなったら危険だから取材を切り上げる、という基準があったが、いつの間にかウヤムヤになってしまった。さらに、取材目的まであいまいであった。何故なら、これまで火砕流の映像は充分撮影されていたにもかかわらず、相変わらず定点撮影をさせていたのだ。現場は、時として取材合戦に巻き込まれるおそれがある。それを冷静に判断し、指示するのが本社の任務なのではないか。

●共同取材の可能性を探れ

▼たとえばA社はヘリ、B社は最前線、C社は自衛隊といったように、代表取材にしたらよい。
▼危険地帯の取材にあたっては各社協定を結び、1社が1カ所の撮影を担当して各社に分配すべきだ。同一ポイントに何台もカメラを並べることはない。
▼私たちが島原入りしたときには、多くの自衛隊撮影の映像があった。各社それぞれの取材を行うことも大切だが、これの分配など、各社共同の取材体制を考えておく必要もあろう。

●混成軍のチームワークを

▼系列局がそれぞれの思惑(ローカルニュースの取材等)で動き、各クルーの動きも十分に把握されていなかった。指揮系統を含めたチームワークの検討が必要だ。
▼同系列の間でも取材態勢(危険地域への立ち入りなど)が徹底されていなかった。報道、制作を含めて全体を統括するデスクの重要性を感じた。
▼機材・人員・情報等がまちまちの混成部隊で連繋をはかるには、現場の指揮命令体制の確立が第一。
▼ENGクルーは、混成にしてはならない。
▼大規模火砕流の起こる3日前に、現場に向かうENGクルーが火砕流の怖さについて話しているのを聞いた。その情報が交替スタッフに伝えられていなかったのではないか。混成チームのときは、とくに横の連絡を密にする必要がある。
▼ローカル局の人はキー局の人に対して遠慮しがちだが、現地の事情をよく知っている人が現場を仕切るべきだ。
▼現場に入れば、いい画を撮りたいと思うのは当然で、それをきびしく制止する姿勢がキー局に欲しかった。

●災害取材の装備と基準を

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▲太田九大島原地震火山観測所長の共同インタビュー

▼装備と必携品は、ヘルメット、安全靴、雨具、地図、スタッフのメンバー表、取材配置図、携帯無線、懐中電灯。危険地域内の立入り取材は絶対に拒否せよ。
▼現場スタッフを指揮する立場の人間は、何らかの形で取材に伴う危険について学習し、専門家の意見を聞くなどして、事前に“取材限界ライン”を設定すべきだ。
▼経験局の教訓を生かすためにも、未経験局のレベルを向上させるためにも、各局の安全取材基準の交換をはかれ。
▼取材する前に専門家の説明を充分に受け、全員に安全対策を徹底させる。火山噴火に限らず、台風などに際してのマニュアルを作成しておくことが大切だ。
▼現地の地理、いざという時の逃げ道についてもマニュアルを作り、全員に把握させること。
▼早くから無人カメラを設定するなどすれば、死者の出るような事故は起こらなかったのではないか。災害報道においては、機材的にケチらずに配置することが必要。
▼安全を守るための装備が整っていない。ヘルメットの耐用期限が2年であるということを、社は理解しない。
▼たとえ事故、災害取材のマニュアルのようなものができても、日常的にしっかりしてない局は同じことをくり返すだけだ!

普賢岳をみつめて今ー

〈頑張れ、しかし無理するな〉

 戦争取材も含め、報道活動に危険が伴うことは、完全には避けられないでしょう。本能として現場に近づきたい、と考えるのは無理からぬことですが、会社として、それをどう完璧にバックアップすするかがあまり考えられていない、と思います。「嫌だ」という人をムリヤリ前線に出せないのは当然ですが、「是非行きたい」という記者がいるなら、補償から送稿の手だてまで、八方ささえて「頑張れ、しかし無理するな」という幹の太い会社でいてほしいと思います。

〈おかしなジャーナリズム〉

 生命が大切なのか、それとも取材が大切なのか、いかに予知できなかった自然の事とはいえ、深くかんがえさせられてしまいました。「おかしなジャーナリズム」は、もうすてた方がよいのではないでしょうか。私たちマスコミのために、警察、消防団、タクシー運転手の方々まで犠牲にしてしまったのですから……。
 放送局として、社としてのしっかりした方針をうち出してほしいと思います。3人の犠牲者を出しながら、このままズルズルと責任の所在も明らかにされないまま終わってしまうのではないかと推測してしまいます。私は、会社への不信感で“とらばーゆ”したいとまで考えているのです。

〈火砕流の怖さわかっていた〉

「今回の火砕流事故の責任は、つきつめていくと、現場記者の取材力に左右された。現地、とくに九大島原地震火山観測所での取材にあたった者の責任に帰するところは極めて大だ」と、私はあえて言いたい。“火砕流の怖さ”は知りすぎるほど知っていた。
 ある時、群馬大の早川助教授が記者たちに論争を挑み、「あなたたちは、デスクが行けと言えば火砕流の先端取材をするか」と問うた。記者たちは、「行くだろう」と即座に答えた。すると早川助教授は、即座に断言した。「ならばキミたちは100%死ぬ」と。それは、5月末のことだった。

〈無知なるままその地に立ち〉

 6月3日は、いつも通り朝からレポーターとして水無川沿いの中継車にいました。前日までの大雨でスタッフの注意は専ら土石流に。火砕流が上北木場の民家の200m手前まできていることも、山張りのカメラマンの定位置が火砕流の直進コース上にあるということも、あの時点で誰もが知っていたことなのに、あの惨事を何故、誰もが予測しなかったのか−。
あのことがあって以来、誰もが“大自然の予想をこえた脅威”ということを口にしましたが、あれだけ200年前の噴火、眉山崩壊を取り上げながら、41人の犠牲者を出すまでそのことに気づかなかったことが、悔まれてなりません。8日の火砕流で中継車のいた地域も熱風にさらされてしまったことを思うと、無知なままその地に立ち、レポートしていた自分とは一体何だったのだろうと思っています。
 一部の報道で、まるでJNNのみがある種の情報をもっていて先に逃げることができたかのように伝えられたことは、とても残念です。根拠があるかの如き報道には、本当に腹が立ちました。偶然に偶然が重なり命からがら逃げてきたスタッフの気持ちを思うと、胸が痛みます。
 今後も“予測できる自然災害”などあり得ないでしょう。しかし今回の場合、マスコミ各社は起こった災害の報道ではなく、“起こる災害を待つ報道”にあまりにも躍起になってしまいました。
 6月3日から早くも1カ月以上が経ち、人々の心に「のどもと過ぎれば……」の気持ちが芽生えていないか、とても心配です。
 マスコミの1人1人が“自然に対する恐れ”をもっても、“他社に抜かれる恐れ”などもたず、安全な報道を心がけるべきだと思います。

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▲頭上に迫る噴煙をとらえるテレビの映像

〈私も取材を命じたかも…〉

 その日にたまたまそこに居なかっただけで、もし巡り合わせでそこに居れば取材を命じたかもしれないし、または現場にいっていたかと思うと、たいへん複雑な心境です。「本人が危険と感じたら退くこと」以外にないと思います。
「火砕流の怖さを知らなかった云々」は結果として全くその通りですが、火砕流を熟知しているフランスの火山学者も犠牲者になっていることから考えて、今、その言葉で悲劇をしめくくるのはいかがかと思います。

〈何も持たずに逃げた者は皆無〉

 3日の大火砕流が平地に飛び出して突進してきた時、とっさに危険を感じて「逃げろ、ここまで来るよ」と叫びながら下流の報道陣の中を走ったが、ほぼ全員が鈍い反応しか示さず、何も持たずにすぐ逃げ出す者は皆無だった。その時は我々の地点までは火砕流が来なかったが、それは たまたま であったにすぎない(現に8日には、そこもやられた)。現場最先端のスタッフの鈍感さには戦慄を覚える。あのシーンを目撃した私は、「何かが再び起こったら、報道陣は間違いなく大量の犠牲者を出す」と言い切れる。
 いくら安全システムを整えても、結局最後は、〈ギリギリの場面で各人がとっさにどう判断するか〉にかかってくるのであり、その〈とっさの判断〉のべースが「まさか自分たちは大丈夫」という楽観から脱しきれていない以上、悲劇の教訓は何も生かされない。
 対策としては、「自分ではオーバーだと思えるぐらいの対応をとる」という行動基本方針を、だまされたと思って各人が肝に銘じるしかない。それができるかどうか、見通しは暗いが……。

〈我々は火山観測隊ではない〉

 自然を相手に絶対安全なんてある訳がない。ただ運の悪さを確率的に少なくすることはできる。その辺をしっかりと頭に入れて仕事をしてほしい。また、少しドームが見えたから、少し大きい火砕流が起きたからといって、はしゃぐのは考えもの。我々は火山観測隊ではない。必要な情報をしっかりと割り切って(しっかり読んで)報道すべきだ。その日にあまり大きな変化がないときは、全国ネットは原稿を読むだけのニュースで充分だと思う。

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