ラジオの現場から
生放送の呪縛から解き放たれませんか?
放送レポート301号(2023年3月号)
石井 彰 放送作家
立教大学で教壇に立つようになって6年になります。毎年300人前後の学生と出会い、様々な刺激をもらっています。
たとえば「若者はラジオを聴かない、テレビを見ない」と、世間ではまことしやかに言われていますが、それほどでもないことがわかります。毎年学生たちのメディア接触状況をアンケート調査していますが、ラジオを聴いている学生がけっこういます。(じつはテレビを毎日見ている学生も4割以上もいました)
今年は3割近い学生がラジオを聴いていました。よく聴く番組では、オードリーや星野源のオールナイトニッポン、福山雅治、山下達郎、アイドルがパーソナリティーを務める番組などが、複数の学生から上がりました。
ただラジオの聴き方は大きく変化していることがわかりました。ほとんどの人がスマホで、ラジコのタイムフリーサービスを使って聴いていました。授業だけでなく、アルバイトやサークル活動などで忙しい学生たちにとって、「今、どうしても聴きたい」という、語り手と同じ時間=空気を共有する、生放送感覚はすっかり薄れてしまったようです。
今や彼らにとってラジオだけでなく放送=生放送で視聴するのはスポーツ中継に限られ、それ以外の番組は、自分が余裕のある時間に豊富な倉庫へ採りに行く形になりました。
ラジオの聴き方が変われば、当然ですが内容も変わることが求められています。だとすれば、もはやラジオが生放送にこだわる必要が、どこにあるのでしょうか?
まず自宅でラジオを聴くことが多い私の場合、かねてから交通情報の時間は無駄な時間でした。もちろん現在も乗車中にラジオを聴いている人が多いことは知っています。けれど若者たちの多くは車に乗らなくなっています。交通情報を提供するスポンサーとの兼ね合いもあるでしょう。それでも車の使用率が下がっていく、そしてタイムフリーで聴く人が増えていくのは、時代の趨勢です。
再放送が多いNHKFMを聴いて違和感をよく感じるのは「おはようございます、こんばんは」などの挨拶です。真っ昼間に「こんばんは」と語られることで再放送であることがわかるだけでなく、興ざめします。
ラジオはテレビに比べて生放送が多く、情報が古びてしまうために再放送に不向きなメディアになっています。これは現在のメディア接触状況を考えると、かなり不利です。いつでも、何回でも聴くことができる番組こそが求められています。同時性よりも、いつ聴いても楽しく役に立つ普遍性が必要なのです。
日本のラジオは、70年代からアメリカのラジオを真似して、生ワイド一辺倒になりました。その結果、ラジオドラマやドキュメンタリー番組などが姿を消しました。
テレビでも一時期、製作費も人も必要なドラマ制作が減りました。ところが動画配信の普及により、繰り返し利用できることが見直されて、一気にドラマ制作が増えています。
ずっとラジオを制作してきて不満に感じるのは、制作者たちの「変わらない、変えようとしない習性」です。ただ昨日と同じことを繰り返している人があまりにも多すぎます。このままでは、どんどん時代の変化から取り残されて、ラジオのメディア価値は減少していくでしょう。
かつてニッポン放送やFM東京で素晴らしい番組を制作した上野修さんが「テレビは朝刊、ラジオは夕刊」という至言を遺しました。新聞から夕刊が消えようとしている時代に、ラジオは何をモデルにすればいいのか考える時です。とりあえず生放送の呪縛から解き放たれませんか?