スポーツ実況と女性アナウンサー

放送レポート292号(2021年9月) 谷岡理香 東海大学教授

25年前の「炎上」

 1年延期となった東京2020オリンピック。開幕直前の時点でこの原稿を書いている。
 かつては、男性のみに参加が認められていたオリンピック。今や女性の参加数が多い大会も珍しくない。日本選手の金メダルの数を比べればこのところ女性選手のほうが多い。スポーツ界における女性の活躍は目覚ましいものがあるが、それを伝えるスポーツ放送においてはどうであろう。
 25年前、1996年のアトランタ・オリンピックで、初めて女性アナウンサーがマラソンの実況中継を行った。銅メダルの有森裕子が「自分で自分を褒めたい」と語った言葉が有名になったレースである。その有森のレースの実況を担当したのが、テレビ朝日の宮嶋泰子アナウンサー(以下アナ)、夏のオリンピックで実況中継した女性第1号だ。しかしながら、その後25年間、女性で中継を担当するアナは途切れたままである。
 前回(92年)のバルセロナで有森が銀メダルを取っていたことや、まだ女子マラソンの歴史が浅いこともあってか、選手選考のあり方が不透明との批判も多く、そのプロセスにおいても世間の耳目を集めた。最終的に有森裕子、浅利純子、真木和の3選手が出場を決めている。当時の新聞によると、国内の視聴率はアトランタ・オリンピック競技の中で最も高かった。
 しかし、このレースの模様を伝えた第1号の女性アナの実況に対しては、メディアから非難・批判が相次いだ。今風に言えば「炎上」である。これらの非難と批判は、なぜ起こったのか。

新聞・雑誌の「拒否反応」

 96年のアトランタ・オリンピックでは総勢17人のアナウンサーが実況を行った。女性は宮嶋1人である。宮嶋は当時41歳、入局した年からスポーツ専門のアナとしてキャリアを重ねてきた。国内の女子マラソンでも何度か実況を担当しており、オリンピックに関しては7回の取材経験がある。これらの実績を買われての抜擢であった。日本のオリンピック中継初の女性実況ということにプレッシャーを感じながらも「やることはすべてやった」とアトランタに向かった。
 放送は96年7月28日。地上波ではTBS、BSではNHKが放送した。実況は宮嶋で解説は宮原美佐子という女性同士のコンビとなった。
有森が2大会連続でメダルを取ったこともあり視聴率も高かったが、放送終了後TBSには、約300本の電話があった。うち約200本が実況に対するクレームだったと伝えられている。しかし、TBSのスタッフに今回改めて尋ねたところ、電話が殺到したことは覚えているが、宮嶋の実況内容についてはさほど記憶がないと答えた。当時宮嶋と同じテレビ朝日の報道にいた男性に聞いても、大騒動だった記憶はないと言う。
 放送番組については記録がないために今回検証ができないが、雑誌、新聞はエキセントリックとも言える反応を見せた。96年8月は各週刊誌が毎週のようにアトランタ・オリンピックについて、言いたい放題のような記事を掲載している。筆者が問題視するのは、社会から一定の信頼を受けているはずの大手新聞系の記事である。
〇96年7月31日毎日新聞東京夕刊
【憂楽帳】アナウンサー
「(前略)これまで何十回もマラソンや駅伝の中継を見てきて、この楽しみ方を邪魔されたことはなかった。だが今回は違った。楽しむ余裕がなかった。途中で理由が分かった。一瞬の間もなくしゃべり続ける女の声がうるさいのだ。見る方の脳みそを麻痺させる。推理させないものすごい押し付けの連続だ。(後略)」
〇96年8月8日毎日新聞東京夕刊
【刺点】五輪女性アナ
「(前略)場違いな形容詞と身勝手な感嘆符で埋め尽くし、ピント外れのフェミニズムと恐るべき自己顕示の場にすり替えた女性アナウンサーの五輪実況であった。(中略)『アフリカ女性がトップとはクーベルタンもびっくり』との差別的発言にはこちらがびっくり。(後略)」
〇『AERA』96年8月12日号
「不評のアトランタマラソン中継」
この記事の書き手は女性である。アトランタ五輪でこの女子マラソンがもっとも高い視聴率であったことを伝え、「目玉番組を派手に盛り上げたかったのだろう。やり過ぎ、喋り過ぎが、やや目立ってしまった」「『女が女のドラマを伝えるから、どうだ、感動するだろう』という演出の押し付けは、むしろ感興を削いだのではないか」。
 宮嶋は、女子マラソンのほかに、新体操、女子体操の都合3競技を担当しており、これらの実況についてのクレームはなかった。つまりマラソン実況についてのみ、クレームとバッシング記事があった。女性のスポーツと考えられている競技についての批判はなかったのだ。裏を返せば、これらの活字メディアのおよそ客観的とも言えない書きぶりは、オリンピック中でも大舞台であるマラソン実況という男の領域に、オンナが入ってきたこと、このことに対する拒否反応に見える。
 筆者はこれらの記事を読みながら、70年代にウーマン・リブの活動を冷笑の眼差しで原稿にした男性記者たち、女性からの異議申し立ての声を「黄色い声」と揶揄した記事の数々を思い出す。
 宮嶋は、上司から「新聞の批判記事はやり過ぎだ」という慰めの言葉をかけられる一方で「女性アナの実況の機会をつぶした」といった類の言葉を複数の男性からかけられている。宮嶋は以降、「アトランタ・オリンピックでの実況の記憶を自ら封印」することになる。

「女性が実況」までの道のり

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▲アトランタ・オリンピックの有森裕子選手

 宮嶋アナの実況中継は、新聞記事が叩くほどに非難されるような内容だったのか。今日のまなざしからではあるが、改めて当時の実況を振り返ってみる。
 アトランタのセンテニアル・オリンピックスタジアム内の実況はTBSの松下賢二アナである。雨あがりの競技場の様子や、86名の女性選手たちのスタートを伝えた。その後メイン実況の宮嶋アナと解説の宮原に移る。途中いくつかのチェックポイントで緒方善治アナ(NHK)と森下佳吉アナ(テレビ朝日)がレポートを行う。従来の男女の役割が逆転したような配置である。
 約2時間半の宮嶋の実況を聞いた。筆者は何の違和感もなかった。指摘されている5キロ地点の通過タイムをアナウンスしなかったのは、そもそも頼りの5キロを示すテロップが出ていなかったからだろう。その後タイムは伝えている。当時全く無名だったエチオピアのロバ選手の年齢が定かでないことなど、小さな(それも本人のせいとも思えない)ミスは確かにあった。選手名を間違えたこともあるが、それは果たしてバッシングに匹敵するようなミスなのか。
 そうしたことより、筆者はテレビで実況を聞きながらマラソンの世界に女性が入るまでの長い道のりを思った。歴史の長い間、女性は走ることを禁じられていた。近代五輪の父と呼ばれるクーベルタンは「オリンピックは男性のためのスポーツの祭典」と位置づけ女性を排除した。白人で貴族出身のクーベルタンにとって、女性の務めは子どもを産み育て、男性を支えることである。
 IOC(国際オリンピック委員会)は、陸上競技の扉を女性には開かなかった。1967年、性別を隠して男性に交じってボストンマラソン大会に出場したアメリカのキャサリン・スィッツアーは、途中女性であることが発覚、スタッフに走行を止められるが、周囲のランナーたちが彼女を守り、最後まで走り切ったことで多くの人にその存在を知られた。
 オリンピックで女子マラソンが正式競技として開催されたのは、1984年のロスアンゼルス大会からである。アトランタ・オリンピックからわずか12年前である。宮嶋自身にも、オリンピック開催100年を記念したこの大会で、植民地だったアフリカから出場した黒人の女性がトップでゴールすることに特別の感慨を持ったことはなんら不思議なことではない。スポーツ、特に競技の世界はジェンダーが色濃く残る分野である。
 日本は先進諸国の中でも家父長制の文化が根強い。時にそれは「伝統」という言葉で正当化されもする。古いしきたりや「掟」が多く残る分野で、有森裕子という、後に陸上競技で初めてプロ化を宣言することになる人物が持つ個としての意志の強さ、自分らしさを貫く姿勢を、宮嶋も長年取材するたびに側で見ていたろう。
 解説の宮原にも同じような思いがあることが分かる。従来のマラソン実況に必要と言われていた、短い描写、スポーツのリズム感とは異なる、オリンピックと女性の歴史に思いを寄せ、その歴史の流れの中で自らを貫こうとする日本人ランナーを心から応援している気持ちが伝わる実況であった。
 さて、今の若者はこれをどう聞くだろう。筆者が担当している受講生約100人の授業で最初の30分ほどではあるが、当時の模様を学生たちに聞いてもらった。9割の学生は「全く違和感はない」あるいは「女性のほうが男性アナより聞きやすい」との声すらあった。1割の学生からは「ミスが目立つ」「マラソン中継に慣れてない」「女性の声は聞きづらい」との指摘もあった。
 松下アナの表現に違和感を持った学生が複数いた。ランナーを「乙女」と呼び、「美しい女性たち」と表現することに、男女ともに多くの学生が拒否反応を示した(ちなみに松下アナは3人の日本人アスリートを「3人の娘」と呼び、3位で競技場に戻ってきた有森を複数回、浅利と言い間違えるが、どちらもさほど批判を受けてはいない。さらに、有森の3位のゴールに「よく頑張りました」「この笑顔を全国の皆さんに見てやってほしい」。30歳を過ぎた大人のアスリートを「女の子」扱いである)。

変化する性別役割意識

 30分程度とはいえ、9割の学生が女性のスポーツ実況に「違和感はない」と答えた。25年前にTBSにクレームが殺到した時から25年間の人々の意識が変わったことを示している。NHKが1973年から5年に1度行っている「日本人の意識調査」でも、最も顕著に変化しているのが男女観であることが詳しく記されている。若い人ほど性別役割分業から自由になっている。
 女性アナの実況がなぜ少ないのか。そうした問いも聞こえるようになった。漫画家の倉田真由美と弁護士の三輪記子が、ユーチューブで「みわたまチャンネル」を開設している。2017年8月20日には「なぜ、スポーツ実況には女性がほとんどいないのか?」をテーマに配信。「いろいろな番組で女性が登場するのに、なぜスポーツ実況にいないのか。放送局は育てようとしているのか?」という問いを投げかけている。
 同じような問いはネットメディアからも生まれている。ハフポストが、2019年3月6日の記事で、全国の128地上波テレビ局に女性アナのスポーツ実況についてアンケート調査を行い、その結果を掲載している。それによると回答のあった59社のうち、過去に女性がスポーツ実況を担当したことのある放送局が6割あった。競技種目は駅伝、高校野球、マラソン、バレーボールだ。ただし、この調査記事では、駅伝の各中継地点などからのレポートも含まれており、いわゆるメイン実況の実態とは異なる。それでも30年前(1989年)との比較で「女性アナのスポーツ実況担当が『あり』と回答した社は、1989年ではゼロだったが、2019年は7/58社(12%)。少しずつであるが増えている」とし、放送局側でも、女性アナの活用に前向きになってきたことがうかがえる。
 従来、女性アナの実況が増えない理由として「声が高いので長時間の実況では聞いているほうが疲れる」「女性が選手名を呼び捨てにすることに対して違和感がある」、これらが主な理由と言われてきた。しかし、少しずつ実況アナが増えていることも分かってきた。
 東京MXテレビでは、今年度、フリーの長友美貴子アナがシーズンを通してソフトバンクホークスの実況中継を担当する。NHKでは、澤田彩香アナが実況中心のアナウンサーとして高校野球、テニス、卓球などを担当しており、他局からもその存在は注目されている。在京のベテラン実況アナは、その実況の力を認めた上で、澤田が今後の女性スポーツ実況のロールモデルになるのではないかと語っている。しかし筆者は、すでにロールモデルはいると考える。

2人の女性実況アナ

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▲三﨑幸恵さん(左)と佐藤亜樹さん

 神奈川県は人口約920万人、東京に次いで人口の多い県である。この神奈川県の独立U局テレビ神奈川で、10年にわたってJリーグとプロ野球の実況中継を担当した2人の女性アナについて紹介する。
 一人は社員アナとして96年に入社した三﨑幸恵である。スポーツに特に関心があったわけではないが、入社2年目に、上司から女性もスポーツ中継を担当してもらいたいとの意向があり、本人としては会社の命令として素直に受け入れたという。
 実況のイロハも全く知らない三﨑であるが、努力家であることは周囲が認めており、地道な訓練の結果、98年にまず全国高校サッカーの神奈川県予選準決勝でデビューを果たす。局としても女性アナの実況を対外的にアピールする素材となったようだ。「対戦高校の監督さんたちは女性の実況でがっかりしないだろうか」と、三﨑は心配を胸に両高校に挨拶に行ったところ、どちらからも「そうですか。よろしくお願いします」とごく普通の対応であったことに「受け入れられた」と感じたという。翌年99年からはJリーグ実況も担当するようになる。ここでもプロの選手たちからは好意的に受け入れられたようだ。こうした背景には、上司らが三﨑を余計な雑音から守ったという組織の体制もある。
 ただ三﨑自身は、そもそもスポーツに特に関わっていたわけでもなく、競技スポーツ実況の大きな壁は感じていた。それはルールブックにも書いていない、選手たちの瞬間的な駆け引きや、1つひとつのプレーの背景、戦術の読み等である。長年スポーツに携わっているアナにはどうやっても叶わない。「自分の実況はスポーツを知らない人に興味をもってもらう1つのきっかけとなる」と切り替えた。上司の「命令」によって始めたスポーツ実況であり、たった1人の女性実況者であることに孤独感を感じつつも、辞めたいと思ったことはなく、「オファーが来る限りは続ける」考えであった。
 その三﨑が実況中継を退くきっかけとなったのが、仙台放送局からスポーツ実況を担当するために契約アナとして移ってきた佐藤亜樹である。三﨑は、佐藤が入社してきたことで、孤独感からかなり救われた。
 佐藤は三﨑とは全く対照的だ。スポーツ好きの兄の影響を強く受け、大学在学中からスポーツ実況をするという夢を抱いていた。佐藤のあこがれの存在はアトランタ・オリンピックで、マラソンや体操を実況中継したテレビ朝日の宮嶋泰子である。2004年テレビ神奈川に契約アナとして採用され、2006年に全国高校サッカーの神奈川県予選で実況デビューを果たす。
 一口にスポーツ実況と言っても、アマチュアとプロの試合形式や運営方法は全く異なる。佐藤は三﨑から、実況の練習のみならず、情報の取り方や選手への取材のタイミングなど、直接的・間接的に多くを学んだと語る。
 佐藤は、その後プロ野球実況にも挑むことになる。佐藤によると、日本で93年にプロ化したサッカーは歴史が浅いこともあり、土壌が比較的オープンで、現場に女性スタッフも多く、女性の取材者も受け入れられやすい。しかし、プロ野球は全く異なる。野球ルールの複雑さもある。他の競技に比べてルールブックの厚さが全く違う。何より歴史がある分外部からは入りにくい。大手メディアしか入れなかった取材もあったという。多くのベテラン記者たちがいる中に、若い女性が入っていくこと自体に高いハードルを感じたのも無理はない。それでも、プロ野球を実況したいという熱意とともに佐藤は2012年から横浜DeNAベイスターズのホーム戦の実況も担当することになる。
 スポーツ実況をやりたくて、かつスポーツアナであれば専門職として男性同様に時間をかけてキャリアを積んでいくことができると期待してテレビ神奈川に移籍した佐藤であった。しかし雇用契約上の期限のために10年で実況アナを辞めざるを得なかった。
 日本の放送局ではキイ局を除くと、ほとんどのローカル局が女性アナを社員としてではなく契約社員での採用となっている。三﨑から佐藤に渡されたバトンは断たれた。もし佐藤が今も続けていたら、そこからさらにバトンが繋がったのではないか。本人も「自分がロールモデルになるという気持ちはどこかにあった」と語っている。
 それでも夏の高校野球予選試合数が全国最多クラスである神奈川では、毎夏3日~4日に1度は女性アナの実況がテレビから聞こえていた。さらにプロ野球、Jリーグでも女性実況である。このことが視聴者の「慣れ」に繋がり、そこから女性のスポーツ実況中継が視聴者の耳に馴染むようになっていったことは間違いない。2人の存在に励まされた若手もいるだろう。功績は大きい。

ローカルからの眼差し

 ここでもう1度、96年の宮嶋の実況について、別の視点から検証する。筆者は、当時宮嶋のサポート役(サブアナ)としてアトランタでのマラソン実況に同席した、元NHKのベテラン実況アナウンサーで現在法政大学スポーツ健康学部の教授である山本浩に当時の話を聞いた。
 山本によると宮嶋の実況は、喋りだし30分で「実況に慣れていないことがわかる」ものだったという。オリンピック中継は、通常の放送とは全く異なる。カメラワークは国際映像が主であり、アナウンサーは、その国際映像の画面を見ながら喋る。現地スタッフも、放送に慣れているとは限らない。テレビカメラの前を平気で横切ってしまうスタッフもいる。
 山本は、マラソン実況の前にはコースを何度も自転車で走り、チェックポイントの景色を頭に入れておく。国際映像にチェックポイントの表示が出ない場合も、自分で対処できるからである。しかも覚えておくその景色は、テレビのカメラワークと同じ(テレビカメラはランナーを前から撮影するので、走るランナーが見る景色とは逆の)振り向いて見た景色を映像として認識しておくというものだ。視聴者には気付かないプロの準備の一端を見た。 
 山本はまた、96年のことは宮嶋個人の問題ではないと指摘し、宮嶋について「気の毒」とも語った。山本は宮嶋の取材力については認めている。しかし取材の力と実況の力は異なることを上層部が理解していなかったのではないか。その後のバッシングを宮嶋個人が被ってしまったことについても、組織の問題ではないかと考えている。
 他方、宮嶋へのバッシングがあふれる中で、唯一宮嶋を援護し、メディアの伝え方に異議を唱えたのが、京都新聞で当時運動部にいた永澄憲史であった。永澄は、オリンピックがアマチュアリズムを放棄して以降、ビジネス化、イベント化していく様に抵抗感があった。テレビをはじめとする在京メディアがスポーツを「持ち上げる」ことにも疑問を抱いており、95年7月からスポーツを考える座談会形式の長期連載を始めた。登場人物は文化社会学が専門の伊藤公雄(大阪大助教授)、イギリス史の川島昭夫(京大助教授)、スポーツ社会学の杉本厚夫(京都教育大助教授)、都市社会学の永井良和(関大助教授)の4人である(肩書は全て当時)。専門の異なる研究者がゲストを交えて月に1度座談会を行う。初回は高校野球がテーマ。「甲子園とマスコミがつくり出した最初のアイドル」太田幸司をゲストに、高校野球についてのトークを繰り広げ、高校野球の「教育の一環」の矛盾を突いている。
 宮嶋の登場は、96年9月17日の紙面である。伊藤は宮嶋の実況に対して「違和感はなかった」、川島は「慣れの問題」と語った。それより4人が問題だと指摘したのは、男女の不均衡が目立つマスコミの旧態依然とした体質であった。永澄は編集後記で、バッシング記事に対して「男社会のいじわるな視線」があると記し、将来に活かすためにはジェンダーの問題、スポーツ報道のありようについて、もっと議論が必要と述べている。
 今回のインタビューで永澄は「比較的自由度の高いローカルの新聞だからできた企画だったと思う」と答えた。25年後の今日、スポーツはますますビジネス・イベントとして肥大化し、放送にはメダル獲得をあおるような番組があふれている。

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▲宮嶋泰子さん

海外~ドイツの事例

 ここまで日本における女性アナの実況とメディアについて述べてきた。海外もスポーツ実況の分野に少しずつ女性の参画が進んでいると聞く。ここではサッカーが国技と言われるドイツの事例を紹介する。友人で翻訳家の高田ゆみ子に情報収集と翻訳を依頼した(高田はドイツの少年・少女向け書籍『サッカーキッズ物語』全10巻を翻訳)。
 ドイツで女性が初めてテレビで男子サッカーの実況中継をしたのが2016年である。公共放送ZDFで、欧州杯をクラウディア・ノイマンが担当。当時52歳のベテランである。しかし女性アナが男子のサッカーを実況中継したことで、ノイマンは実況の最中からツイッター等のSNSで差別発言や誹謗中傷にさらされ続ける。
 ドイツにはサッカーの熱狂的なファンが多く、フーリガンの競技場内外での暴力事件はしばしば日本にも届く。非難の内容は実況に対するものではなく「男子サッカーの実況に女の居場所はない」「女は男子の試合を実況するな」というものからレイプ予告に至るまでのものもあった。ZDFのスポーツ部門にとっても、ある程度の批判は覚悟していたものの、局のウェブサイト上に押し寄せた不快なまでの非難の嵐は信じがたいものだったという。
 しかし、ここで重要なことはZDFがノイマンを擁護し、その後もノイマンを実況中継に配置したことである。良識的なメディアもノイマンを支持している。その後ノイマンは2018年のW杯で2試合を実況。その際にも試合中・試合後に関わらず、激しい非難が寄せられたが、この時も放送局のスポーツ責任者、他のメディアからもノイマンを支える発言が続いた。
 ドイツでの女性アナのスポーツ分野への参画は日本より歴史がある。1973年にZDFのスポーツ番組に登場した女性アナ、カルメン・トーマスがチーム名「シャルケ04」を「シャルケ05」と言い間違えた。トーマスはすぐに言い直したが、大衆紙や雑誌が過剰なまでに反応したという。この状況は96年の宮嶋の時と似ている。異なるのは放送局の対応と良識派のメディアの力である。トーマスはその後も活躍を続けることになる。
 また、ドイツのラジオ放送で700試合の実況を担当して、オリンピックでは12試合の実況を担当した女性がいる。WDR(西ドイツ放送)のザビーネ・トッパーヴィーンは、ドイツ国内で非常に有名な女性アナである。1989年ブンデスリーガの試合を初めて実況、WDRのスポーツ放送部長を30年以上務め、今年引退した。宮嶋と同世代である。
 ARD(第1公共放送)では、今年7月に行われたサッカー欧州杯でイタリアとイングランドの決勝戦を女性アナ、ユリア・メッツナーが実況、来年2022年のW杯の決勝戦も女性の起用を促進していくという。

メディアとジェンダー

 宮嶋は今回筆者の申し出に対して「長年封印してきたものを解く時期がきたのだと思う」と調査に協力してくれた。25年目にして当時の映像を見直した。その感想は「非難は受けたし、いくつかのミスがあることも事実だが、自分がやりたいと思った実況はできていると思う」と答えた。
 宮嶋は昨年テレビ朝日を退職し、一般社団法人「カルティベータ」を設立。スポーツ文化について積極的な発信を続けている。宮嶋がオリンピックで実況してから4半世紀の今、NHKにやっと若手のスポーツ実況アナが育ちつつある。一方でNHKアナウンス室のスポーツ担当デスクからは、女性スポーツアナが増えないのはなぜかという筆者の質問に対して、文書で次のような回答が送られてきた。
「女性アナウンサーがスポーツ実況を担当することについて門戸を閉ざしているわけではありません。ただし、本格的な実況アナウンサーの育成には長い時間と多くの現場経験が必要です。女性の場合、早い段階からスタジオでのキャスター業務に携わる機会が多く、継続的に現場での実況業務に取り組む環境を整えるのが難しいという事情はあります」
 若い時に女性アナが取材の経験も積まないままスタジオでキャスター業務を行うというのは果たして本当に適切なのか。アイキャッチとしての役割を期待しての配置ではないか。それは民放でも同様である。スタジオでは、元気で取材経験の乏しい女性スポーツキャスターが数年ごとに入れ替わる。
 すでに見てきたように、ドイツの公共放送では女性のスポーツ分野での登用にさらに力を注いでいる。イギリスの公共放送BBCは「50:50プロジェクト」で、出演者を男女半分ずつにする取り組みを進めている。
 今回、ローカル局では、単発も含めて女性がスポーツの実況をそれなりに経験していることが分かった。過去の出来事を含めて、スポーツ放送における女性を掘り起こすこともメディア界のジェンダー平等に向けて重要なことではないだろうか。
 当時、宮嶋に「男社会のいじわるな視線」で記事を書いた記者も、自らの原稿を省みてほしい。「過去に目を閉ざす者は…」という有名な言葉があるではないか。(文中敬称略)

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