なぜ今「男性学」なのか

第3回ゲスト せやろがいおじさん

放送レポート300号(2023年1月)
メディア総研所長 谷岡理香

 男性学講座第3回の講師は、お笑い芸人でユーチューバーのせやろがいおじさんこと榎森耕助さんです。榎森さんが自分の中にある女性差別に気が付いたのは視聴者からの指摘でした。かつて女性の容姿をからかって笑いを取ったことがあり、「それはミソジニーという女性差別にあたります」という指摘を受けたのです。しかし本人には全くその意識がなく「そんなつもりはない。誤解を与えたとしたら申し訳ない」と謝罪。この謝罪が「炎上」する事態になり、「差別意識なんて全然ないと思っていた俺の中に、ひょっとしてあるんか?」と自問するところから始まりました。今回の講座では参加者を笑わせながら、参加者それぞれに考えるヒントを与えてくれました。以下はお話の超要約です。

 いろいろな人の考えを聞いて、男性である自分の加害性についてとか、格差を是正する考え方を自覚してる側だと思ってしまうことがある。内面に目を向けなきゃいけないときに、その「自覚」が邪魔してしまうときもある。ほんまにぽろっと言って、リスナーの皆さんから「それはよくないと思います」みたいなことが返ってきて、またやってしまったみたいなこともある。今、世の中的にはジェンダーから解き放たれようという声がある一方で、そういう声に反感を持つテレビ出演者がいるのも事実。芸人の世界も男性社会で、ホモソーシャル、マッチョな考え方がある。武勇伝を語ったり、女の経験人数を自慢したり、レギュラー番組いっぱい持っててすげえやろうとか。何か勝負に勝てるカードを持ってないやつは男としても芸人としていけてない意識が根強くあると感じる。でもその先に何があんのやろうとも思う。
 ネットでは、フェミニズムの運動に対するバッシングってすごく強い。アンチフェミって誹謗中傷のレベルになってるものもたくさんあるけど、敵は女性でも男性でもない。あくまで敵はセクシズムであるという認識が広がってほしい。ジェンダーの話とか男性の特権性みたいな話になると、男性はつい責められる気持ちになる。改めて我々が対峙していかないといけないのはセクシズムで、それによって今の男性中心の社会ができていて女性が抑圧されたりしている。それによって男性が苦しいこともあるんだから敵はフェミニストではないんだよとすごく思う。
 一人の人間って本当に多様な側面を備えて出来上がってる。例えば、僕は男性なので、この社会においてはいわゆるマジョリティ側、強い側であると言える。もう少し論点を変えてみると沖縄の基地問題。僕は沖縄に住んでいるので本土に押し付けられてる側。でも僕は奈良県天理市の出身なので本土の人間というマジョリティ側にもなりうる。沖縄の男性は、男性女性という軸で考えれば、マジョリティ側だけれども、沖縄の基地問題という意味においてはマイノリティ側になったりする。もっと引いて考えてみたら、我々日本人、いわゆる黄色人種は欧米ではアジアンヘイトの対象になりうるので、マイノリティで差別される側だったりする。自分という一人の中にも様々な要素が備わっている。一度この自分のマイノリティ性ということに目を向けてみるってことは大事じゃないかと思う。
 被害を受けている側、弱い側が声を上げるってスッゴイ勇気がいる。でも声を上げたときに強い側から「気にしすぎだよ」とか「こっちだって大変」とか言われたら、勇気を出してあげた声がかき消されるようでやっぱすごくつらい。マイノリティ側に問題がある、アジア人側に問題がある、アジア人の声の上げ方に問題があるということにされてしまうと、本来変えるべき差別という問題の根本となるところが全く手をつけられずに、気にしすぎとか、性格の問題に矮小化されてしまう。強い側としてどんな振る舞いをするのかっていうのを、一度自分のマイノリティ性と照らし合わせて考えることが重要だと思う。被害を男性対女性の問題にしてしまうのも良くない。女性が電車の痴漢の被害を訴えると、男性が「俺たちだって痴漢に間違えられて迷惑」という声が上がる。男性対女性という二項対立の構図にしてしまうと問題の解決につながらない。
 マジョリティである男性側に特権があるのは事実で、でも、考えようによっては特権をどう使っていくみたいな問いかけとか考え方が僕は必要じゃないかなと思ってる。世の中を変えていくためには、やっぱ強い側、数の多い側が訴えかけていくことが必要で、だから特権を持っているということは世の中を変える力を持っていると言い換えることもできる。特権という武器を世の中を変えるために行使していくのか。それともその武器を、弱い人たちをさらに虐げたり、被害を受けた人たちが勇気上げて絞り出した声をかき消すために使うのか。ここが分かれ道だと思う。自分たちの持ってる武器を大事に使っていくぞっていう連帯が必要なんじゃないかなってことをすごく思う。

 今回の男性学講座は民放労連セミナーと共催で開いたことで民放の労働組合からの参加がありました。ここからはフロアとの意見交換です。
九州地方放送局男性:全く男女平等でいけるかどうかって仕事では難しいところもある。例えばスポーツだと圧倒的に男性の方が関心が高いし、高校野球の取材に女性が行くことはまずない。危険な事件の現場には男性の記者かアナウンサーが行くことが多い。男性と女性の適性を考える中で、夜中の事件が起きたとき、男性がぱっと行ってやった方が。女性はメイクしたりとか考えたら男性が行く方がいいんじゃないかと思うこともある。男性と女性の違いがあって、そこで適性を考えた上での配置っていうのは当然あるものだと思っている。
在京放送局女性:スポーツ取材は男というのはバイアスがあるかもしれないと思う。適性というのは思い込みの可能性もあるのではないか。
在京放送局女性:危険な取材には男性だけが行くというのはどうなのか。女性にとって危険であるなら男性にとっても危険であろう。男性も女性も同じではないか。女性が男性に合わしていくという話でもないと思う。
せやろがいおじさん:現場の責任者は大変やろと思うが、背景にはどういうバイアスがあるんやろってことを考える必要がある。職場自体にもバイアスがあるかもって疑っておかんと、長年の慣習に飲み込まれてしまうみたいなことはあると思う。
フリー記者男性:自分自身として思ったのは、性暴力被害などでもよく議論されるが、傍観者というのは加害者に他ならないということを改めて感じた。私は加害者ではないということの主張はしているが、被害者からすれば、傍観者は加害者と同じように見えるという構造について思いが至った。
在京放送局女性:自分が力のある側にいて、そのことに気づいていなかった。お話いただいた中で車椅子の方が駅にエレベーター等の必要なものがないことに対して声をあげることにどれだけ勇気が必要か。もっとマイノリティの人たちを思いやることが大事だと思ったし、自分に力があるならその力を上手く活用するという気づきも得た。
中国地方放送局男性:こうした場で勉強するってすごく大事なことだと思った。自分の行動を見直すきっかけとしていろんな視点で応用できるかなと思うし励みになった。

 次回は海外の事例です。アメリカでは男性性についてメディアでどのように描かれているのか、「イクメン」を事例にフェリス女学院大学の関口洋平さんの話を予定しています。

せやろがいおじさん お笑い芸人、YouTuber

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