表現の不自由展、各地で無事終了 〜東京・名古屋・京都・神戸で約4500人〜

放送レポート299号(2022年11月)
岡本有佳 編集者、表現の不自由展・東京共同代表

観客、作家、支援者に感謝

 4月に表現の不自由展・東京が終了後、8月6~7日に京都の京都市男女共同参画センター ウィングス京都、8月25~28日に名古屋の市民ギャラリー栄、9月9~10日に神戸の兵庫県民会館ギャラリーですべて予定していた会期を終了することができた。観客はそれぞれ720名、1400名、763名と満員御礼。東京と合わせると約4490名となる。観客、出品作家、支援者の皆様に感謝を伝えたい。そして開催を支えた弁護士、各実行委員会、当日ボランティアスタッフ、施設や行政の職員の方々の努力や協力に改めて拍手を送りたい。
 それぞれの展覧会の特徴を見ていこう。

3地域それぞれの展示

 まず、京都展は14作家、23作品あまり。新規に追加されたのは、韓国のクォン・ユンドクの絵本『花ばぁば』より《嫌だと抵抗したら》《苦しまないで》の2点で、日本初公開となった。神戸実行委からの提案で実現した。この事件の経緯は以下のとおりである。
 2007年、日本・中国・韓国の作家4人と3ヵ国の出版社が集まって「平和絵本」出版プロジェクトが始まった。クォンは日本軍「慰安婦」をテーマにすると提案した。相互批評しながら制作し、2010年韓国版が出版された。ところが、日本の版元・童心社は、証言の記録が公文書と一致しない、このままでは右派からの攻撃が予想されるなどとして出版を断念した。
「慰安婦」被害者シム・ダリョンさんの証言をもとに制作していたクォンは、証言の正確性を問うことよりも「彼女が経験した痛みに対して、より誠実に寄り添うべき」だと考えたという。そうした意味を込めて2015年に改定した作品が2018年、さまざまな人の努力によって「ころから」より日本語版が出版された。
 次に、森妙子の《Light and Lines(レクイエム)》で、これは《平和の少女像》とのコラボとして出品された。ネットのような細い紐が天井から張り巡らされ、そこに和紙で作った蝶を観客が自由に結んでいくというインスタレーションで、多くの観客が参加し、だんだん蝶は増えていった。そのほか、小泉明郎や岡本光宏、安世鴻は新作を出品した。なお、京都展の「失ったのはあなたの声かもしれない」というチラシのキャッチコピーは多くの共感を得ていた。
 名古屋展は、5作家、46作品あまり。とりわけ名古屋で活動していた安世鴻作品はニコンサロン事件の作品に加え、その後、アジア全域で撮影した多くの新作も加わった。名古屋展の最大の特徴は、第2部「壁をこえて」と題し市民のたたかいの記録を展示したことだ。2019年8月3日、あいちトリエンナーレ2019が〈表現の不自由展、その後》を中止するや抗議に集まったメンバーが「再開を求める愛知県民の会」を結成。8月6日からメイン会場前で再開を求めるスタンディングを開始。それを75日間も続けた。その後も、文化庁による補助金不交付、大村知事へのリコール反対、河村市長によるベルリンの少女像撤去要求に抗議、署名偽造の責任追及、選挙で示そう!河村NOなど3年間に取り組んだ活動を写真や年表でアーカイブ展示した。これは他地域にはない重要な取り組みであり展示であった。
 神戸は、14作家、59作品あまり。歴史と女性の人権をコンセプトとし、先のクォン・ユンドク作品に加え、キム・ソギョンが描いた日本軍「慰安婦」サバイバーの肖像34点を《平和の少女像》の背景に展示した。サバイバー本人の姜徳景カンドッキョン3作品。
 前山忠の反戦旗を「反戦」「反軍」「反帝」とすべて揃えた。これは10年ぶりに実現したもの。さらに反天皇制シリーズより《背広の下から元帥服がのぞく》《「王の最高の国事行為は生殖である」マルクス》は初公開となった。また、大浦信行の映像作品《遠近を抱えてⅡ》はプロジェクターで壁一面に上映されていたのも他会場ではなかった点だった。

▲《 平和の少女像》とコラボした森妙子作品(京都展)
▲ 日本初公開となったクォン・ユンドク作品(京都展・神戸展)
▲ 各会場で《平和の少女像》と初めて会った観客はさま ざまな反応を示した。

知ってほしい観客の反応

 不自由展についての報道はやはりどうしても右翼攻撃に目が行きがちなので、その結果、不自由展を観ていない多くの人々の印象は「右翼が攻撃に来ていて怖い」「右翼が攻撃するのがわかっているのになぜ開催するのか」などネガティブな反応もよく聞く。これは本当に残念なことである。
 4地域すべてにおいて最も感動的なのは、たとえば《平和の少女像》を初めて直接観た人たちの反応である。《平和の少女像》の隣に座って写真を撮ったり、そっと手を握ったり、優しく抱きしめる人、一緒に裸足になる人、涙する人、話かける人、黙ってそばにうずくまる人など、そして座れない・座らない人たちもいる。少女の影が老女であることの意味、そこに込められた女性たちの痛み、踵が浮いているのは韓国政府や韓国社会への批判が込められていることなど、直接で見なければわからないことに気づく際の驚きや共感。取材者は右翼攻撃だけでなく、なぜこのような姿を報道しないのか。
 また、京都展は岡本光博さん、森妙子さん、神戸展は白川昌生さん、前山忠さんが来場されていて観客との対話を深めることもできていた。名古屋ではなんと会期中に安世鴻さん、キム夫妻、小泉明郎さんのオンライントークも実施した。
 とりわけ商店街のど真ん中で開催した京都展では近所からのクレームが多く、終了後、実行委から「ご近所鑑賞券」のようなものを作るのも有効ではないかという意見が出ていた。確かにいいアイディアかもしれない。私たちも右翼の怒号妨害には困っているが、近所の人からのクレームを引き出すことが右翼の目的なので、右翼から迷惑を受ける人たちにもぜひ展覧会の内容、主催者の目的などを知ってもらう場を作ることは今後考えていくのもいい。

施設、行政、警察との協議

 各地とも施設や行政、警察と協議を重ねていたが、何度でも強調したいのは、大阪で使用承認を取り消したことで裁判となり、法的に取り消しができないことを最高裁まで決定したことが出発点となったことは本当に大きな土台となった。その上で各地で違いもあった。たとえば弁護士との関係性はずいぶん差があった。東京と名古屋はかなりしっかりと弁護団を作り、協議にも必ず同席してもらい交渉する上で有益だった。一方、京都や神戸はそこまでの関係性は作らず、主に当日の監視行動に協力してもらっていた。個人的な意見だが、各地で警備のあり方、会場名の公表・非公表に差が出たことと関係があると思う。4ヵ所すべて公共施設だったが、まず施設から、主催者が警備するよう要求される。これに対して東京や名古屋は、協力はするが一貫して施設管理者の責任であるとした。京都では手荷物の預かりを主催者がすることとなってしまい、会場名非公表を余儀なくされた。神戸は施設管理者の責任であるとしたが、会期終了まで会場名は伏せるよう施設から要望された。私は公共施設で開催する以上、会場名は公開が前提であると思う。利用者に利用上差別的扱いをしないということが原則だからだ。
 右翼からの怒号妨害・攻撃を防ぐため、どうしても警察警備が必要となることで矛盾や課題も残したことは事実だ。たとえば、必要以上に警察が脅してきたり(京都展)、協議で決めていないのに勝手にギャラリー内に警察が入り込んで抗議したり(東京展)など。とはいえ、京都・名古屋・神戸では、東京ではどんなに要求しても実現しなかった蛇腹式の車両留めを警察はしていた。結果、施設前には右翼街宣車は侵入できなかった。私はこの光景をみて「やはりやればできる」のだと感じた。つまりそれまでは警察は本気で私たち不自由展を守ることはしていなかったのかとさえ思う。
 さらに、東京では監視行動に反対している意見も多かったが、犯罪的行為を防ぐために監視カメラ設置を終了後のデータ消去の上とすることで一定認めた。ただしギャラリー内は施設や警察ではなく主催者が行うことを説得したが、これは実行委で可能だったギリギリの選択であった。また、妨害目的の人の入場についても対応は若干の差があった。
 こうした差があったのは、不自由展は1つの団体ではなく、開催したいというの意志がある各地で独立した主催グループを作り、運営してきたからだ。その上で4地域は毎月1回程度、責任者会議を開き、経験を共有してきた。

ヘイトスピーチという認識

 最後に、忘れてならないこととして、右翼の街宣行動の中には多くのヘイトスピーチが含まれていたことだ。「天皇陛下を侮辱する表現の不自由展を中止せよ!」「ありもしなかった従軍慰安婦をでっち上げ、銅像をシンボルのように作り、それを芸術品として展示するなど、馬鹿かお前らは。国賊って言うんだ、出ていけ!」のほか「薄汚い朝鮮人は日本から出ていけ!」「ゆすりたかりの朝鮮人は日本から出ていけ!」などの明らかな人種差別、ヘイトスピーチも多く聞かれた。多くのマスコミ報道ではこうした行為をよく「抗議」というが、私は「抗議」とは言わない。これは、人種差別でありヘイトクライムで、明らかな妨害攻撃である。こうした差別は自由ではない。今後どういう対策が可能なのか、引き続き考えたい。

不自由展のこれから

 7月から「新時代アジアピースアカデミー」で『「表現の自由」は「差別の自由」じゃない』と題して連続講座を開催してきた。各地の不自由展の報告トークをし、9月28日にはまとめのトークを開催した。
 その場で提起されたことからこれまで触れられなかったものをあげておくと、美術展の持ち方そのものが不自由であり、前述したように「まだ途中」の部分もいくつもあること、東京・国立市が公表した「考え方」は重要だが、東京展の後に開催された「トリカエナハーレ」は明らかな差別や作品への侮辱行為が行われたにもかかわらず、私たちも含め何もできなかったことなどが指摘された。「表現の自由」というものが匿名の不当な攻撃と同じ平面上で語られ、どちらにも同じ発言の機会が保障されるのは、結局ヘイト攻撃を後押しすることにつながることを肝に銘じたい。

双方向の交流の「場」を

 筆者はニコン事件裁判支援の経験から、「表現の自由」(憲法第21条)の重要性について再発見させられたことがあった。憲法学者の宮下紘さんの意見書の中の「表現の自由の担い手は、送り手と受け手の双方であり、そして両者による情報の伝達と交流の場が必要」という一文だ。つまり、双方向の交流と情報の伝達の〈場〉がなければ「表現の自由」は無意味になる、ということである。
 この視点はヘイトスピーチや性暴力的表現などをする者たちによる「表現の自由」という詭弁が成り立たないことの、有効な裏づけになるとも思った。双方向の交流と情報の伝達の〈場〉が保障された「表現の自由」を守る立場を取りたい。
 今後、不自由展としての課題としては、いま、YouTubeチャンネルでの公開をめざし東京展の記録映像を制作中なのでぜひご覧いただきたい。各地の不自由展の内容も詳細に報告していく。また、公式ホームページに掲載している不自由年表を精査していくことは課題である。その際、2015年の不自由展に参加したイトー・ターリの「存在そのものが不自由にさせられているものがある」との指摘も心にとめつつ。
 今年、四ヵ所で4500名もの観客を集めて展覧会を開催したものの、美術誌などでは無視されたままである。こうした日本のアート界の反応は残念でならない。
 そんな中、ドイツのヴォルフスブルク美術館は「少女像はすでに国際的に認められるフェミニズム芸術作品だ」と同館は《平和の少女像》を招待し、世界中のフェミニズムアーティスト作品とともに来年1月まで展示中である。
 日本では、現在劇場公開中の映画『アートなんかいらない!』(山岡信貴監督)の第1部で不自由展を扱っているので、ぜひご覧いただきたい。今後、さらに表現の不自由展を開催したいという連絡も複数入っている。これまでの経験を参考にしつつ、ぜひ開催を実現してほしい。
(本文内、作家敬称略)

▲ 市民のたたかいの記録を展示した名古屋展
▲ 大浦信行の映像作品を大画面で展示した神戸展
▲ 《平和の少女像》の背景にソギョン作品が並ぶ(神戸展)
▲ 前山忠の3つの旗が10年ぶりに展示(神戸展)

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