「冷戦(cold war)のあとにやってきたのは階級闘争(class war)であった」とアメリカの政治学者マイケル・リンドが2020年に著した本の邦訳『新しい階級闘争』(原題The New Class War)

グローバル化の問題点は「新しい階級闘争」を生み出した。新自由主義改革のもたらした経済格差の拡大、政治的な国民の分断、ポリティカル・コレクトネスやキャンセルカルチャーの暴走である。

アメリカの政治学者マイケル・リンド氏は、このたび邦訳された『新しい階級闘争:大都市エリートから民主主義を守る』で、各国でグローバル企業や投資家(オーバークラス)と庶民層の間で政治的影響力の差が生じてしまったことがその要因だと指摘している。

私たちはこの状況をいかに読み解くべきか。同書を翻訳した寺下滝郎氏がポイントを解説する。

イギリスにおける「新しい階級闘争」

イギリスでリシ・スナク政権が誕生した翌日の10月26日。『新しい階級闘争: 大都市エリートから民主主義を守る』

「スナクは新しい階級闘争を終わらせられるのか(Can Sunak end the new class war?)」というメアリー・ハリントンの論評がオンライン言論サイトのアンヘード(UnHerd)に掲載された。

新しい階級闘争を終わらせる? 実はその1カ月前の9月23日、リズ・トラス前政権のクワジ・クワーテング財務相が発表した(富裕層を優遇する)減税案が、同日付のザ・ガーディアンの記事(ジョナサン・フリードランド執筆)で「階級闘争宣言(a declaration of class war)に等しい」と批判されていたのだ。

まことに時宜を得たものと喜んでよいものかどうか、アメリカの政治学者マイケル・リンドが2020年に著した本の邦訳『新しい階級闘争』(原題The New Class War)がこのたび刊行された。

「冷戦(cold war)のあとにやってきたのは階級闘争(class war)であった」と述べるリンドは、「階級闘争」あるいは階級間の対立をいったいどのようなものと捉えているのだろうか?

リンドが同書を執筆していた当時、直近の主要なトピックは、イギリスのブレグジット投票であり、アメリカのトランプ当選であり、フランスの黄色いベスト運動であった。欧米民主主義諸国で起こったこれらの出来事の背景には何があるのか?

「大都市で働く高学歴の管理者(経営者)や専門技術者からなる上流階級」と「昔からその国で働いてきた人びとと新しくやってきた移民とに分裂した大多数の労働者階級」との階級の二極化をリンドは指摘する。

かつて労働者階級の市民の利益は、労働組合なり、宗教団体なり、地域政党なりが守り、代弁する役割を果たしていた。しかし、いまやそれらの組織は力を失い、管理者(経営者)エリートと彼らが支配する非民主的機関への権力の集中が進んだ。具体的には、官僚組織、司法機関、企業、メディア、大学、非営利組織などだ。

社会的に周縁化された労働者階級(=アウトサイダー)からすれば、トラス前首相も、スナク現首相も、そして元公訴局(日本の検察庁)長官で現労働党党首のサー・キア・スターマーも、上流階級のエリート層(=インサイダー)であることに変わりはない。

事が深刻なのは、過去四半世紀、上流階級の地位に居続けてきたのが、グローバリズムに与し、テクノクラート新自由主義を体現する人びとであったということだ。

「ヴァーチャルズ」対「フィジカルズ」

前出のアンヘードの論評は、ある政治アナリスト(ペンネームN.S. Lyons)が提示する「ヴァーチャルズ」対「フィジカルズ」の階級・文化戦争という枠組みに依拠している。

ヴァーチャルズは「デジタルと抽象」の領域で職業生活を営む人びとのことを指す。具体的には、金融、学問、教育、メディア、テクノロジーなど、
物理的な世界とは別の抽象的なレイヤーで仕事をするエリート層だ
他方、フィジカルズは「ありふれた物理的現実」で仕事をする人びとのことを指す。具体的には、農業、建設業、製造業、運送業、鉱業など、物質世界と切り離せない職業に従事している人びとで、ヴァーチャルズの社会は依然として彼らの働きに依存している。

これは、デイヴィッド・グッドハートの「エニウェア族」と「サムウェア族」の対比に似ている。リンドの説明を借りれば、エニウェア族は「個人の地位はどこの国の地域のコミュニティに属しているかではなく、どれだけ権威ある職業に就いているかによって決まり、大都市において出世するために……絶えず変化するトランスナショナル・エリートの流儀を好む」人びとを指す。

他方、サムウェア族は「自分たちの地位の低い仕事よりも、特定の地域コミュニティや大家族の一員であるという個人のアイデンティティのほうを」大切と考える人びとを指し、その多くは労働者階級だ。

「ハブ」と「ハートランド」

リンドのいう上流階級の管理者(経営者)エリートと労働者階級との対立も、「ヴァーチャルズ/フィジカルズ」「エニウェア族/サムウェア族」の対立構図とおおむね似たものと考えてよいだろう。いずれも、グローバリズムに親和的なのは前者のほうだ。彼らの多くはニューヨークやロンドンといった大都市を拠点として活動し、国境を越えて世界の大都市間を自由に移動する。

その点に関してリンドの分析が興味深いのは、「ハブ」と「ハートランド」という階級格差の地理的な現れに着目している点だ。しばしば「都市と農村の格差」ということがいわれるが、リンドの分け方のほうが実態を細かく、より正確に反映しているといえるだろう。

リンドは、高学歴の上流階級や圧倒的多数のワーキングプアの移民が暮らす人口密度の高い地域を「ハブ」、土着の(native)白人が大半を占める労働者階級が暮らす人口密度の低い地域を「ハートランド」と呼んでいる。ハートランドは、ハブの周辺、あるいはハブとハブのあいだに位置する広大な地域を指す。

「党派間の地理的な相違は、環境政策、貿易、移民、価値観などをめぐってハブ都市の上流階級とハートランドの労働者階級の利害が衝突する階級対立の代理として機能する傾向がある」とリンドはいう。

たとえば、環境政策。
ハブ都市に集住する上流階級エリートの快適な暮らしは、ハートランドにある物理的な生産施設とそこで働く労働者階級に大きく依存する。

しかし今日深刻の度を増す気候変動に対処するための政策を練り上げているのは、ハブ都市に住むグローバリズム志向のエリートだ。ところが、彼らが進める環境保護政策の犠牲を払わせられるのは、多くがハートランドで働き生計を立てている労働者階級だ。

2018年冬からの「黄色いベスト」の暴動がその典型であろう。フランスのエマニュエル・マクロン大統領が地球温暖化対策への積極的姿勢を国内外に誇示するために打ち出したディーゼル燃料税の引き上げは、日頃から自動車やトラックを頻繁に利用するハートランドの労働者階級や農村住民からの猛烈な抗議に遭い、撤回を余儀なくされた。

『新しい階級闘争』の原著は、2020年1月21日に出版されたポートフォリオ社(ペンギンブックスの出版部門)版では、「管理者エリートから民主主義を守る(Saving Democracy from the Managerial Elite)」という副題がついている。

一方、同年2月20日(ペーパーバック版は翌年5月6日)に出版されたアトランティック・ブックス版の副題は、「大都市エリートから民主主義を守る(Saving Democracy from the Metropolitan Elite)」となっている。邦訳では、階級間の分断・対立が地理的な相違から浮き彫りになることを強調した後者を採用した。

闘争を仕掛けているのは富裕階級の側だ

今日の階級闘争は、現象的には下からの反乱に見えながら、実のところは上流階級のエリートの側が仕掛けている。大富豪ウォーレン・バフェットの「闘争を仕掛けているのは私の階級、富裕階級の側だ」ということばは、露骨な言い方だが正しい。

歴史的に見ると、欧米諸国では、第二次世界大戦後の数十年間、政治・経済・文化の領域において、労働者階級に権力を付与する民主的多元主義のシステムが成立していた。ところが、その民主的多元主義は1970年代あたりから「上からの革命」によって崩れ始める。

21世紀に入ると、その崩壊は決定的なものとなる。クリストファー・ラッシュのいう「エリートの反逆」が起こったのだ。民主的多元主義に取って代わったのは、テクノクラート新自由主義だ。

テクノクラート新自由主義は、欧米の政府、大企業、大学、財団、メディアを同時に支配する高学歴上流階級の管理者(経営者)からなる「新しい正統派」となった。彼らのエリート主義・テクノクラート支配への指向は、経済・政治・文化(教育・宗教など)のあらゆる面で市民・労働者階級を弱体化させる戦略をとった。

リンドはその衝撃を9.11テロになぞらえてこう表現している。「学歴の高い上流階級の改革者が主導し、要員をそろえ、資金を供給して、超高層ビルをまるごと破壊しようとした同時多発キャンペーンは、結果的にアメリカや西ヨーロッパの民主主義諸国における1945年以降の階級横断的和解の構造全体を吹き飛ばしてしまった。ビルの大崩落で巻き上がった土煙が晴れると、労働者階級の人びとが人数の多さを背景に発言力を持っていた主要な機関――大衆参加型政党、議会、労働組合、草の根の宗教団体や市民団体――は、弱体化するか壊滅してしまい、欧米諸国の非エリート層のほとんどは、怒りをわめき散らす以外に公の場でいっさい発言することができなくなったのである」と。

カナダにおける「新しい階級闘争」

テクノクラート新自由主義の政策は、長期にわたって社会の根幹をやせ細らせていった。そこに降って湧いた新型コロナパンデミックは、政府の対応をめぐる上流階級のエリートと労働者階級との分断をひときわ鮮明なものとした。

今年1月末から2月にかけてカナダで続いたトラック運転手らによる「フリーダムコンボイ(自由のための車両隊列)」は、まさに新型コロナウイルスワクチンの接種義務化に対する抗議デモとして起こった。カナダとアメリカを結ぶ橋はトラックの隊列で封鎖され、主要な物流ルートが阻害される事態となった。
ジャスティン・トルドー首相は、2月14日に政府の緊急権限を発動してこれに対処した。この措置により、抗議につながる銀行口座や暗号通貨基金の凍結が可能となった。前出のN. S. Lyonsのいう「フィジカルズ」がヴァーチャルな世界にアクセスすることを阻止したのだ。

この件は、2月19日付のニューヨークタイムズ紙の論評「新しい階級闘争がカナダに到来(A New Class War Comes to Canada)」でロス・ダウサットが取り上げている。なおトルドー首相は、カナダの三大大学のうち2校で学位を取得し、父がピエール・トルドー元首相という生粋のエリートだ。

「小さな小隊」と「寄生虫」

こうした社会の分断を克服し、上級階級のエリートによって不安定な境遇を強いられている人びとに安定を取り戻させること。それが今日の喫緊の課題だ。その方途として、民主的多元主義の再生が切望される。

リンドが書いているように、「民主的多元主義は、社会というものを、原子化された個人からなる流動的なかたまりではなく、それぞれが独自の制度と代表者を持つ多くの正当な共同体からなる一つの複雑な全体であると考える」。

多元主義者は、エドマンド・バークのいう「公的な愛情」が育まれる場所としての「小さな小隊」や、トマス・ホッブズのいう「自然人の内臓に巣食う寄生虫」を「民主主義の文化を感染から守る抗体」とみなす。邦訳では、バークのplatoonsをそのまま「小隊」と訳したが、これは行動を同じくする人びとの小集団を意味する語でもある。

つまり、政治・経済・文化において各々共通の目的を持つ人びとが参加するさまざまな社会集団・中間組織(=小さな小隊)が「それぞれ実質的な交渉力を持ち、自らの利益と価値観を守る能力を備え、終わりのない制度化された交渉を行うこと」。それが「真の民主主義」にとって不可欠なのだ。
新しい階級闘争をどう終わらせるか? リンドは上流階級の管理者(経営者)エリートの打倒を唱えているわけではない。「多元主義者にとって、エリートのいない世界でも生きられるという考えは、権力のない世界でも生きられるという考えと同じくらい愚かしく危険である」というイギリスの政治家デイヴィッド・マーカンドのことばを引用していることからもそれは明らかだ。

「政治・経済・文化それぞれの領域における政策決定過程に、すべての階級や主要な下位文化集団をある程度組み込むことで」テクノクラート新自由主義者や煽動的ポピュリストの介入を阻止することができる。

つまり、政治領域の「区」という行政体、経済領域における「ギルド」、文化領域における「集会」が、労働者階級の市民を代表して、それぞれの領域のエリート層に対して「拮抗力」を行使できるようにすることが必要だとリンドは力説する。

ジョン・K・ガルブレイスが『アメリカの資本主義』のなかで打ち出した概念が「拮抗力」だ。アメリカの資本主義経済において巨大企業の市場支配力を抑制する力として、「拮抗力」が「競争」に代わる新たな力になるとガルブレイスは考えた。拮抗力によるチェック・アンド・バランスがうまく機能することで、多元的民主主義は安定的に維持される。

中野・施両氏の「解説」も必読

最後に、巻頭と巻末に掲載された二人の解説がたいへん読み応えがあることも付け加えておきたい。

勘所を押さえた中野剛志氏の切れ味ある解説「『啓発されたリベラル・ナショナリズム』という思想」は、日本ではまだそれほど知名度が高いとはいえないマイケル・リンドの思想を知るうえで有益であり、かつリンドのすぐれたポピュリズム理解を知ることのできる第6章「ロシアの操り人形とナチス」は日本の読者には必読だと述べているが、まったく同感だ。

監訳者の施光恒氏による丁寧な解説「新自由主義的改革に反省を迫り、民主的多元主義の再生を促す書」は、リンドの書が主として欧米社会を論じながら、そこに日本人が学ぶべき重要な点のあることが説得力ある筆致で明快に語られている。

寺下 滝郎(てらした たきろう)Takiro Terashita

翻訳家

1965年広島県呉市生まれ。学習院大学法学部政治学科卒業。東洋英和女学院大学大学院社会科学研究科修了。訳書にウォルター・ラッセル・ミード著『神と黄金―イギリス、アメリカはなぜ近現代世界を支配できたのか』(青灯社、上下巻)などがある。主に外交評論、人文・社会科学系の学術論文などの英日・日英訳