日本が捨てた毒ガス兵器で寝たきりに「震えが止まらない」「助けて」怒り苦しむ中国人女性の涙 #戦争の記憶

79年前に終わった戦争。しかし中国では終戦後50年以上たってから、突然戦争の被害者になり、今もその被害に苦しむ人たちがいます。旧日本軍が中国の大地に捨てていった毒ガス兵器の被害者です。「人生が無茶苦茶になった」。毒ガスによって健康を損ね、仕事を失った人。家族がバラバラになった人。差別に苦しむ人。毒ガスは本人だけでなく、子どもたちの人生にも深刻な影響をもたらしました。平穏に暮らしていた人々の人生を壊してしまった毒ガス。今も重い健康被害に苦しむ人たちの話を聞きました。

「土に触ったら我慢できないほどの激痛が・・・」


中国全土に40万発…日中で合意も進まぬ毒ガス兵器の処理

中国政府によりますと、旧日本軍によって遺棄された毒ガス兵器の被害者は2000人に上ります。1997年に化学兵器禁止条約で日本に対し、遺棄化学兵器の回収が義務付けられました。これを受け日本政府は中国国内に処理施設を作り、毒ガス兵器の発掘、処理作業を開始。これまで9万発余りを回収しましたが今もなお40万発以上が埋まっているとされています。

日本政府は2027年までに遺棄化学兵器の廃棄を完了するとしていますが、新型コロナウイルスの感染拡大で事業が中断したこともあり、そのめどはたっていません。

中国外務省の林剣(りん・けん)報道官は7月30日、遺棄化学兵器について「今日に至るまで中国人民の生命と財産、環境の安全に深刻な脅威となっており、廃棄は日本側の逃れることができない責任である。廃棄プロセスを加速させるよう強く求める」と主張しています。

リサイクル業を営む王成(おう・せい)さん(43)は、2003年、仕事で土の中に埋まっていたドラム缶を運んでいるときに毒ガスの被害にあいました。

王成さん
「ドラム缶の中身が何かは知りませんでした。油かと思ったんです。匂いがきつくて、油が腐っているのかと思いました」

ドラム缶は腐食し、穴が開いていました。ゴム手袋をしていましたが手には火傷のような症状がでました。吐き気がして目が赤くなり、お酒を飲んだ時のようにふらふらしたといいます。軍の病院に運ばれ、初めてドラム缶の中身が毒ガスだと知らされました。

王成さん
「チチハルに毒ガス兵器が埋められているなんて聞いたことがなかったです。自分が毒ガスの被害者になったと聞いてとても落ち込みました。完治しないだろうと思ったから」

毒ガスの影響で気管支炎を患い、少し歩いただけでも息が切れるといいます。体力が落ち、重いものが持てなくなりました。リサイクル業の仕事ができなくなったことから収入を失い、妻とも離婚せざるをえませんでした。弟が生活を支えてくれていますが17歳になる長男には経済的に苦しい思いをさせてすまないという気持ちでいっぱいだといいます。

王成さん
「息子の友達は、両親にどこかに遊びに連れて行ってもらったり、いい学校に通わせてもらったりしているのに、私は何もしてやれない。むしろ『父親は毒ガスの被害者だ』と陰口を言われ、友達が離れていく。少しでも息子のために何かしてあげたいのですが」

于景芝さん
「日本政府はひどすぎます。入院して治療したいのにお金がありません。せめて治療させてください。もう苦しすぎるのです。私たちを助けて」

毒ガスによって健康被害を受けた人たちは日本政府に対し、損害賠償を求める裁判を日本で何回かにわたり起こしました。今回お話を聞いた3人も中国政府が認定した毒ガス被害者として裁判にかかわっています。裁判では「毒ガス兵器は旧日本軍が遺棄したもの」と認め、「兵器の遺棄は違法であり、日本政府は住民に危険が及ぶことは予見できた」としたものの、2014年、日本政府の賠償責任を認めない判決が日本の最高裁判所で確定しました。ただ、裁判とは別に日本政府は3億円を被害者に支払うことで中国政府と合意しています。

于景芝さん
「毒ガスさえなければ私の人生はこんなことにならなかった。怒りを感じています」

終戦から79年。しかし、彼らの中でまだ戦争は終わっていないのです。

取材を終えて

戦争の被害者は、また加害者でもある。今、世界各地で起きている戦争でも、普通の市民が兵士となって他国を侵略し、人を殺す。一方である日突然、自分が暮らしている街が戦場になる。戦争で人は被害者にもなるし、加害者にもなる。

日本もまた、79年前の戦争では被害者でもあり、加害者でもあった。
広島や長崎、沖縄だけでなく、全国の都市が狙われた空襲などで多くの市民の命が失われた。満州からの引き揚げやシベリア抑留などもまた、被害の歴史である。

一方で日本は朝鮮や台湾などを植民地にし、中国をはじめアジアの国々を侵略した。その過程で日本の市民が兵士となり、アジア諸国で多くの命を奪ったのも、また事実である。

時に私たちはこうした「加害の歴史」を忘れがちである。

旧日本軍が残した毒ガス兵器が、現代を生きる中国の人々を苦しめている。これもまた、日本が向き合わなくてはならない「加害の歴史」である。
中国の大地に残された毒ガス兵器は40万発以上。1日も早く処理を終わらせるとともに、今も苦しむ被害者たちに何かできることはないのか。被害者たちのまなざしは、現代に続く「戦争責任」を問いかけている。

JNN北京支局長 立山芽以子