松本人志における反知性主義の表れを検討する

https://www.youtube.com/watch?v=7YnwC4ZHW64&ab_channel=JunichiKoshigaya


松本はシンスケに共感もするけど反感もあったと思う。シンスケの深夜トーク番組の相棒としてよばれてたとき、嫌そうだった。シンスケにしたら次世代の才能を自分従わす意図があったと思う。まっちゃんは若い頃「遺書」を書いてベストセラーになった。これはシンスケの反知性の真っ向否定だと当時思った。 誰も言わないが、東京進出が吉本やダウンタウンをダメにした。大阪にいれば、市井のおばさん、おじさんが「まっちゃん、あんたおもろないでぇ」といっただろう。さんまが大阪のヤングタウンラジオにずっとでているのは、大阪から笑いを吸い取ってエネルギーに変えていたのだろう。全盛期のさんまにして「ふつーの大阪のおばはん、おじはんの笑いにかなわん」だそう。 笑いは「東京では提供するもの」「大阪では街中から湧き出るもの」の違いがあると思う。大阪の街にあふれる「笑いのパワー」が笑いの源泉だったのだろう。東京で笑いを提供し続けるのは、ネタ切れでしんどかったと思う。イジメネタが東京でうけたのは、東京という町、東京のテレビ局の中にヒエラルキーやイジメがはびこってたからだと思う。花は花単体に非ず、土壌に適した花が咲く。東京は政治の街、大阪は笑いと商人の街、これが崩壊しているのだと思う。東京一極集中やりすぎ。笑いすら枯らしてしまう。 とはいえ、大阪ヤクザ(やすし)と吉本の関係を断ち切るためにも東京進出は甘みがあったんだろうと思う。でも、松本の性加害は完全アウト。

東京進出前のダウンタウン、深夜ラジオのヤングタウンでまっちゃんは「ドリフを尊敬してる」主旨の発言が多くあった。タケシやさんまのフリートーク全盛期でドリフは古臭いと、ドリフが顧みられない時代に、まっちゃんはドリフのコントを高く評価していた。松本は、自分のフリートークが評価されていたにもかかわらず、コントを作り続けたいといっていた。コントは金と時間がかかるわりに、笑いが取りにくいが、ガキツカもコントがあるのは、まっちゃんのこだわりだと思う。