山口智美教授と津田大介。米国グレンデール市の少女像が杉田水脈出世の理由。杉田水脈議員はなぜ保守派に「重用」されてきたのか。国会で連日過去の問題発言が取り沙汰されている自民党の杉田水脈総務政務官。2022年12月6日 参議院 総務委員会。




杉田水脈議員はなぜ保守派に「重用」されてきたのか|国会で連日過去の問題発言が取り沙汰されている自民党の杉田水脈総務政務官。


山口智美教授と津田大介

米国グレンデール市の少女像が杉田水脈出世の理由。与党も野党もテーブルの下でぬるっと手をつないでる「従軍慰安婦」

慰安婦象徴の少女像 米グレンデール市に建立

記事一覧 2013.07.28 11:06

【ロサンゼルス聯合ニュース】ソウルの日本大使館前に建てられ、旧日本軍による従軍慰安婦の悲劇を世界に告発した「少女像」が米カリフォルニア州にも建立される。従軍慰安婦を象徴する少女像が海外に建てられるのは初めて。

 除幕式は30日(現地時間)、カリフォルニア州ロサンゼルス付近のグレンデール市立中央図書館前の公園で行われる。日本大使館前の少女像を制作したキム・ウンソンさん、キム・ソギョンさん夫妻が同じのものをつくった。

 少女像の建立は旧日本軍による慰安婦制度が反人倫的戦争犯罪である事実を広く伝えるため活動してきた在米韓国人団体の「加州韓米フォーラム」が主導した。

 同フォーラムは2007年に日系のマイク・ホンダ米下院議員(民主党)が発議した慰安婦をめぐる対日謝罪要求決議案の可決を支援するため結成された。議案可決後には慰安婦碑の建立を進め、今回の少女像建立に至った。

 慰安婦問題に格別な関心を示してきたグレンデール市政府は市民の往来が多い市立中央図書館前にある公園の敷地一部を提供した。市議会が敷地の提供を審議する過程で日系市民や現地の日本公館から強い反発を受けた。

 グレンデール市長を3回歴任したフランク・キンテロ市議員は「建立に反対した日系市民は歴史教育を受けていない少数の極右民族主義者。グレンデール市民らは正しい歴史を知るチャンスを得ることになった」と話した。

 除幕式にはカリフォルニア地域の政治家や韓国人コミュニティー関係者、慰安婦被害者の金福童(キム・ボクドン)さん(88)、少女像を制作したキム・ウンソンさん、キム・ソギョンさん夫妻らが出席する。 

2019年11月4日
日本大使館が取り壊された後、敷地を囲う工事用フェンスに向き合う少女像。大使館は左奧の建物内に移転しており、出入り口は反対側にある=2019年10月19日、澤田克己撮影

 「日本の不当な経済制裁を撤回させなければなりません!」「日本は真の謝罪をし、反省しろ!」
 2019年8月14日正午すぎ。慰安婦を象徴する少女像の建つソウルの「日本大使館前」には、日本批判の大きな声が響いていた。だが、集会を見る私はむなしさを感じていた。
 熱気がなかったわけではない。ざっと数えると参加者は1500人ほどにはなりそうだ。安倍晋三首相を批判する「NO安倍」というTシャツを着た人たちの姿も目立った。この日は韓国で国の記念日に指定されてから2回目となる「慰安婦の日」であり、毎週水曜日に行われる「水曜集会」の1400回目という節目でもあった。さらに、日本政府による対韓輸出規制強化が7月に発表されたことへの反発もあって、日本批判の声には力がこもっていた。いつもの水曜集会は数十人規模なのだが、もともと学生たちが参加しやすい夏休みである上にいくつもの要因が重なって人数が膨れ上がったようだ。
 いくら声を上げたって安倍首相が耳を傾けるはずがない。むなしいというのは、そんな理由ではない。彼らが糾弾している「日本」がそこに見当たらないことに違和感を覚えたからだ。集まった人々の怒りをぶつけるべき物理的な対象物として「日本を代表する何か」がそこにあるべきなのだろうが、そんなものはないのである。
 壇上に上がった政治家や運動家が呼びかけ、参加者が大きな声で唱和する日本批判はもともと、日本を対外的に代表する大使館に向けて発せられていた。水曜集会を主催する「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯(正義連、旧韓国挺身(ていしん)隊問題対策協議会=挺対協)」は、そのために30年近く前から日本大使館前での水曜集会を重ね、そこへの少女像設置を強行したはずだった。
 だが、もはやそこに日本大使…

松野官房長官は13日の記者会見で、ソウルの日本大使館前に設置されてから14日で10年となる慰安婦を象徴する少女像について、「このまま放置することはできない」と述べ、韓国政府に引き続き撤去を求める考えを示した。

2015年の日韓合意で韓国政府が「解決されるよう努力」すると確認しており、松野氏は「国と国の約束を守ることは国家間の関係の基本だ」と強調した。

以前からたびたび騒動となっている「平和の少女像」。先日はドイツの首都ベルリン市のミッテ区に少女像が設置されましたが、日本側の抗議により一旦は撤去が決定されたものの、その後、韓国やドイツ国内から撤去に対する抗議の声があがり、ミッテ区は現在「撤去を保留」しています。この一連の流れについて様々な方面から賛同の声があがったり抗議の声があがったりしています。国レベルでも民間レベルでも、なぜこのテーマはこれほどこじれてしまうのでしょうか。

「親日か」「反日か」で物事を考えることの問題点

「平和の少女像」と称される旧日本軍従軍慰安婦像について考える時、日本では「慰安婦像の設置は反日的なことであるから容認できない」という考えをよく耳にします。日本では一部に「慰安婦が実際にいたのかどうか」を疑問視する人がおり、元慰安婦によるロビー活動やその結果としての慰安婦像設置を「日本を敵対する行為」だと見なし「反日」だとする考えが見られます。

しかし今回慰安婦像が設置されたドイツに関していうと、ドイツ人に「親日」や「反日」という概念を理解してもらうことは困難です。というのもドイツに置き換えて考えてみると、ドイツ国内では「親独」「反独」という言葉は使われていません。そのため「親独か」それとも「反独か」という観点から物事を見る習慣はありません。ドイツ人が国際情勢にまつわる時事ニュースを目にしそれについて考えるとき「報じられている内容がドイツに対して優しいか否か」と考えることはまずありません。そういった基準に基づいて判断するという発想がそもそもないからです。

したがって、ドイツ人に対してこの極めて日本的である「親日」や「反日」といった感覚を理解してもらうことは難しく、仮に「慰安婦像の設置は反日を象徴する行為だから日本人は怒っている」と説明をしたところで理解はされないでしょう。この「親日」や「反日」という言葉をドイツ語に直訳することはできる(親日はjapanfreundlich、反日はantijapanisch)のですが、前述のようにドイツ国内において「親独」や「反独」という言葉がそもそも使われていないことから、「親日」「反日」の概念は理解されないのです

外交は国に任せるとして、民間レベルに関していえば、そういった考え方やとらえ方の根本的な違いに「話がかみ合わない」ことの一因があるといえるでしょう。

欧米社会で少女像は「女性の人権」の問題

ドイツの社会学者でボーフム大学元教授のイルゼ・レンツ氏は「少女像は戦争中の女性に対する性暴力を記憶しようとする運動の象徴」だと語っており、ドイツにおける少女像の設置は「ジェンダー問題の観点から重要」だとしています。日本とドイツのジェンダー問題に詳しい同氏は、第二次世界大戦中に日本の支配下にあった地域における性暴力を問題視するとともに、第二次世界大戦中に東ヨーロッパとロシアで起きたドイツ人による性暴力について「把握し記憶していくこと」が課題だと語っています。

日本では少女像というと「韓国に限った話」としてとらえられることが少なくありません。しかしドイツを含む欧米社会で「平和の少女像」はなにも「韓国の少女」に限ったことではなく、「第二次世界大戦中にアジア・太平洋地域の多くの国々で被害に遭った少女たち全員」(14か国、20万人以上の女性)の象徴だと考えられています。

戦時中に女性が受ける性暴力についてドイツでもじゅうぶんなスポットは当てられてきませんでした。だからこそ近年は「過去、現在を問わず戦争中に性暴力の被害に遭う女性たち」のことを記憶し、屈託のない少女時代を奪われ苦悩あふれる人生を歩まざるを得なかった女性達全員に思いを馳せることに賛同するドイツ人が多いのです。そういった背景もあり少女像の設置に積極的な考えを持つドイツ人が少なくありません。

日本では「歴史は歴史」「現在は現在」というふうにそれぞれを別々のものと考える傾向が強いように感じます。しかしドイツでは歴史と現在をつなげて考えることが一般的であり、今回のような女性への暴力にまつわる問題も含めて「過去を記憶すること」および「過去を克服すること」が重要だとされています。したがって、たとえ何十年も前のことでであってもこの問題にスポットを当てることは大事だと考えられているわけです。

ベルリン・ミッテ区長が公開したプレス・リリース

このことは10月中旬に公開されたベルリンのミッテ区長のプレス・リリースを見ても明らかです。一連の流れを説明した後にシュテファン・フォン・ダッセル区長は「ミッテ区役所は時代、場所、行為者を問わず、女性への性暴力、特に戦時下における性的暴力を非難します。」と書いています。

当初設置が許可されたベルリン市ミッテ区の少女像について、なぜその後一旦は撤去の命令がミッテ区から出たのかというと、少女像の「第2次世界大戦当時、日本軍はアジア・太平洋全域で女性を性奴隷として強制的に連行した」という碑文について「事前に通知がなかった」からです。上記のプレス・リリースでは今後この碑文に記載する内容について「日韓が折り合える妥協案を望みます」としており、「関係者全員が共に生きていけるような記念碑の建立がなされることを歓迎します」と締めていることから、少女像の設置自体に反対しているわけではないことが読んでとれます。今後について碑文の内容を普遍的なものにし、ベトナム戦争に参戦した韓国軍によるベトナム女性への性暴力についても記載する案が挙がっています。

ベルリン・ミッテ区での少女像の設置がニュースを賑わせてから、筆者はよく「なぜ日本人の気持ちはドイツの著名人や政治家に理解されないのか」と聞かれます。確かに双方の温度差が目立つのですが、その背景には冒頭で紹介したような「親日か」「反日か」といった判断基準が現地では理解されないこと、少女像がドイツでは女性の人権問題としてとらえられていること、過去の戦時中の話だからといって現在と切り離すことのできない問題だと考えられていること、といった考え方の根本的な違いがあります。少女像が今後も設置続けられるかどうかについてミッテ区の行政裁判所の判断が待たれます。