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微睡みはじめると、「夢、死、宇宙は絶対なにかある。俺たちの知らない何かがある。」と頑なに主張してやまない友達がいる。彼のこういった話を呆けながら聞いている時間が結構好き。それは彼がちょっとした秘密主義者で、交友関係の上澄みを食べて生きるのがうまい人間だからかもしれない。革命家みたいな口調で、ダイナミックなことを話す彼を知っている人間は、果たして何人いるのだろうと、ちょっと意地悪なことを考える。

むかしは、夢に出てきた人が、夢を見ているわたしのことを思っていると考えがちだったらしい。夢枕に立つ。相手が思いのあまりに、眠るわたしのそばを訪れてくれるなんて、平安人の大脳は、なんて楽天的でロマンチックなんだろう。対して、むしろ夢を見た側が、恥ずかしさで眠気も吹っ飛ぶのが令和人。推しの夢を見た朝なんて、ほんとにどうしようもない。でも、そんなわたしたちも可愛らしくていいかも。思いつつ寝ればや人の見えつらむ。やや現代風な感性の小野小町なら、こんな乙女心にも頷いてくれそうだもの。

わたしが見る夢は、とっても分かりやすく自分の悩んでいることを反映するので、自分でも苦笑いしちゃう目覚めなことが多い。飛んだバイト先の店長にキレられたり、スタバの新作に並んでいたり。推しがえぐめの風邪を引いたときには、手を繋いで葛根湯を買いに行った。願望ダダ漏れである。進化の過程で悪夢ちゃん的な能力を持つ人類が生まれてたら、まじで終わってた。お手洗いのドアを開けられる方がまだましだ。生き恥どころではない。
けど、人に見られなかったらいいわけで、実生活でのストレスを、夢がどうにか請け負ってくれている現状は、わたしは結構生きやすい。
かけてほしい言葉、やっておけばよかったこと、そういうのを背負って歩くには、ほかの荷物が大事すぎるのだ。もう会わないだろう人との、相手の人生にはなんてことないような、こっちの人生だけに落ちているカクついた石ころって、やっぱある。それをわたしだけの、わたしの頭の中だけの世界で溶かせたら、それは身勝手だけどいいことだと思うのだ。そしたら、どんな日常が降ってきても、寝起きのわたしに、はちみつ入りのミルクぐらいなら出してあげられる朝にはできるから。おはようの瞬間ぐらい、世界から祝福されたいのが人情ってものじゃない?


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