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服と自分の話

ゴールデンウィーク中に美容院で眉カットをしてもらった。眉カットといっても整えるくらいでそこまで変わらないだろうと思っていたら、かなり大胆に形が変わっていてびっくりした。元がかなり太くて剛毛なのが細く柔らかい感じになった。まぁ元々若い頃は全剃りしてアイブロウペンシルで描いてた人間なのでそれに比べれば断然ナチュラルではある。

ツイッターを見てくれてる方はご存知の通り、俺はあまり自分の見た目が好きではない。顔も体型も努力しないくせに理想だけは高い。
毎日鏡を見てはガッカリしている。
せめてこれ以上自分を嫌いにならないために今年に入ってからスキンケアに力を入れ始めたら、なんとなく効果が出てきた気がして少しだけ達成感。まぁ自分に対する感情がプラスになるほどではないし、せいぜいマイナスを減らすくらいのものだけど。

自分を嫌いにならないために、と書いたけれど肌も服も気を使う理由はそれだけではなくて、外に出るための武装だ。
学生時代は他人が本当に怖くて、道で誰かとすれ違うたびに呼吸の仕方がわからなくなったり、授業中後ろの席に人が座るとその人の視界に入ることが落ち着かなくてずっと最後列に座ったりしていた。社会不安障害に近かったのかもしれない。
だから、必死に武装した。最初は目立ちたくなくて流行りの服を買った。一番初めに買ったのがベロアの黒ジャケットだったことは今も覚えている(キャンパスにいる男の人半分くらいこれ着てたんじゃないかってレベルだった)。
流行りの服を着ること、よく量産型と揶揄されるし自分がないと言う人もいるけれど、あれは自分が社会に馴染む意思があることのアピールの意味合いもあると思っている。もちろんそこまで深く考えずなんとなく買ってる人が多いんだろうが、例えばモテたい、友達に可愛い/かっこいいと言われたいと思うことだって広義的には社会に参加しようという気持ちの一つなので。

話が逸れたけどそんな動機があったお陰で流行りの服を着るとすごく気が楽だった。もちろん不安が全て取り除けたわけではないけれど、なんとなく自分の異物感が薄くなって上手く潜り込めたような気がした。

それと同時にその頃にヴィジュアル系を聞くようになった。ヴィジュアル系と聞いて想像するものは人それぞれだと思うけど自分が好きになったのはコテコテドロドロの世界観ではなく、奇抜だけど比較的ポップで日常の延長にいるような綺麗なお兄さんだった。それに憧れて、メイクこそしなかったものの上述のように眉毛を落としてみたり、当時まだ珍しかったカラコンをしてみたりし始めた。今の若い子はどうなのかわからないけれど、15年くらい前のバンギャは見た目も中身も一般社会とは隔絶した文化圏に住む生き物だったので、その中で生きると決めたということは社会に馴染むことを諦めると同義だった(これは今思うとかなり極端な認識で、実際には上手く両立していた子もそれなりにいたと思う)。
とはいえ、俺は半端者だったのでやはり世間の目は気になるしそこまで踏み込んだ格好はできなかった。根本的に自分が好きではないから、いくら真似しようとしたところで憧れの綺麗なお兄さんにはなれないと気づいてしまったのもある。
そんなこんなで見た目が迷走し始め、躁状態のときは癖の強い格好、気持ちが落ちたときは普通の服と混在するようになり現在に至る。

書いてて思ったけど、俺は「自分らしさ」「自分を好きでいられる格好」みたいなものにほとんどこだわりが無い。なぜならそもそも自分を好きではないので。
もう流石に流行りの服を着たところで社会に馴染むどころかむしろ痛々しくなる年齢だから、せめて客観的に見て似合う服を着たいと思う。自分の物差しなんていらない、他人の尺度で俺を規定して欲しい。
問題は客観的に見て率直にものを言ってくれる友人がほとんどいないことなんだけれど…。本当に、今正解がわからなくてわりと困っている。

一時期は無難を極めるために全身ユニクロ、GUだったこともある。とりあえずあれが似合わない人はあまりいないので。
ただ悩ましいことに俺は自分の事は好きじゃないのに服というものは好きなんだよね…ユニクロで服を見てもワクワク感がないし楽しくない。もっと楽しい服を選びたいと思う。その一方で綺麗な服やシルエットが繊細な服を見ると、欲しいと思いつつ、俺が着たらその良さを台無しにしてしまう気がして手を出せなかったりする。最近は古着のオーバーサイズ気味の柄シャツをよく着ているけれど実はあれはその辺の相反する気持ちの落とし所だったりするんですよ。

他人から見て似合っていて楽しい服、誰かアドバイスください。

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