本心

※ずっと昔に書いた文章がお蔵入りになってたのでなんとなく公開にします


今年に入ってから、コンカフェというものに足を運ぶようになった。
きっかけは、たまたま別のジャンルで知った人が働いているから。その人と話すためにお店に時々足を運ぶようになった。
そういう経緯なので、俺は他のお店の事は知らないしコンカフェという大きい主語の話はできない。あくまでそのお店に行ってみて感じたこと。
最初はやっぱり緊張した。コンカフェやメイドカフェ、テレビでたまに取り上げられるのを見かけるくらいで、実際の空気感とかわからなかったし。オムライスに魔法をかけるようなお店ではなさそうなことはなんとなく知っていたからまだその点はハードルが低かったものの、そういうお店だったら多分行く前に挫折してたと思う。
初めて行った日のことは実は全然覚えてない。誰と何の話をしたのかも。でもまぁこうやって月に一度くらいは顔を出すようになったのだから、少なくとも楽しかったんだとは思う。
数回目くらいから慣れてきて、その日いたキャストさんの顔と名前を覚える余裕ができた。逆に自分の事を覚えていてくれる人も少しずつ増えた。
そのお店のはバーカウンターにお客さんが座って、カウンター越しにその時いるキャストさんが代わる代わる話に来てくれるような形態。一人がずっと付きっきりになることも無いし、話したことがないキャストさんも一度は挨拶に来てくれたりするので多分そういうルールがお店の中にあるんだろうと思う。
そこで面白いなと感じたのは、一人一人ちゃんと個があること。当たり前っちゃ当たり前なんだけどね。
実際に行くまでは、「メイドさん」という概念でしかなかったんですよ全て。イメージとしてはゲームのNPC。決まった設定、決まったキャラと話すような。それこそ多分テレビなんかで見る「萌え萌えキュン」のせいなんだけどね、みんなああいう感じに振る舞わないといけない所、という認識があった。
それが話してみるとみんな個性があって、好きな服や好きな音楽の話、通ってる学校の話なんかを聞くと「あっ、人間だ」という当然のことに気付かされた。やはり実際にこの目で見ないとわからないことって沢山あるよね。

でも、個として、人間として認識してしまうことの弊害もあって。相手の感情というものを想像してしまうようになった。俺は人の気持ちがわからない方だ。その癖やたらと人の気持ちを考えてしまう。
まずそもそもの話として、キャストさんはお客さんが来ることが本当に嬉しいのか?という話。自分の物差しで語るのは良くないと思うのだけど、俺は働くことが好きじゃないし、同じお金をもらえるならできるだけ楽をしたい。キャスドリやチェキが入れば厳密には同じお金ではないのかもしれないけど、人を相手にする仕事って疲れるじゃない。しかも色んな人とバランスよくニコニコと会話をしなきゃいけないわけで。客だからとはいえそうやって誰かに負担をかける行いをすることに申し訳なさがある。せめて俺が会話が上手で感じのいい人間だったらまだ良かったんだけど、残念なことに相手からしたらコミュニケーションコストが大きいタイプなので、割に合わないよなという気持ちになってしまう。
もう一つは、コンカフェって何を売っている所なんだ、という話。男性だけじゃなく女性の中にも、コンカフェをジェネリックキャバクラだと思ってる人は沢山いる。少なくとも俺の周りでそう考えてる人は男女問わずいる。
さっき書いた通り俺はここのお店以外知らないからコンカフェ業界全体の括りで語れないけれど、少なくともここのお店は性的な要素を売りにしていない。客を勘違いさせるような色恋営業のようなものも、少なくとも俺は受けたことがない。それは思想というより客単価的にそういう営業の仕方をしたところであまりメリットがないからやらないのかもしれないけれど。
キャバクラも行ったことがないから比較のしようがないんだけど、聞く範囲でいうと恋愛や性的な要素を商品とするかどうかが境界線の一つとしてあると思う。
じゃあ俺はコンカフェに本当にそういう要素を求めていないと言えるのか?というと多分そこまで純度の高い清潔な気持ちではないな、正直なところ。若くて可愛い女の子が話し相手になってくれるから楽しんでるけど、例えばめちゃくちゃ話が合う男の子が働いていたとしてわざわざお金払って話に行くか?と想像してみても多分行かないし。でもそれって結局俺もジェネリックキャバクラみたいなものを少なからず求めてるってことじゃんね。
キャストさんだって多分あまりそういうのを売りにするつもりはないと思うし、店が提供するものと俺が期待するものって少しズレているのかもしれない。他人に嫌な思いをさせたくないと言いながら店が売るもの以外のサービスを望むこと、どう考えても害悪でしかない。それならそういうお店に行けばいい。
別に身体的な接触だとか店外で会うとか明確なルール違反をしようとは思わないけれど、これは俺の内面の問題。
コンカフェって不思議なところで、性的な要素は売りにしていないのにお店にいるのは若くて可愛い女の子ばかりで、その子たちはSNSに自撮りをあげて男はそれを見て喜ぶんだよ。売っていないはずの物を買う客が沢山いる。
そして一見友達かのように話すけれど、友達でもない。どんなに親しげに話していてもお店に行かなくなったり卒業したりすればそこで終わり。キャストと客ってそういうもんなのはわかるんだけど、日常生活にはいない特殊な存在なので、ちょっと距離感を掴むのにエネルギーが必要な感覚がある。俺は人間関係にカテゴリー分けが必要なタイプで、それに基づいて会話の深度を掴んで行くんだけど、今までにない区分なのでまだどのくらい踏み込んでいいのかわかんないんだよね。多分踏み込まずに楽しい会話をするというのが正解なんだろうけど、相手の情報をそこまで知らないまま話すってハンデ戦なのよ、ただでさえ初対面の人と話すのあまり得意ではないから。その結果会話が弾まないと責任感じちゃうし。俺個人に向けてではないけど「会いに来てくれて嬉しかったです!」「沢山お話できて楽しかったです」みたいなツイートを見ると、本音と建前の境目について考えてしまって身構える。本当にこういう遊び向いてないな。本音がどうであろうと、そういう場所なのだと割り切ってその時間だけのロールプレイを楽しめればいいのにな。
とはいえみんな頑張って話しかけてくれるしいい人ばかりなのでだいぶ助けられてる。
これは言ったら笑われそうだけど、メンタルの調子が悪いとき、お店の前まで行ってもプレッシャーで入れなくて、入口付近で「コンカフェ 会話」で10分ぐらい検索したりした事もあります。そこまでしてなんで行くんだ?って話なんだが。
多分推し(この言葉を使うことに未だに抵抗がある、こんなに熱量が低くてあまりお金も落とさないやつが推してるなどと公言していいものかと思う)の人がいなくなったら行かなくなるだろうな。それまでの貴重な一時、できるだけ楽しく過ごしたいよ、自分だけが楽しいのは嫌だから、可能なら話してくれる人全員に少しでもそう思ってもらえたらいい。自分と話して楽しいと思って欲しいなんて傲慢な気もするけれど。


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