ラブ&ポップと性的消費の話

ラブ&ポップという映画を見た。1998年の作品。
内容としてはこんな話。後半切れてるけど。

今の時代若い子がSNSで知らない男の人と会うことやパパ活なんかが問題になっているけれど、当時だってテレクラやダイヤルQ2を使って同じようなことが行われていたわけで、ツールが変わったってやる事は一緒なんだよな。

この映画の主題は、能天気に見えて実は寂しさや物足りなさを感じている若者の心情を描くこと、なんだと思う。ジャンル的には青春映画なのかもしれない、思春期特有の焦燥感や儚さが上手く切り取られている。
でも自分が印象に残ったのは、女の子たちを買う男の人たちの気持ち悪さだった。
1人目のおじさんは、女の子1人につき1万円払ってしゃぶしゃぶを奢る、という人。別に肉体関係を迫るわけでもないのだけど、酔いが回ってくると女子高生たちに「だからお前らはダメなんだ!」と説教を始める。いたようちの職場でも酔うと人生の先輩のような顔をして延々と偉そうなこと言う人。女子高生のうちの1人はなかなか強かで、「そんなに私たちダメですかねぇ」と言いながら笑顔でお酌をする。半分にも満たない年齢の子に上手くあしらわれるおじさん、余りにも滑稽だしみっともない。
2人目は自宅で手料理を食べて欲しいと頼む人。この人も肉体関係は求めず、お金を払って料理を食べさせ、蘊蓄を語る。
その後出てくるのは、あらすじにあるマスカットを咀嚼させ高値で買うおじさんや、普段女性と接点がなく女の子とレンタルビデオ屋に行きたいと言うも結局性欲を抑えきれなくなる青年等々。

マスカットのおじさんは、「皮は剥かなくていいから。くちゃくちゃと何回か噛んで、手の上に吐き出して。名前を教えてよ。本名じゃなくていい。適当な名前を考えて、それを言ってよ」と言う。おじさんの性癖を満たすためには、ある程度の「個」が必要だったのかもしれない、けれど多分女の子一人一人の本質までは必要としていない。

全く擁護する気にはなれないのだけど、おじさん達も寂しいのだと思う。孤独とコンプレックスを抱えながら、女子高生にカネを払い、欲望を成就させようとする哀れで滑稽な人たち。実際こういう事をするつもりはないけれど、何となく気持ちはわからなくもないよ、同じおじさんだからね。

でもやっぱり気持ち悪いんだよ。年下の女の子に優しくして必死に媚びを売りつつ次第に本性を剥き出しにしていく姿とか。そして、俺自身が社会的に同じ属性、同じ性別であることがとても辛くなった。自分に汚れた血が流れているような気さえした。

一般的に性的消費をする側の属性であることに無自覚でいたくない、と思う。12万円で女子高生が咀嚼したマスカットを買うこと、風俗に行くこと、キャバクラに行くこと、コンカフェで若い女の子と話したいと思うこと、会社に若くて綺麗な新入社員が入ってきて喜ぶこと、可愛い女の子を可愛いと思うこと、それらの境界線はどこにあるの?

ツイッターで、無害そうな男が性欲を顕にすることを「ぬいぐるみからペニスが生えてきた」と言って半ば批判半ばネタのようにされるのを見るけど、あれは生えてきたんじゃなく元からあったものが隠れていただけだし、誰だって1歩間違えば加害者になるということ。そしてやっぱり、若い男よりおじさんの方が加害性も強いし相手から不快だと思われる範囲も広くなるという現実はあると思うんだよ。歳とともに認識をアップデートしなきゃいけないなって。

あ、上で書いたものは別に風俗とかそういう商売そのものを否定するつもりはなくて。ただ、本来は接点の無いはずのおじさんという生き物と若い女の子が金銭を介して接触を持つことってすごく歪に感じる。奇妙で危うくて不自然なもの。でもおじさんが若い女の子を求める欲求っておそらく普遍的なものなんだよね。そう頭で理解しているけどやはり嫌悪感が勝ってしまうし、自分は同類ではないと確信することもできないことがとても嫌だ。他人を不快にさせたくないよ。

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