【感謝すればこそ口を滑らせる】

本音でもって口を滑らせるというご提案。

口を滑らせるは基本的にネガティブなことらしい。
口は災いの元とセットで良いことまで、押し留める必要はあるのか?この微妙な使いようがとても面白いユーモアを招くこともある。それをご提案したい。

私は、感謝に対して上手く伝えられない人を見ると、お節介にもそれに対して強く【口を滑らせる】ことを進めている。

日々、職場、家族、恋人、友人に口を滑らせる用意をしておくのだ。
今の世の中、ありがとうが定型化している。

ありがたい=有難い(有ることが難しい)
口酸っぱく言われ続け。
ありがとうが昔よりも軽んじられていると感じるのです。

それに、気がついたのはコンビニの店員さんに客側が無言で奪って行くのを多く見るようになってから感じるようになった。
レベルの低い会話になると、ありがとうを言った言わないで喧嘩をする始末。(未だに染み着いた買うものが偉いの社会)

最近リモートになってますます本音を上手く伝えられない環境になったのではないか?


そこで私は進める、うっかり感謝を伝えるということ。
日頃、『ありがとうございました』と伝えているところを、『ふぅー私って恵まれていますね。』と唐突に呟いてみると言うのだ。(間接的感謝の言葉:意味無さげで意味有り)
すかさず『いえいえ、ありがとうございます💖』と、いつもに戻す。間髪いれずにすり替える。

言われた方は「なに?」と言いながら案外聞いているのである。言われた側も思いもしないから反応せざるえない。
そこで改めて感謝を告げるという算段。

恥ずかしい言えないあるかも知れない。
しかし、実に勿体ない。
感謝している環境にあり伝えることに躊躇している人へ…進めるのは、“天然素材”になってみるである。
そう、それで社会が円滑に進めば良いではないのか?

親や職場では気恥ずかしいもあるかも知れない。
自分の“天然素材”を受け入れ安い友人や恋人から試して欲しい。

媚びたら負けと武士道を結びつける時代はふさわしくない。

媚びたら嘗められるんじゃない。
媚びているのを見透かされているから嘗められるんだと思う。

感謝を伝えられるなら【堂々】と、それが無理なら【口滑らし】シャイな日本あなたに伝えたい。

気持ちの手段に利用してみようと提案しています。



なんでもない代表 美坂 しんいち

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