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妻へのラブレター

妻という一人称は必要ない。妻へは君へ。
この話は、誰かに宛てたり。良い物語ではないよ。
ラブレターといいながらラブレターではない。

何かに触れると何かが変わる手段を知ることがある。
君の弱点は機会手段があるのにそれをしたくないという矛盾。
「誰じゃない。私をみて私を構って」と小さい頃に思ってきた感情を埋めてくれる存在。僕というチャンスを得ているのにそれは違うという。写真の被写体を嫌がる。笑顔で表現することを嫌う。
主張したいのに、主張の機会をえたのに、それは私の中の主張にアタイしないという。

これは、私の問題でもあってこの間夢に出てきたこと。
最初の夢、幸せな夢だった安らぎ癒しを感じた良い夢。
二度寝では、絶対失敗する夢を見る。ほらねやっぱり。

気がついているかい?毎日私達生物は失敗をしている。小さなことを失敗している。天才でも凡人でも日々間違いを繰り返して生きている。

なのに事業となると失敗は許されないとか。表現の自由は失敗は許されないという。失敗を繰り返す人類こそ“失敗は許さない”という失敗を日々押し付けてくる。
100回1000回やって成功は1回かも知れない。その前に挫折してしまう。
失敗ヒューマンエラーは繰り返される。その為の話には中々目がゆかない。政治でいうなら少子化何十年と言われ続けてきたのに未だに解決の糸口さえ見つけられていない。

私の夢の中でも、絶対失敗する夢まで見せて諦めを選択して楽したがってる。逃げたきゃ逃げていいとか死ぬまで諦めないとか極端で、その微妙な間の具合が一番面白いのに。

今の幸せのそれが幸せと気がつかず。
今の幸せより少しツラいくらい飽きることなくが一番自分に取って良いものだと本来の自分達は知ってる。

しかし、道端の花に幸せを感じる日常はなく、私にとっての不幸を感じたときに、あの時の道端の花を「あれが幸せだった」と探し出す。
映画にそのシーンがないかと幻想を求めて観る。
世の中の出来た大人は日常に幸せは転がっていると意識を足元に持たせようとしている。
それと逆でメディアの優れた錬金術師を取り上げ幸せの押し付けをする。今の幸せは間違ったものだと劣等感を植え付けてくる。

混乱混沌の世の中で不安を煽り購買欲を掻き立てる世界に飽き飽きしながらそれでいて、楽しんでいる。

劣等感も楽しみのひとつ
ふとした気づきも楽しみのひとつ
不安も楽しみのひとつ
もちろん、道端の花に気がつくのも楽しみのひとつ
お金を使うことも楽しみのひとつ
空の秋晴れも楽しみのひとつ
雨の恵を得るのも楽しみのひとつ

そう、感情の揺れ動きが幸せのひとつだと気がついてしまった。


君につたえたい。
幸せの機会は今の瞬間から存在しているよ。

幸せという意味に気がつけないのも幸せの証拠。
僕らが喧嘩するのも幸せを実感したい。幸せの証拠。
上司が最悪でも、家族が最悪でも、政府が最悪でも、私が最悪でも
それは、個人の君が振り幅を広げる幸せの手段。幸せの証拠。

幸せを実感出来ないことが幸せの法則で、失敗をする地球生物である人間だからこそ幸せの選択が実感出来る。
君はどう思う?うちの猫はこの犬は幸せを実感しているのかな?
ただ寝ているだけ、食事にガッツいているだけ、もちろん犬は落ち込んだりしているけど!その数分後の過去を忘れていたりしないかい?

人間ほど感じ味わう力が備わっていないから幸せに生きているね。

彼等は、失敗をするものと自覚している高等動物に見えてならない。
彼等こそ、幸せの意味を知ってる高等動物ではないだろうか。

失敗も落ち込む不幸せも人間が作ったもの、失敗をしない努力、不幸をまねかない努力は必要だとしても。
時代で世界観、幸不幸も変わっていく。

そのうえで、高等動物にならなければならないと思うよ。
私達人間は高等動物ではなかったのにやっと気がついてきたと思うからね。

なんでもない代表 美坂 しんいち

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