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子供について考えるいろんなこと

このまえ実家に帰ったら、叔母に「赤ちゃんはまだできなさそう?」と言われ、ああ、ついに来たか、と思った。結婚してもうすぐ5年になる。そりゃ周りは思うよね、子供は?って。うん、べつにごく普通のことだと思うよ。わたしもそう思う。

自分でもこの立場になるまで思いもしなかったが、こういう類の話は、言われる側にとってはなかなか煩わしいものだ。

我々夫婦は、現段階ではとくに子供を望んでいるわけではない。不妊治療をしているわけでもない。だからこそ、子供がいないことについて話すことが億劫になる。

センシティブな内容なので、気分を害してしまう人がいたら申し訳ないが、子供について「いま不妊治療してて~」と打ち明けたら、おそらくたいていの人は察して「そうなんだ」といってあまり深く詮索してこないのだろうと思う。よっぽど無神経な人を除いては。

けど我々は「べつに今は子供はいらない」派である。年齢的には二人とも適齢期はちょっと過ぎていて、わたしは一昔前なら「高齢出産」になる年齢だ。体のことを考えても、産むなら早い方がいいなんてことは言われなくたってわかってる。

「子供は一生いらない」と思っているわけではない。いつかは欲しいと思っているし、友達の子供の成長をSNSで見る度、いいなあ、という気持ちになる。

いいなあ、というのは、「子供がいていいなあ」ではなくて「子供が欲しいと思えることが、いいなあ」という意味である。まず「子供が欲しい」と思えること自体がすごいし、そう思える環境にいることが羨ましい。そして心身共にアンバランスな妊娠期を乗り越え、出産という激痛に耐え、夜泣きや突発的な体調不良などに対応し、世の中の理不尽と闘いながら子供を育てているひとたちは本当にすごい。

たぶん、わたしにはそれらの試練を乗り越えることはできないと思う。辛い時や、おかしくなりそうな時だってそりゃもちろんあるだろうけど、それでも幸せに生活していることが、わたしには「余裕がある」ように見えて、いいなあ、と思う。(実際には、余裕なんて優雅な言葉が似合わないくらい、必死に子育てをしている人たちがたくさんいることは理解しているつもり)

わたしだって、親になりたいと思ったことがないわけではない。自分が親や祖父母に愛されてきたように、自分の子供や孫に愛情を注いでみたいし、成長を見守ってみたい。一緒に映画を見たり、買い物や旅行に行ったり。恋愛相談に乗ったり、仕事の悩みや愚痴を聞いたり、いろんな話をしてみたい。

けどそんな「夢」の前に、現実的な問題が山ほどのさばっている。

まず自分の精神状態を保てる自信がないこと、いまは仲良しのオットちゃんと、もし子育てに関する価値観が大きく違っていたとしたら、夫婦関係が崩れるのでは、という不安、自分の時間が少なくなって仕事ができなくなる不安、何かあったときに、子供を気軽に預けられる環境がない、などなど。挙げだしたらキリがないけど、そういう諸々が積み重なって「いつかは欲しいけど、今はまだいいや」になっている。とにかく不安が多い。自分が自分でなくなってしまいそうで怖い。外的要因で自分のペースが乱されるのが本当に無理なので、「子供なんて産まなきゃよかった」なんて思ってしまいそうで、とにかく怖い。

なんでそんなに怖いんだろうって考えてみたけど、たぶん周りから見聞きする情報がネガティブなものばかりだからなんだろうなと思う。会社でも先輩たちが産休育休問題で揉めてたりとか、保育園ぜんぜん見つかんないとか、見つかっても保育料高すぎとか、時短になって収入減って、給料の大部分が保育料に消えて、なんのために働いてんだろとか、SNSでも「いかに子育てが大変か」という、ある種「うちはこんなに大変マウント」にも見えてしまう育児マンガみたいなものがわんさか流れてくる。そういうのに触れるたび、「ああ、子育てってなんて大変なんだ、自分には絶対無理だ…」というネガティブな印象が肥大化していったのだと思う。

これ以上未来に絶望したくないので、なぜかインスタに勝手に流れてくる育児マンガは片っ端から「興味なし」に設定したし、Twitterでは育児に関するキーワードは片っ端からミュートにしている。ついでに旦那の愚痴系のキーワードも。

(そういう類の発信が悪だとはべつに思ってなくて、息抜きに漫画を描くことで精神バランスが保たれていたり、同じ境遇の人同士で交流することで救われている人がいたりと、良い部分もたくさんあるとは思うけど、いまのわたしには毒になってしまっているという話。)

そんなわけで子供については消極的なわけだけど、仮に自分が男性だったら、ここまで子育てについて悲観的になるかなあと考えたけど、たぶん答えは「NO」だ。

きっと子育てに関するリアルな情報って、それがネガティブなものであればあるほど、男性は女性に比べて摂取する機会が少ないだろうし、子供と過ごす時間も少ないだろうし、ここまでネガティブな印象が大きくなることは無かっただろうと思う。そう考えると、自分の中にもどこか「女性=家事育児、男性=仕事」的な思想が潜んでいるのかもしれないと怖くなったりもする。


そんなこんなで、最近は子供に関して考えることがとても増えた。

叔母や父も、はやくわたしの子供を見たいだろうなと思う。逆にいままでよく言わないでくれていたなと思う。そりゃ気になるわな。

でも、そんなに簡単じゃないのよ。

「今はいらない」と思ってるけど、たぶんこの先もそんなに変わらないんだろうなと思う。お金持ちになって、大変な時に気兼ねなく家事育児をアウトソーシングできるようになれば違うだろうけど、お金持ちになるころには年齢的にもこんどは別の意味で難しい問題がでてくるだろうし。

だからね、本当にね、家族から子供の話してきてほしくないのよ。嫌なの。プレッシャーなの。申し訳ない気持ちになるのよ。孫の顔見せてあげられなくてごめんって。去年の夏に亡くなった母に対してはいまだに思ってる。孫を抱かせてあげたかった、孫が生まれて喜ぶ顔を見たかったって。けどそれは「わたし自身が子供が欲しい」とイコールではない。

でも、親せきや友達の子供と触れるのは嫌じゃない。成長を見ると「こんなに大きくなって…」と目頭が熱くなるし、幸せそうな写真を見るとわたしもハッピーな気持ちになる。そういう「ハッピー」はどんどん摂取したい。

あと、わたしと同じような境遇にいる人とも、子供に関する意見を聞いてみたいと思う。みんなどう思ってるのかとか、プレッシャーをどう回避しているのかとかを聞いてみたい。

だから、友達とか、同年代のひとと子供の話をするのは全然嫌じゃない。けど、「赤ちゃんまだ?」と無神経に急かしたり、「早い方がいいよ~」という謎のクソバイスみたいな内容の話題は心の底から不快なので、ご遠慮願いたい、という気持ち。

「結婚したら、次は子供」という、一見当たり前のようなライフステージだって、(普通ではあるし全然否定はしないけど)人によっては当たり前ではないし、そもそも「当たり前=正義」ではないんだから、そんな気軽に、軽率に投げかけてこないでよ、と思う。軽い気持ちで投げたカラーボールが、隕石直撃くらいの殺傷能力を持つことだってあるじゃん。

たぶんこのモヤモヤは、あと5年くらい、短くとも3年は続くんだろうなと思う。少子化は改善すべき問題だと思うし、もっと子育てしやすい社会になってほしいと思うけど、子供を持たない・欲しいと思わない人たちについても、理解や配慮が進めばいいなと思う。

いいんですか!?